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昨夜は久々に大きな雷。
真夜中だから夕立とは言わないだろうが、激しい雨に落雷。

これで幾分過ごしやすくなるか? と思っていたら、
何のことはない、蒸し暑くってかなわん。、

さて、
明け方、まどろんでいると雷鳴と共に部屋の襖が開いた気配。
見れば、20cmばかり開いているではないか!!

私の閨は、一階の座敷。
一階には私だけなのに、どうして?
うん? 私の閉め忘れ?
いや、そんな筈はない。
まさか泥棒でもあるまいし。

等と思いながら、起き上がり襖を閉めに行く。
私はと言うと、例によってフルチン・スタイル。

すると、犯人はシービーであったと判明。
雷が怖くて、私の部屋に逃げ込んで来たらしい。

我が家では、犬2匹と猫2匹が放し飼い。
しかし、私は自分の部屋の中には入れない。

理由は簡単で、掃除が大変だからだ。
これに付いては彼等も承知で、滅多な事では入らない。たいていは門番みたいに、襖の前で待機している。

「おいおい、あかんやろう。」と外へ出すも、余程、雷が怖いらしく、飛んで中に入ってくる。

『うーん、しようがないかぁ~』
と雷の間は許すことにしたものの、やはり気になるのは私のフルチン・スタイル。

『もしや寝ている間に齧(かじ)られたらどうしょう…』と不安になる。
なんせ、シービーにはこれまで見慣れないシロモノだけに関心を示す恐れがある。
おまけに彼等は、お尻を嗅ぐ習性もあるではないか・・・。

そこで渋々ながもパンツとシャツを身に付けた。

『あーぁ、こんな明け方に、いったい何の心配をしとるねん、俺。、』
である。
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ジュニア (その1)

ねむはー、3日間の催事も今日が最終日。
結果は、まずまずか、と言ったところ。

こうした催事であるが、可能性としては最悪の結果も考えられる。もちろん、大成功の可能性もある訳だが、それに付いては心配はしない。やはり気になるのは、最悪の場合だ。

多くの店は、この心配が嫌だから、催事をしたがらない。
『もしも全く売れなかったら、どうしよう?』である。

しかし、そんな心配は幾らしても無駄な事。
兎に角、やってしまう、を常としている。

と、まあー、
そんな話はココまでにして置いて、今日は、夜の私の恰好について。

私は、この時期の温度、それも夜の温度が大好きである。
身体にとって一番悪いのは、なんと言っても【冷え】なのだが、ちょうど今頃の温度は、体温よりほんの少し低めだから、裸で過ごせる。

だから私は、皆が寝静まれば、と言っても、今は細君しか居ない訳だから、彼女が2階へ上がれば、一階には私だけとなる。そうなれば、早速、スッポンポンのあられもない恰好で布団に横たわる。食堂にアイスコーヒーを取りに行ったり、トイレに行くにも、この恰好のまま。

中でも一番気持ち良いのは、やっぱり布団の上。
掛け布団も掛けずに大の字で、ビデオをみたり、考え事をしたりだ。

深夜から明け方の4時、5時までは、私の大好きな時間帯だ。
お酒なんか飲まないから、頭脳もスッキリしている。逆に言うなら、この時間を明晰に過ごしたいから、酒を飲まないのかも、と思う。

そして、
こんな風に、もう、かれこれ30年も続けている私だが、飽きることは無い。毎年、それなりにバージョンアップを心掛けているからだ。

そんな訳で、今年の発見がスッポンポン。
例年は少なくてもパンツだけは穿いて過ごしたものだが、パンツを脱げば、なんとも言えない開放感がある。

最初は、やっぱり、少し勇気も要るし、違和感もある。
それでも、3日も続ければ、もう脱がずには済まされなくなる。

それ程に、気持ちよい。
女性には分からないかも知れないが、やっぱりパンツはイツモツに悪い。

特にブリーフは締め付けるし、カクパンでも縫い目が触れば痛い。
それに何より通気性の問題もある。
最近の私のお気に入りは、2重(3重?)ガーゼのパンツ。
バーバーリーは、柔らかくて、おまけに色柄も良い。
それでも、スッポンポンには敵わない。

(下へ続く)
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ジュニア (その2)

(下へ続く)

歩く時には、少しぶらぶら感が気になるが、それも慣れれば、ぶらぶらが気持ちよかったりする。
寝転がって、つい暇な時とか、手持ち無沙汰の時なんかには、手ごろなオモチャにもなる。
私の場合は右手が殆どであるが、つまんでみたり握ってみたり、時には結んでみようと試みたりするが、これは成功した例がない。

そう言えば、むかし流行ったゴムみたいなオモチャがあったが、あれよりもずっと触り心地がよい。
なんせ、人肌のぬくもりで、触ったり握った感触が、私の指や手に残るだけに止まらず、触られたイチモツの感触も同時にある。
これって、意識的に手をやるのではなく、無意識に手が行っていると理解して頂きたい。

うーん、
学生がボールペンを指でクルクル回すみたいなもんかな?

ボールペンとかゴムのオモチャの場合、失ったりする恐れもあるが、このイチモツは何処へも行かない。
いつも私と一緒だ。

まあ~、
よくぞ 男に生まれけり である。

私は、イチモツをムスコと呼んでいる。
洋画を見ている時なぞは、ジュニアと呼んだりもする。

『どうよ、ジュニア
 この時間帯って 良いだろう
 俺、大好きなんよ

 これまで、
 ずっとお前には 窮屈な思いをさせていたね
 御免な~』

ふむ、である。
しかし、
このまま外へ出るには無理があろうか。、

さて、未だ催事の最中だから、仕事に戻るわ!!
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博多お洒落日記 (その1)

夏場は、軽装に限る。

と、Gパン、Tシャツ、それに薄手のジャケット、もしくはシャツが殆どだ。仕入れも、会議も、お得意さんとの商談も、それで済ます。先日の東京も、通販生活へGパンで乗り込んだりと、一歩間違えば無礼者に見られてしまう恐れすらある。

身なりを構わない私が言うのも変だが、「身なりって、結構、大事で、しかも怖い。」ことは承知している。もっとも、それなりに、であるが。

どうしてビジネス・マンがビジネス・スーツかって言うと、それが一番無難だから、であろう。それ以外の恰好は、場違いになったり、センスも問われる。

そこで自分流の恰好で通す場合の大事な点だが、以下の二つが考えられよう。

(1)『ひょっとして、場違いだったかな?』と、卑屈にならない。常に、堂々としていること。

(2)『センス、無いかも?』なんて、間違っても思っては駄目。「これで良いんだ」と思い込む。はい、根拠なんか、無くっても良い。

名刺交換でも、商談でも、やっぱり自分を売り込むのが先決だ。
ビジネススーツの中にビジネススーツでは、たいていの場合、埋もれてしまうだけである。[無難に]とか、[変に目立たぬ様に]でのビジネススーツの選択は、この意味では営業マン失格となる。

なーんて私は、さも、コレを狙っていたかの様な書き込みだが、少しは、この意識もあり、残りの大半は、自分勝手なだけ。
しかし、屁理屈みたいだが、私の場合、この自分勝手こそが自己主張だと思っている訳だ。

男も、女性と同様に、服装が気になるらしい。
なんか、warabiのお洒落日記みたいになりそうだが、もう少し服装の話を続けてみる。

博多での会議は、ホテル。
今回は、先に言った様に、スーツにネクタイ。

会議の間は、勿論、みんな何も言わないが、「あれっ? 今日はスーツなん?」との目線を感じる。これで、一先ずは成功。

その後の懇親会で、話のついでみたいに、私のネクタイに付いて知りたがる。
「こんな綺麗なオレンジ色って、珍しいですね。
 それに、その何とも言えないブルーグレーのドットですが、よく見るとカバさんですか?」

(下へ続く)
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博多お洒落日記 (その2)

(上からの続き)

「そやろ! カバさんとはなかなか気が付かないやろ。可愛いカバさん。」
この変から、いったい、何処のブランドなんやろう? と気になってしょうがない相手の表情が読み取れる。
それでも、「それって、何処のブランド?」なーんて、誰も恥ずかしがって聞けない。

そんな時、ペロンと裏返し、「エルメスみたいね」と教え、ついでに「スーツは、綿100%なんよ。ヨレヨレみたいだけど、いちおう、ヒューゴ・ボス」と、さりげなく言う。
いつも私のGパン姿しか見てないから、このギャップが良い。

こんな風にブランドを並べると、「なんて景気の良い業界なんだ」と思われてしまいそうだが、そうじゃない。景気の悪い時ほど、元気を装わないと、本当に駄目になる。

景気と言えば、博多でタクシーに乗って、運転手さんと話したが、彼曰く
「景気、悪いですよ。タクシー運転手の6割は、給料10万円前後で、私なんか、その半分。ほんと、喰って行けません。トップの連中でも、そうですねー、25万って、とこでしょうか。これも、みんな規制緩和のせいですわ。格差は広がるばっかりです。」

私の寝具業界も、タクシー業界に劣らず駄目な訳で、最近、廃業の店が後を絶たない。それでも、惨め自慢なんかしても始まらない。「まぁー、元気でも出しましょう。」と、「運転手さん、美味いラーメン屋、知らない? 連れてってよ。」「櫛田神社の山笠を見たいんやけど、連れてって!!」と、案内を頼む。それでタクシー代は、1200円。

博多のキャナルシティを歩いていたら、Gパン屋さんが目に留まった。
「おっ? REPLAY…? むかし、穿いた事がある。」と、買って、早速スーツと着替えた。

2日目目覚めたのは、11時半。
チェックアウトの11時は、はるかに過ぎていた。
みえさんに電話して、「少し博多見学してから小倉へ行くよ。」と伝える。

3時に小倉へ行き、みえさんとジャズ喫茶。

みえさん「えっ? スーツじゃないの? 
てっきりカミュさんはスーツだと思って、この恰好で来たのに!!
Gパンでカミュさんにぶら下がっちゃ、可哀そうと思ってやったのに。。」と叱られた。(笑)
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窓外の雲

会議は13時から。

私の予約しておいた「のぞみ」の博多着時間は15時。
確信犯の2時間遅刻だ。

その代わりと言うのも少し変だが、
いつもGパンで行くところを、スーツにネクタイを締めて出掛けた。
「えっ? 今日はスーツですか? ありがとうございます。」と、普通のことなのに感心されたりする。

喫煙のグリーン車であるが、新大阪を過ぎた頃からガラスキ状態。
眠い身体を気侭に持て余し、一人の時間にどっぷり浸かる。

広島を過ぎた辺りだろうか、ふと窓外を見れば、夏の空が大きく広がっていた。

おぉー こんな抜けるような青空って 久し振りだなぁ~

 っと、声にこそ出さなかったものの、思わず心の中で叫んだ

おまけに、アンパンか綿菓子みたいな手ごろな大きさの雲が 

ひとつ ふたつ みっつ ・・・と 浮かんでいる

きっと外は 風一つ無いに違いない
微動だにせず ポッカリ浮かんでいる

あれは、なんて言う種類の雲だっけ?

いつもの私の雲と言えば、空の中に安直に描かれただけの平面なのに
少し長い目の梯子(はしご)なら、登れそうな地表のほん近くにあるではないか!!

こんな風に雲を見るなんて何年振りだろう
それほど余裕が無かった?

なにも反省する類の事では無いのだが、少し情けない気がした。
眠いのと、列車の振動と、おまけに早朝から煙草を吸い過ぎた所為か、少し眩暈を覚えた。

朦朧としている内に意識が遠ざかり、いつの間にか、隣りに女性が座っている。
会話の内容は思い出せないが、それなりに楽しい時間が過ぎ、

「それじゃ 私、もう行くから」と席を立った。

『えっ? 行くって、何処かへ行ってしまうの?』と、私は不安げに彼女を目で追う。
そして、声を発しようとしたその時、目が醒めた。

『夢 だったのか・・・』

『それにしても、なんの夢だったんだろう?
 
 あれは、誰で いったい何処へ行ったんだ?

 ひょっとして 俺のトラウマ? 
 
 それは、お前 寂しがり屋過ぎるぞ!! 贅沢者め!!

 うん…? もしや、あの女性は 雲・・・

 いや、そんな訳ないだろう・・・』 と、独り言。

下関辺りから段々と雲行きが怪しくなり、博多に着いたら、もうドシャ降り。

駅から歩いて10分を、傘も差さずに走って5分。
びしょ濡れになったが、夏の雨は許せる。
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明日から博多

彼と話した。
「立候補はしない」とのこと。

委細は、また時期が来れば明らかになろうが、
もともと、彼は立候補ありき、ではなく、
このまま何の議論もないままに選挙があっていいのか!!との思いがあった。

彼なりに安土に関わり、
彼なりの将来のビジョンがあり、
町長とは塾のメンバーである故に応援をして来て、
話し合って、その結果、積極的に現職を応援するなり、
必要となら、捨石も辞さない決意も持っておられた。

しかしながら、何の議論もなく、
ただ、出る杭を叩くが如く仕打ちを感じ取られ、本来の断念と違う筈なのに、断念の表明となった。
立候補を表明していないのに拘らず、だ。

「積極的に現職を押すでもなく、何かを発言するものに対して、寄ってたかって頭をタタキに来るとは何事ぞ!!」
と、語る彼に対して、彼の口惜しさが計り取れた。

【同じ塾のメンバーで、どうして足を引っ張る様な真似をするのか!!】
が、彼には相当堪えたらしい。

彼には、足を引っ張ろうなんて思いは、当初から無く、
この10年ほど、殆ど集まりを持たない塾に対しての心配りもあった。
それは、彼の年齢が皆より年上である故の考えもあった。
「敵か? 味方か?」の二者択一は、ヤクザの出入り。
「ヤクザの出入りか田舎の選挙か?」の風潮は、残念ながらまだまだ健在らしい。

ともあれ、彼の問題は、一先ず終わった。
今回、彼は積極的に手を上げたものの、叩かれる結果に終わった。
ここで彼が孤立に追い込まれるなら、将来、第2、第3の彼は、ますます出難くなる。
その辺りは、私の仕事だろうと自覚している。

さて私は、明日から博多へ出張。
時間が取れたら、博多見物もしてみたい。
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今頃、猛暑 (その1)

今年は遅まきながらの猛暑だ。
とにかく、暑い。
PCのキィーにポタポタと汗が滴り落ちる。

そんな中での日記だから、果たして書き終えるかも?
であるが、クーラーもつけずにチャレンジしてみる。

さて、いよいよ選挙が近付いた。
安土の町長選は、9月4日~9日だから、もう日がない。

選挙の度に、私は思うことがある。
古くは、明治天皇の五箇条御誓文に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とあるが、未だに、「話し合い、会談、議論、会議」が根付かない。

組織には、色々ある。
それは、暴力団の○×組から、政党、会社、公益法人、農協、生協、自治会から仲良しグループに至るまで、様々だ。

昔、青年会議所(構成メンバーは20歳~40歳)に所属していた頃、こんな話をしたものだ。
「ヤクザと青年会議所(以下はJCの略称で呼ぶ)の違いを知っているか?
 JCのトップは理事長やが、これはヤクザにもあるし、農協にもある。
 ところが、ヤクザには議長が居らん。奴等は、会議をせんからや。
 だからJCでは、組織名称にわざわざ【会議】所と入っているんや。」

JCの目的は、「まちづくり」と「ひとづくり」
安土塾も同じ目的の元に集まったからJC出身者が多い。

「どの様にすれば、安土をもっと活性化できるのだろうか?」は、なにもJCや安土塾のメンバーだけでなく、町民、みんなの【志し】である。
その為に、何が大事なのかと言うと、手法としての【会議】や話し合いであることは、言うまでもない。

選挙と言うと、田舎では、ややもすれば「喧嘩」に近い状態に陥る。
民主主義の原点は、選挙であり、広く議論を起こすことある。間違っても、ヤクザの出入りや喧嘩であってはいけない。

(下へ続く)
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今頃、猛暑 (その2)

(上からの続き)

ところで、話は安土の現状と云うか、私と関わる安土塾のメンバーの話に入る。
安土塾であるが、この10年ほど活動を停止しているが、それはJCと同様で、それぞれ大人になったと言うか、年を食った為、それぞれなりに活動をしている。
現町長の津村君も、安土塾の元メンバーであり、彼の選挙では、殆どのメンバーが協力し、思いを託した。

ところが今回、前の日記に書いた様に「安土塾から2人?」となった。
もう一人、立候補するかも? なのである。

彼は立候補説明会に出席したものの、今も出馬を迷っている。
やはり、同じ元安土塾の仲間であることが気に掛かるらしい。

自分の進退に付いては自分自身で決めるのが本来の姿であるが、『塾のメンバーの意見を聞いてみるのも必要だろう』との考えから、元安土塾のメンバーと順に話したとのこと。

やはり、殆どは『うーん、困ったなぁ~』であり、中には酷い剣幕での叱責、もあったらしい。数少ないが「引き摺り降ろせ」の極論もあった。選挙は喧嘩ではないのだが、勝ち負けが付いて回るから戦争みたいなってしまい勝ちだ。

立候補を迷って居られる彼は、安土塾が活動していた頃の立場は副塾長で、現職の町長よりは2歳年上(私よりは3歳年上)だ。
前回の選挙ではもちろん津村君を応援し、この4年間も、国際交流、文化協会の会長をはじめ、色んなボランティアを通して現職を支えて来られた。

その彼が、選挙の1ヶ月前に、「ことに依れば立候補するかも。」との話である。

私「大変やぞ。」
彼「町の為になら、自分は捨石になっても良いと思っている。」

用意周到に立候補するなら6ヶ月前でも遅い位なのに、1ヶ月前では余りに遅すぎる。正直な所、私は彼の真意を測りかねていた。
しかし「立候補するかも?」に付いて、彼なりの考えなり意見があるのだろし、それは当然ながら悪いことではない。矢面(やおもて)に立つのは誰しも嫌だが、それを押しての決意と見て取れる。
選挙を期に自分の考えを広く話したい、との思いなのだろう。

(下へ続く)
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今頃、猛暑 (その3)

(上からの続き)

さて、その彼から昨日、「津村町長と話し合いの場を持ちたいのでセットして貰えないだろうか」との電話を受けた。
私は早速、津村君に出会い、予定を立てて、彼にその時間を連絡した。
私としては、『これで、塾のメンバー同士の選挙は無くなるかも知れない』と予感を持ち、正直な所ホッとした。彼も現職の町長も、どちら長年の友人であるからだ。

ところが、その日の夕方、「会談を5日後以降に延期して欲しい」と津村君から電話があった。5日後となると、もしも彼が立候補する場合、日数的に更に難しい局面になる。と、言うコトは、「話し合いの結果、立候補をしない」結論を導くのが難しくなってしまう。

どちらも大事な友達だから、出来れば、実りのある話し合いの場を持って欲しかった。もしも万一、選挙になったとしても、それぞれが敬意をはらいつつ正々堂々と自分の抱負を町民に語り掛け、安土の将来を深め合って欲しいと願っている。

追い込み、追い込まれての選挙は避けたい。
と同時に、彼が孤立したままに辞退するのも忍びない。
何度でも確認したい。田舎には難しいだろうが、選挙は喧嘩じゃない。

「安土町の財産は何か?」 であるが、私は、それについては、一つの確信をもっている。安土城址とか立派な歴史遺産を有した我が町だが、そんなものじゃない。それは、何をさて置いても【人】!!、人材!!なのである。

利権や利害が絡む生臭い選挙の中でも、いや、その中だからこそ、会議の手法を貫くことに意味がある。それが、まちづくりの基本であるからだ。
会議をこそ「まちづくり」の手法としてきた元安土塾のメンバーだから、実現できると考えた。しかし、どうも不調だ。選挙で熱くなったしても、人を失ってはならない。

☆最後に
今年は、残暑がとりわけ厳しいらしい。
みなさん、夏バテには充分気をおつけ下さい。

余りに暑いので、今日の日記はここまで。
もはや、Tシャツは汗びっしょり。、
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退屈と興奮にかまけて食事を・・・

私の場合、「食事をする」とか「お風呂にはいる」とかが、どうも面倒くさいのである。

起床して、
会社へ出て、
仕事後(念の為いちおう書き置く)、遊びに出たり、
その後帰宅し、 夜に、それも遅くに、ようやく食事。。

だから、起きてから夜まで、何にも食べない日が多い。
昼食は問屋が来た時に一緒に出掛ける時以外は、食べたとしてもせいぜいオニギリ一個。それも仕事をしながらだ。

そんな訳で私の食事は、晩御飯と夜食の2回。
だから夜食から翌日の晩御飯の18時間弱の間、胃の中は水分と煙草のケムリくらいだ。

何も、食事をする時間がない程に忙しい訳ではない。
起きても、そこそこの時間を布団の中でグズグスしている。

私の場合、グズクズと退屈してたりも、アレコレと興奮してたりと同様に熱心たるをモットーにしている。ヒタスラ、退屈を専らとする。
退屈と興奮をイコールと言うのは少し変な表現と思われるだろうが、「退屈」を「リラックス」、「興奮」を「緊張」と言い換えれば分かって貰えるだろうか。

だから私は、退屈と興奮にかまけて食事を忘れてしまう。
私にとって退屈と興奮は、まさに生きていることであり、反して食事は作業なのだ。

もちろん、健康に良くないことも知ってはいる。
そして自慢にならないことも充分承知している。

しかし、面倒くさいと思ってしまう。
無駄な作業の様に思えてしまうのだろうか、夢中になれない。

例えば、一旦、目覚めたら、倒れこけるまで起きていたいし、
眠り付けば、もうこれ以上、寝ていられないほど寝ていたい。

短い一生だから、どんなことにも夢中になっていたい。

そう言えば、実母から、こんな話を聞いた。
もの心がついてから僅か3回しか会っていないから、交わした会話の殆どを憶えている。

「アンタの小さい時 (3歳になる前だろう)、
 いったん外に遊びに出たら、オシッコも我慢して夢中で遊んでいたわ。
 もう、どうしようもなく我慢できなくなって帰って来たら、
 そう!! おトイレまで持たなかったのよ。」

ふむ、三つ子の魂 百まで とは、よく言ったものだ。
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信長の館 (その1)

今朝の京都新聞の一面のトップ記事は本能寺であった。

信長の最期の「本能寺の変」の本能寺であるが、実はこれまで、その詳細が分かっていなかった。しかし、この度、焼け落ちた瓦が見付かり、本能寺は石垣と土塀に囲まれた要塞に近い建物であったと判明した。だから、映画やテレビで放映されていた従来の建物は間違っていた、とのこと。
もちろん、知らなかったのだから致し方ない。しかし今後は、新しく判明した史実に添って本能寺のセットが組まれるだろうと楽しみだ。

そんなことで今日の話題は信長。

先日の日記にも書いたが、立命館の女子大生3人を案内して<A Href="http://www.hottv.ne.jp/~bungei/nobu/">信長の館</A>に行った所、なんと入館10万人目のセレモニーに遭遇した。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/135.jpg" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">←写真は天主閣。
誰かを案内する時に決まって連れて行く事にしている。
この日ばかりは、『ひょっとして親父が僕を呼び寄せたのかいな~』と、親父を思い出してしまった。
なぜかと言うと、この建物が安土にできるまでに親父は随分と苦労をして、その都度、色々と話し合ったからである。

展示されている天主閣は、安土城5層6階の上層部2階(5階と6階)であるが、これは1992年スペイン・セビリア万国博覧会で、日本館メイン展示に出展されたものである。どうして上層の2階だけかと言うと、現在でも、4階から下と地下については、学会の意見が分かれているからである。

この天主閣であるが、なんせ日本政府が作ったものだけあって大そう立派に再現されている。木材一つを取っても、それの漆塗りの仕方も、欄干の彫から飾りの彫金、更には狩野永徳が描いたとされる屏風絵に至るまで、現在考えられる再考の技術でもって再現された。

だから親父は、どうしてもこの天主閣が欲しかった。
「なぁ、たーちゃん。あれは安土に持ってこんとあかんな。」
「そりゃーそうやろ。安土以外の場所に置いたら信長が泣くで。」

そこでスペイン・セビリア万国博覧会の責任者に連絡を取ることになった。チーフ・プロデューサーは堺屋太一さん。
この話は以前に書いたかも知れないが重複なら御免だ。

(下へ続く)
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信長の館 (その2)

(上からの続き)

さて、
親父は早起きで、ましてお願いの電話は朝一番に限るとの信念の持ち主だ。この辺は、私と全く違う。、
だから毎日、毎日、朝一番に連絡を取っていたのだが、一向に繋がらない。
それなら、夜にすれば良いものを、親父は一徹だから、毎日、朝一番。

そんな親父を見かねて、堺屋さんスタッフ「あのう、せめて昼から電話を頂けませんか?」
「いえいえ、そんな失礼な事はできません。」と、未だ頑固。
そこで、スタッフの方は致し方なく「実は、先生は執筆の関係で、お昼まで寝ておられるのです。」であった。

次の日に親父「おいおい、たーちゃん。昼まで寝とるのはたーちゃんだけやと思とったら、なんと堺屋さんも、そうやった。」と大笑い。

そこで早速、堺屋さんとお出会いすることになった。
「安土の町長さんが、そこまで熱心に言われるならあげましょう。私も安土が一番ふさわしいと思います。」

で、あったが、難問が降って沸いた。
それは、移転費用に五億円、更に、それを収納する建物に2億円と、〆て7億円から8億円の費用が発生する。

親父は4期16年間を町長を務めたのだが、その間に積み立てたお金は24億円。
これを使えば可能なのだが、町民の為の大事なお金だから使わない。
しかし、どうしても安土に欲しい。

それから堺屋さん詣でが始まった。
堺屋さん「岐阜も欲しいと言っている。あそこは観光協会にお金があるらしい。」
親父「そうですか。安土には残念ながらないのです。でも、どうしても欲しいのです。」

そんなやり取りが続き、
堺屋さん「辻さん、問題は金だけですね。ちょっと考えてみましょう。」

それから暫くして、「大阪に出て来ないか?食事でもしましょう。」と堺屋さんから親父に電話があった。
その席には、もう一人、紳士が座っておられた。

(下へ続く)
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信長の館 (その3)

(上からの続き)

堺屋さん「この方は大和ハウスの会長の石橋さんです。私と同郷なんですよ。」と紹介された。
この席で、親父が天主閣を欲しい、堺屋さんさんも安土に置きたい、しかし移転費用と据え置く建屋の金がない旨を説明され、「ついては石橋さん、ものは相談ですが、あなた、安土に寄付されませんか。」と持ち掛けられた。

そして返事は、なんと「よろしいでしょう。」であった。

何でも、安土天主閣は釘の一本も使わない組み立て式だから、大和ハウスの工法と合致し、会社としても寄付する価値があろう、との見解を取って頂いたのだが、一番の判断基準は、堺屋さんさんと親父の熱意だったろうと私は思う。
遠藤周作さんから始まった安土の名誉町民であるが、当然のことながら、堺屋さんも石橋さんも名前を連ねて頂いた。

そして先日、この天主閣に10万人目の方が入館された。
入館料500円の100万人だから、5億円の収入となる。

「親父よ。
 信長の館にもう100万人も来てくれたよ。」と報告した。

タダで貰って5億円も儲けるなんて、なんと厚かましい!! と思われるだろうが、そのお金は信長の館や文芸の郷で、大事に有効に使って行きたい。

☆ ☆

最期に、積み立て金であるが、親父が町長を辞めた時には、確か24億円ほど残っていた。
その後、仙波町長の2期で半分近く減り、現在の残りは10億ほどだろうか。

国も赤字の為、補助金は毎年減額される。
このままだと、3、4年で積立金はなくなり赤字転落する。

だから、【このまま】は、続けられない。

思い切った財政の切り詰め策が急務だ。
「親父、何か善い知恵、ないもんかね?」と聞きたいものだが、返事が出来る訳は無い。

   合掌  
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安土塾から2人? (その1)

☆町長選挙

いよいよ本格的に暑くなってきたが、今年の安土の夏は、政治も暑くなりそうである。
と言うのも、来月の9月9日は町長選挙の投票日で、もう1ヶ月しかない。
立候補者は、一人でも多くの有権者に名前を知って貰ったり、自らの方針を訴えて支持者を広げる必要がある。だから立候補の声明は、早いほど良い訳だ。

私と安土の町長選挙は、随分と因縁が深い。親父の町長選挙を5度に渡って手伝い、結果は4勝1敗。その次は無投票になり、その次が4年前の津村君の選挙だから、都合5勝1敗となる。
振り返れば、津村君の選挙は、親父の選挙よりも頑張ったと思われる。選挙戦の半年前から準備を進めた。世間では、父親の弔い合戦とも言われたりしたが、私としては「このままでは安土の将来が危うい」との思いが強かった。

4年前の選挙の争点の一つは、能登川町、五個荘町と、そして安土の3町合併が潰れて、「それなら能登川町との2町合併」を進める仙波町長に対して、当方は、生活圏の近い近江八幡市との合併を目指した。
選挙には勝ったものの、皆さん承知の如く合併直前のアンケートで、合併協議会は流れた。

あれから4年経ち、夕張市の様に財政破綻した街が出て、その予備軍も多いのが日本の実情である。安土も、このままなら財政破綻が間近だ。
勿論、合併すれば安泰かと言うと、そうでもない。ただ言えるのは、このままなら、あと4年もしない内に確実に破綻が見えている。

合併しないのであれば、徹底した財政再建策をしなければならない。言葉で書けば簡単に見えるだろうが、そうじゃない。これは血が出るような手術で、以前に<A Href="http://blog.livedoor.jp/azutijyuku/archives/50196375.html">矢祭町メモ </A>にも書いた。

しかし町民は、普段の生活が忙しくて、なかなか町政に関わっては居られない。もちろん、私も含めての話である。
これは安土だけの問題に止まらず、日本中に「無関心」「無気力」が広まりつつある。

そんな中で、私達の町「安土」は、来月に町長選挙を迎える。
『もしかすると無投票か?』と思っていたのだが、現職以外に立候補者が出そうなのである。

(下へ続く)
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安土塾から2人? (その2)

(続き)

☆ 安土塾から2人?

現職の津村町長も安土塾のメンバーである。
そして、対抗馬として立候補かも知れないのも安土塾のメンバー。

この事態は、安土塾のメンバーにとっては、非常に身の処し方に困ったコトとなる。

そもそも安土塾とは何ぞや?

であるが、今から30年前に安居さんと私が偶々滋賀銀行の経友会で隣り合わせに座った事が事の発端で、お互いに意気投合して作ったのが安土塾である。当時私は20代で、メンバーは上下10歳程度の巾がある。
10名近くのメンバーに声を掛けて「安土の活性の為に何か出来ないか!!」と始めた。まちづくりは人づくりなのだ。

安土塾の「塾」であるが、これは学習塾の「塾」ではない。
命名に当たっては吉田松陰の松下村塾に肖りたい、との大志を抱いて「塾」を使った。ちょうどその頃、隣りの近江八幡市にも川端五兵衛氏が始めた「八幡塾」もあったりと、塾が流行であった。
規模は違うが、松下幸之助さんの「松下政経塾」の安土版と言うと大袈裟だが、心意気だけは負けていなかった。

松下政経塾の卒業生であるが、所属は、自民党であったり民主党であったりと様々だが、それは、それで良いと思う。場合によっては、松下政経塾の卒業生同士が、同じ選挙区で戦う事もあり得る。選挙は喧嘩ではないから、それも良し、だろう。

主な事業は、以下の通りだ。

一、 冊子「見つめよう安土」の発行
二、 安土城址野点大茶会を開催し、翌年「フェスタ信長」と改名し、12年間続けた。
他にも、観音寺山、老蘇の森、大中の湖遺跡、と、方向は多岐に渡った。

メンバー構成は、青年会議所のメンバーが多いが、それ以外も居る。
それぞれの立脚点は様々で、政治的には政党色は全くない。

主に活動していたのは、発足当初(30年前)から十数年だ。
ここ10年程は、それぞれが、それぞれなりに思うところを進んでいる。

一度、安土塾で集まってみたいと思う。
「久々に集まったらと思ったら、こんな大変な話かいな~」と言われそうだが議論は良いことである。

今度の選挙であるが、それぞれの方針をしっかり指し示し安土が活性されれば幸いと考える。
合併するにせよ、しないにせよ、今や安土はその瀬戸際に立っている。今度の選挙は、町民全体で議論を深めるチャンスである。無関心、無気力に陥るのが一番悪い。

◆記◆ 私文書に付き無断転用不可
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ようこそ 安土へ

お昼に国さんから電話を受ける。
偶々、立命館大学の学生3人と出会い、安土をモデルにして地域活性化の学習をしたい、との事で色々と話しているのだが、バトンタッチして貰えないだろうか、であった。

「ああー、いいよ。」と気楽に引き受けたところ、「そしたら、これから連れて行くわ」と相成った。

国さん「辻さん、3人はミンナ、ベッピンさんやで!!」
私「へぇー、女子大生かいな。」

ちょうど、昨夜から雄太が帰って居るので、
「雄太、これから立命の学生に話をするんやど、お前も一緒に来んか?」と誘ったが、むべも無く「いいわー」と断られた。
まあー、息子って、こんなものである。

1時過ぎに彼女達が来て、3時半まで色々と話し、先程、帰ったばかりだ。

社長室、ねむはー前、マリエートで、一緒に写真も撮り、メールで送って貰うことにした。
天守の館へも案内したのだが、なんと、入館10万人目が直ぐ手前だった。
そのセレモニーの為に津村町長も来ていて、「もうちょっと早かったら、ピタリ賞やったのに」であった。
いつもなら上がれない天守であるが、この日は10万人記念に、特別に入れた。メデタシ、である。

私の、このブログの所在も伝えておいたから、今夜にでも見て呉れる筈と思っている。

☆ そこで、3名のベッピンに連絡

一応、話しておいたが、左の「カミュー掲示板」に入れば、色々と質問事項が書き込める。ちなみに、「カミュー」は、私のハンドル・ネーム。

簡単な挨拶程度でもよいので、何か、書き込む様に!!

良いレポートに仕上げて下さい。
それでは。。
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目指す私たちの街の風景 (その1)

フェスタ信長の12年間を筆頭に、安土小学校100周年イベント、他には青年会議所時代に開催した様々なイベントと、これまで随分と数多くのイベントに関って来た。勿論、それらは本業ではないものの、それでも「イベント屋かい!!」と思われるほどに、商売そっちのけで頑張った。

私の30代、40代の名刺を見ると、<font size=5 color=blue>「心は錦 思いはまちづくり」</font>と、煙草を吸いながらの似顔絵に大きく記されている。

それぞれのイベントには、それなりの抱負も思い入れもあった。
主催者としては、イベントをする以上は、やはり成功させたいと思うし、それなりのプロデュース力も問われる。だから、動員数はいつも意識していた。フェスタ信長を始めた当初は、動員数が1000名足らずであったが、やがて2万名を数えるまでに成長し、滋賀県の代表的なイベントにまで育った。
これは、安土、安土城、織田信長の歴史遺産に寄せる地域の人間の思い入れの強さの集結であり、同時に、遠藤周作氏、岡本太郎氏、津本陽氏、堺屋太一氏をはじめとする文化人の皆様の思いを汲み入れられた為でもある。

しかし一番大事なモノは、自分の地域を自分達市民の手で【目指す街】へ作り上げようとする心意気であり、その心を共有できる友達づくりであり、人づくりであろう。
誰しも、この様な気持ちを持ち合わしている。言うなれば、それは地下の水脈みたいなもので、ある程度、深く掘り下げさえすれば、その水脈に行き着ける。地表に流れる川の水は、大抵は澱んだり濁ったり、時にはゴミさえも流れていたりするものだが、地下水は、とってもピュアーで、そのまま飲めるくらいに清らかで美しい。

この地下水の存在を見つけられた事が、今では私の掛け替えの無い財産だと思っている。安土塾の仲間、青年会議所の友達、PTAの友達、環境生協の仲間は、恋人にも近い存在である。

さて今回、【あづちっ子 ふれあいフェスティバル】を始めている訳であるが、その目的(地域社会の教育力の向上)を、もう少し掘り下げてみたい。

(下へ続く)
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目指す私たちの街の風景 (その2)

(上からの続き)

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/70.gif">

第一回【あづちっ子 ふれあいフェスティバル】を始めるにあたって、私は、こう言った。

「お祭りには神様がいます
 本イベントの神様は、子ども達です

 将来、合併が進み、行政の枠組みが色々と変わるでしょう
 しかし、地域社会の単位は、いつの時代も小学校区であります

 安土小学校の生徒500人に先生は30人足らずです
 しかし、町内の大人のみんなが先生になって下さい
 昔は、地域ぐるみで子育てがなされました
 誰もが、誰もの親であり先生であって欲しい」

だから、卒業式とか運動会の様なプログラムも組まず、子供の出席も強制しない。
体育館で、そして運動場で、また中庭で、【目指す私たちの街の風景】が繰り広げられるコトを期待した。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/38.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20"> <Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/80.gif">

はと笛を教える三村さんと、作って貰った子ども。
家に帰って、夜遅くまでピィーピィーと吹いたらしい。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/86.gif">

これは竹とんぼつくり。

構内のアチコチで、大人が色んな出し物で子供と接する。
竹とんぼ、竹馬、はと笛、南京玉簾、皿回し、お手玉作り、手品、紙梳き、etc。
もちろん、話し相手だけでも良いのだ。

新しく出来た木造の体育館に、地域の大人と子供が集って一緒に遊ぶ中で、ふれあいが始まる。

「あんた、家はどこや?」
「ぼくなぁ~、常楽寺なんよ。」

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/59.gif"> <Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/76.gif">

「これは、ほんまに牛乳バックなん?」
「そうやで~、ちゃんと残しておいたら、葉書きにもなるんよ」

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/88.gif">

(下へ続く)
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目指す私たちの街の風景 (その3)

(上からの続き)

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/85.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">

イベントは、ややもすれば【子ども】を【子ども達】と一括りにしてしまい勝ちになる。
子どもが沢山集まれば、子ども達と捉えてしまうが、しかし、「子ども達」と言う名の子どもは、誰一人として存在しない。

だから、狙いはどこまでも「一人の子ども」に徹したい。
一人の子どもが一人の大人と出会い、話したり、遊んだり。

ここに集まる大人は、ただ道で擦れ違うだけの大人ではない。
少なくても、子どもと接しようと心掛けた大人だ。
更に、そこには子どもが好きそうな小道具が色々と用意されているのだから、容易に友達になれる。

「一人の子ども」が「一人の大人」と出会い、2人に地下水が見つかったら、それだけで大成功だと私は思う。

私にとっての「一人の大人」は「平岩さんのおばさん」だった。
私の宝物と言っても良い位の素晴らしい方だった。
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