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創業祭 (その1)

昨日の27日(土曜日)は、創業祭の初日。
恒例の行事で、10月の最終週の3日間である。

少し雨が降ったものの来客数と売り上げが共に昨年よりアップして、『ほっ』としている。

今回、撒いたチラシは、B4を6万枚と二つ折りのB3を8万枚で、都合14万枚。これだけで、経費は軽く100万円を超える。そこにDMの2500部とか、抽選会の景品等、更に経費が嵩む。

小売業に限らず概ね商売と言うものは、先に投資しなければならない。
そこに見返りを予想しつつも、それは確実では無い。勿論、全てのイベントが成功するのは難しいが、失敗ばかり続けていると当然の事ながら大赤字に陥り、イベントすらも打てなくなる。寝具業界のみならず、国内の中小小売業は全般的に苦しく、廃業や倒産がますます増えているのが現状である。

ワタセは創業134年、私が社長になって30年、「ねむねむはうす」は平成元年に新築だから20年。なにも今に始まった事ではないが、商売は苦労が多く、一歩踏み間違えば、倒産の危機に直面する。

学生時代に読んだ外国のマーケティングの本の序文に、確か、こんな風に記されていた。

【闘牛場は、熱気に包まれていた。
 何万と言う観衆は、これから始まる死闘を今か今かと待ち構える。
 しかし、死を賭けて真剣なのは、闘牛士その人、たった一人である。】

私の友人も何人か、本当に命を落としてしまったから、中小企業の経営者は、この闘牛士と良く似た立場だ。
それを、『あぁー、もう嫌だ!!』と思えば、やってられないが、『まぁー、こんなもんよ。』とか、『おぉー、そんならそれで上等やんけ!!』と思うから、続けていられる。

これって、何も経営者に限らず万人にも同様だろう。
昔もそうだったし、世界を眺めても実際の所は、「この世は一寸先は闇」なのだ。人の一生なんて、ほんの僅かなものだし、いつ生まれて、いつ死ぬのかさえも分からないのだから。
日本でなく、あのパレスチナでも、あのイラクの中ですら、人が生きているのだから、もともと人ってバイタリティーの塊みたいなものだと私は考える。

(下へ続く)
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創業祭 (その2)

(上からの続き)

人は不安や疎外からのストレスから逃れ、安定を求めたがるものであるが、もしもノー・ストレスの状態になったとしたら、そこに待ち受けるのは痴呆しかない。テレビのコマーシャルで、ライオンとシマウマが抱き合っているシーンがあるが、見るたび私は気持ち悪くなる。やはりライオンは崖の上から孤高な雄叫びをして貰いたいし、シマウマには草原を颯爽と疾走して貰いたい。それぞれが、それぞれの境遇を精一杯生きてこその生である。
もちろん、過度のストレスで精神が参るようなら困るが、「人間社会が生んだストレス如きに負けてどうするねん!!」と、ふてぶてしく豪胆に生きたいものだと思っている。

自由との概念があるが、それは自由が何処かに忽然とある訳ではなく、自らが置かれた境遇の水際やせめぎ合いの周辺に、いっぱいある様な感覚を私は抱く。

ちょこっと道から逸れると危険を感じたりする自己規制の枠の外であったり、
また、
世俗から良しとされるところに逆らい、その反面、まるっきり無駄と思われることに夢中になり、
決して欲に組せず人間味に組し、花に惹かれ、暇すらないのに暢気な気分に浸って居られる余裕とか、

出所については、
ただ生きている事が嬉しかったり、楽しかったり、哀しかったり、等の「生そのもの」「歓びそのもの」「悩みそのもの」なんだろう。

と、言うコトで、今夜の日記は、私の一番忙しい日に際しての、精神の自由証明日記なんであります。
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安土小学校生からワタセの工場見学

今日は、早朝より小学生の工場見学。
もう随分と以前から引き受けていて、実はこの授業が私に「ふとん博物館」を創らせた切っ掛けなのである。だから、「ふとん博物館」は彼等小学生が創ったとも言えよう。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/152.gif">

写真の子供たちの手にしているのは小座布団。
昨年より、見学と説明だけでは面白くないだろうと、「手づくり座布団教室」を開催しているのだが、子ども達には、なかなか評判が良い。どうして、わざわざ「子供たちには」なのかと言うと、工場の女性陣には、あまり歓迎されない。中学生の職場体験は、人数も5人程度なのに、それが小学3年生で、しかも大勢だから、大変らしい。なんせ、針と糸なんか持ったことがない子供に、限られた時間で難しい座布団を作られようと言うのだから無理も無い。

本当は、9時半から10時半までの授業なのであるが、「それでは、とっても無理」と、12時まで掛かった。

私が工場に出たのは、案の定、少し寝過ごしてしまって、10時過ぎ。
もう、座布団づくりが始まっていた。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/158.gif">

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/159.gif">

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/154.gif">

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/157.gif">

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/153.gif">

まあー、こんな子ども達の顔をみると、工場の女性陣も頑張って教える他に術はない。
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国内の繊維製造業

一本の電話から大忙しの今日、であった。
先日、提案していたところの「みのむし毛布」が、春号(一月発行)に掲載して貰えそう、とのことで内地の工場と中国の工場とに大急ぎで連絡を取った。

計画は日本製。
ところが、内地の工場は製造キャパがない。工場閉鎖やリストラで人手不足の上に、仕事が入ったからと云って残業する気持ちすら無い。私も国内製造業者の一員だから、事情はある程度は理解できるものの残念でならない。涙を飲んで、その旨を伝えた。来年度は、この辺を踏まえて、一から製造工程を見直す必要があろう。

その点、中国の工場は元気だ。ジャケットでお世話になっている工場は、縫製能力の質も高く、人員も豊富であり、おまけに、こちらの要求となら、徹夜してでも叶え様と頑張って呉れる。
そんな訳で、中国製でも取り扱えるのかを、再度、検討して頂ける運びとなった。良い返事を期待している。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/151.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">さて、本麻の浴衣が仕上がった。
どうも、柄付けが地味で、イマイチである。
色と柄に付いては、再考が必要だが、生地の感触はなかなか良い。
昔は、本麻の浴衣を着る時には、その前に霧を吹き掛けたらしい。
「えっ? 着物に水?」であるが、麻は水に強くて速乾性があるから、霧を吹いておけば、着た時にとても涼しいらしい。(清水談)

「帯も、何か用意しないと!!」と、呉服問屋の清水君に、西陣帯の吉村さんの電話番号を聞いた。
年に一度の呉服展の時しか会っていないが、電話をすれば、「さるさる日記、読んでますよ!!」とのこと。彼は日記を通して麻の展開も既に承知で、説明も簡単に済む。
彼の云うには、浴衣の帯は博多献上が一般的とのこと。それでも、西陣で織った場合を考えてくれるとのこと。

チャイナフリーの影響で、日本の製造業界も明るいか? であるが、そうは簡単ではない。なぜなら、特に繊維関係の現場は疲弊しきっている。
疲弊しきっているとは云うものの、今なら、未だチャンスが辛うじて残っている。
なんと言っても、人だ。
企画、デザイン、製造、縫製の一連の人材が、日本に必要だ。
今なら、掘り起こしてでも見付かるチャンスが残っているし、今がラストチャンスなんだろう。そう思う。。
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第3回 安土っ子フェティバル (その1)

13日の土曜日は、【安土っ子フェティバル】。
今回で早や3回目とあって参加者も随分と増えた。

<A Href="http://nature.shiga-saku.net/">もすたん君のブログ</A> に、大きな写真がアップされているので、ご覧頂きたい。

彼は安土中学の3年生で、随分と歳が違うが私のネット友達である。
3日ほど前、掲示板で写真撮影を頼んだところ、律儀に来てくれた。もすたん君、天君、くま君の3名である。体育館の全体は、私のデジカメではとても一枚には納まらないが、一眼レフともすたん君の腕の成せる業か、見事に写っている。

当イベントの自慢は、「自由意志」と云うか、「自発的な思い」の積み上げにある。
主催者は、イベントの「趣旨、意味、方法」を町内の有志に伝え、それぞれが思い思いのコーナーを企画して、子供と触れ合うのである。

私の過去日記を検索したら、2006年2月18日に、その<A Href="http://www2.diary.ne.jp/search.cgi?user=107160&cmd=show&num=2006021861140246804&log=2009040302&word=安土っ子">趣意書</A>があった。現在は転勤されたされたが、当時の今宿教頭の熱心さに打たれて、『そんなら一肌脱いで見ようか!!』と、始めたのである。

予てより私は、地域社会の教育力の向上に対しての「企て」が必要だと思って来た。
安土小学校には生徒が500名で、教師が40名弱であるが、本来なら、生徒500名に対して、教師が500名居ても多過ぎることはない。しかし、予算の都合で、それは到底、無理であるが、幸いな事に、地域には「思い」や「能力」を持った大人が沢山居る。
問題は、その思いを行動として集める「企画力」が足らないだけなのだ。

当イベントのイメージは、2001年に開催した「安土小学校100周年イベント」に遡る。大抵の場合は、お決まりのセレモニーで終わるが、これも同窓生に依る自発的イベントの大集合と位置付け、結果として5000千名の参加を見た。

(下へ続く)
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第3回 安土っ子フェティバル (その2)

(上からの続き)

地域の人たちは、敬服に値する程に、皆さん、思いも行動力も見識もある。100周年イベントもそうだったが、今回も、色んなも催しが繰り広げられた。

屋外。

1、先ず食べ物では、揚げたての揚げパン(100円)の販売、ポップコーン、綿菓子の無料配布。
2、竹とんぼ、竹馬コーナーでは、お爺さんの指導で一緒に作り、作ったものはお土産に持って帰る。
3、環境生協は、紙すきコーナー。牛乳パックから葉書きが出来る。
4、大工さんと遊ぼうコーナー

屋内。

5、野点茶会。
6、囲碁将棋。
7、お箸の使い方。
8、輪投げ。
9、ロープ遊び。
10、ビーズ細工。
11、鳩笛
12、フェルトの工作。
13、赤ちゃんコーナー。
14、折り紙コーナー。
15、皿回し。
16、環境コーナー
17、フリーマーケット

等など、今、思い出せるだけでも、これだけはある。
それぞれコーナー担当者さんは、仲間を募って参加される。材料等は、この日の為に、随分と前から用意されているとのこと。
こうした出し物も楽しいが、地域の子供と一緒に遊んだり喋ったりするだけで、充分に意義がある。

イベントは土曜日の午後だから、勿論、子ども達は自由参加。
それでも、殆どの児童は、参加したらしい。
このイベントが契機となって、日頃の触れ合いが更に深れば、と願っている。
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脳内イメージの「憧れの君」 (1)

目に映る一日をカメラに収めたとしたら、
たぶん何十、何百ものコマになると思われる。

仮に一日を100コマと置くと、1年で36,500コマ、3年で約10万コマ、30年で100万コマとなる。これだけ膨大な量のデーターだから、とても顕在能力の範囲では収め切れない。しかし、忘れてしまっているのかと言うと、どうもそうではないらしい。



さて、あなたは今、高校生に戻りました。
3秒を与えますから、同級生の顔を思い出して下さい。

1、2、3

あなたは何人の同級生を思い出しましたか?
3人? 5人? それとも7人でしょうか?

たぶん、あなたは思い出そうと懸命に考えたに違いありません。
考えて思い出せる人数は、それほど多くは無理だと思われます。

そこで、もう一度チャンスをあげます。
今度は、顕在意識ではなく、潜在意識を使って思い出して下さい。

雰囲気を言うと、「考える」のではなく、「眺める」のです。
一つ深呼吸をして、思いっきりリラックス!!

では、3秒を与えます。
始めて下さい。

どうでした? 何人の顔が見えましたか?

ひょっとして、50人? 100人? でしょうか?

昨日、私も同様の実験をしてみました。
ほんの数分の実験でしたが、最初、考えれば数人で、眺めれば50人と言う結果が得られました。

試験者に聞けば、「卒業写真の光景を思い浮かべた」であるとか、「亡霊の様にクラスを鳥瞰した」でありました。

では、もう一度、3秒を与えますから、充分にリラックスして、挑戦してみて下さい。

どうでした?



脳であるが、人は一生の間に10%程度しか、使っていないと言われている。
逆に言えば、現在の能力開発プログラムとか教育プログラムで、能力の10%を引き出すことに成功したとと理解できるが、しかし、90%近くは、未だ潜在能力として眠っているのは確かである。

もしも、20%とか30%、ひょっとして60%も開発できたとしたら、空を飛んだり瞬間移動とかも可能だろうか?、なんて妄想も抱いたりする。この開発プログラムであるが、従来のソレとは全く異質な方法であろうと、私は思う。
常々、私は、人は能力を分ち持っていると考えているのだが、それは人の能力の殆どが未だ未開発であることに依るのである。

この先、もしも潜在意識開発プログラムが開発されれば、現在のトップとビリの逆転も、あり得る話だ。

(続く)
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脳内イメージの「憧れの君」 (その2)

(上からの続き)

随分と横道に逸れたが、脳内イメージの「憧れの君」についての話に戻そう。
この場合の、「ふと思い出す」も、顕在意識で考えたものでなく、潜在意識で思いついたものである。

さて、私の「憧れの君」も、多い時で一年に一度、少なくても二年に一度は、思い出す。

そして、思い出す度に、『そうそう、そんなことがあったっけ。』と懐かしくなり、同時に、あの時に感じた「眩しさ」とか「憧れ」みたいな感覚に私は浸る。

あの日は、私は東京に居た。
それも後楽園の遊園地で、現在では東京ドーム。

私は、中学の1年か2年
父と製綿機械の展示会を見に行った帰りに後楽園に立寄った。

東京の遊園地だから色んな乗り物がいっぱいで、
私は戸惑いながらも目をらんらんと輝かせていた。

「何に乗っても良いよ」と言う父に、
『なににしようか?』とうろうろする中学生。

すると、向うから「キャッキャッ」と女性の笑い声がして、
どんどんと声が近くなり、見れば、綺麗な娘さん。

鼻の上に皺を寄せて笑っているから、それがなんとも可愛いかった。

『なんなん?』と思う間もなしにズンズンと距離が迫り、
綺麗なスカートも
可愛い顔も私に近付き、はち切れんばかりの笑顔から声がした。

「・・・チケット・・・・・・・・・・いらない?・・・」

私は、ただ見惚れていたから、彼女が何を喋ったのかを良く理解できないでいた。

『・・・・?・・・・?・・・』の顔をして、彼女を見た。

近くで見ると、この彼女、ほんとに綺麗だった。
おぼろげではあるが、
髪は、ストレートで肩までかかり、ブラウスの上から赤いカーディガンだろうか。
スカートの浪は、舞台の幕の様に流れていて、その下には編上げの茶色の革靴。

その彼女の横にも、綺麗な娘さん。
二人とも、女子大生かと思われた。

僕が、そんな調子だから、彼女達は父に説明した。
なんでもフリーチケットを買ったものの、余ったから使わないかと言う申し立て。

そして、
「バイバイ」と手を振って、人ごみに消えて去った。
私は不器用に手を振り、見送った。

私の「憧れの君」が去った後、
父「東京には凄いベッピンがいるな~」と、私に言った。

「うん」と返事した私であった。
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脳内イメージの「変な奴」と「憧れの君」 (1)

僕の脳内のイメージがどんな感じかと言うと、ちょうど今頃の満天の星空みたいに限りなく広がっていて、潜在意識では全てが見えているのに拘らず、私の関知するところの顕在意識ときたら、ほんの少しの星しか見ていない。更に、記憶を雪に例えるなら、脳内イメージは降り頻る限りない雪の∞数を感知している筈なのに、人はその中のほんの僅かの雪だけを記憶に留めているに過ぎない。
それは、眠っている時の夢に現れる奇妙な情景を考えても、充分に納得できる。夢は記憶を整理していると言われているが、寝ている間ですら、あれだけの記憶が思い浮かぶのだから、覚醒している時のイメージは尚更だろう。

と、僕がこんな妙な考えを持つに至った経緯は、定期的にふと思い浮かべる「なんてコトのない人間達」の出現に因るものである。たぶん、皆にも、そんな経験があろうと思う。

こんな風に書き進めると、読み辛いと思い立ち、ここから少し空白重視で、続けてみる。

僕の場合
何気なく『ふと』思い出す君がいる

そんなことって
誰しも良くあると思うが どうだろう

僕にとっての君は
変な奴と憧れの君

思うに
人の心とか脳の内には

過去の記憶が
降りしきる雪の如くに舞っていて

その一粒が
何かの拍子に掌に乗っかり

『あれっ?また 君なの?』
と 僕は決まって挨拶する  まあ~こんな感じだろう

どうして『あれっ』なのかは
君の名前も顔すらも思い出せないから

普通なら君のことなど
遠の昔にきれいさっぱり忘れ去っている筈が
溶けない雪の結晶となって
僕の脳裏の奥深くに棘となって収まっている

棘といえども
なにせ雪の結晶だから
思い出す度に
淡い気持ちに包まれる

僕は雪に出会って
はじめて掌の温もりを自覚するのかも知れない

例えるなら
出来の悪い幼友達に出合った様な
また初恋の君に
何十年ぶりかで巡り会ったかの様な

そんな懐かしくも嬉しい
なんとも平和な時間が僕の心に流れる

そんな君が 私には二人いる
だから僕は 君達と呼んでいる

一人は「変な奴」で
もう一人は二人連れの「憧れの君」

多い年で 一度か二度
少なくても 二年に一度は思い出す

だから、君達よりも良く知っている友達に関しては、多分、もっと頻繁に思い出している。しかし、思い出した所で、そこに違和感がないから「あれっ?」とは感じない。

(下へ続く)
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脳内イメージの「変な奴」と「憧れの君」 (2)

(上からの続き)

と、途中から随分と文字間を空けて書き進めたものの、少し疲れたから、以後は普通に書いてみる。

それでは先ずは、「変な奴」の話。
「変な奴」と書けば、そこに幾許(いくばく)かの侮蔑が込められていたりする。
侮蔑は軽蔑と同じ意味あいで、(相手を自分より劣ったものとみなし、さげすむこと。)とある。なにも自分より劣っているとは思わないが、強いて言うならば『それは、ちょっと普通じゃないやろう』程度の感じだ。ただし、それが人や動物に危害を加える類の場合は、「ちょっと引くなー」となり、「変な奴」は「変態」へと成り下がる。

この場合の「引く」であるが、「その引き具合がどれ位か?」は、人それぞれ感じ方が違うから難しいが、まあー、一般的に許される範囲内の「この微妙な程度」が面白かったり、また過ぎれば、怖かったりする。

さて、私が何を言いたいのかと言うと、この「変な奴」に対して、普通の時には「うざったい」と思うものの、その「変な奴」の存在そのものが、時として『ほっこり』とか『ほんわか』とした癒し系となる。

もう少し詳しく言うならば、この「時として」とは「どんな時」なのかに付いての分析が必要だろう。
そこで「この時」について説明すると、仕事とか作業とか遊びに夢中になっている時ではなくて、ぼんやりとした状態で、それも取り留めなく手持ち無沙汰で、『うーん、ちょっとツマンナイかも・・・。、』的な心理状態の中で、『ふと』我を忘れて夢想にふけり、何故か癒しを求めたくなる「そんな時」だ。潜在意識が表れやすい時なのかも知れない。

随分と前置きが長くなったが、そんな時に私が思い起こすのが「変な奴」であったりする。彼は、「鉄道オタク」。

この彼とは殆ど面識が無く、顔も憶えていなければ名前も知らない。
20年くらい前に、その彼の友人から、彼の鉄道オタク振りを聞く事になり、それが彼の認識の最初であり、それだけ。

長浜青年会議所の友人と話していた時、君(変な奴)の話になった。

友人「○○君、を知ってるか?」
私「うん、○○君…? うーん、よく思い出せないが、おとなしい奴かな。」

(下へ続く)
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脳内イメージの「変な奴」と「憧れの君」 (3)

(上からの続き)

友人「そうそう、かなり根暗な感じ。
 でも、あいつ、とっても面白いんだぜ。 もう40近いのにずっと独身で、この前、あいつの家に遊びに行ったんよ。
 鉄道模型マニアとは聞いていたんだが、アソコまでとは思わなかった。
 
 驚いたよー!!あいつ。、先ずは鉄道員の服に着替えるんだぜ。
 「ピィー」と笛を吹いて、「しゅっぱーーつ」と大声を出したりして。
 見れば、部屋の壁に穴が空いてて、向うの部屋から「ガタゴトガタゴト」と列車の音がして、列車が来るんだもん。
 部屋の中を2週ほどしたかと思うと、今度は別の穴から出て行くよ。
 うん、あの穴はトンネルなんだよ。
 
 そして、向うの部屋を見せて貰ったんやが、これがまた凄い。
 街があって、川があって、山もあって、人とか牛とかいっぱいなんだぜ。」

なんて、こんな話だったと記憶している。
私の場合、実際に見た訳ではないから、余計に想像が膨らんで、凄いジオラマになってしまったり、である。

友人「あいつ、何時までも あんなことしてて良いかね~。」であるが、「それって、いいことなんだろうよ、たぶん。」と答えた記憶がある。

この「変な奴」を、どういう訳か、時折、思い出す。
そして思い出す度に、
『あの変な奴は、今でも鉄道オタクなんだろうか?
 うん、そ奴は生きてる限り、そうに違いない。』

そんなことは、実際はどうでも良いのであるが、こんなことを思い出している自分までもが馬鹿らしくなると同時に、それなりの至福に近い満足を覚えるのである。

そうそう、もう一人は「憧れの君」だっけ。、
そろそろ夜が白むから、この話はまた明日。

えっ? 誰も読んどらんって?
まあー、そう言わんと!!
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またまた財布を…。、

昨夜、『さあー、パチンコでもしようか!!』と台を物色し腰を下ろした。

おもむろにバッグのファスナーを開け、
財布を取り出そうとしたが、
『あれ?? 財布がない。、』と、はじめて気が付いた。

『うーーーん っと、
 今日は、財布を一度も出していないしぃ…
 と言うコトは、  昨夜?
 
 で、昨夜は何をしていた?
 うん?
 ・・・、そうそう…、昨夜もパチンコをしてたなぁ…。、

 もしや、昨夜のパチンコ屋に忘れた?
 かも知れん、 何年か前にも、そんな事があった。

 そうそう、あの時は、パチンコ屋が預かっていて呉れたんだ!!』

と、思い当たる。

昨夜は、仕事の都合で、愛知川のパチンコ屋だが、しかし、一昨日は五個荘のパチンコ屋。

『今回も財布が出て来れば良いのに・・・』と、淡い期待を抱きながら、取り合えず聞きに行ってみた。

カウンターへ行けば、カウンターには女の子の店員。

私「昨夜、財布の忘れ物とか落し物が無かったですか?」

すると店員は、引き出しからファイルを取り出した。
『ふむ。、忘れ物ファイルかいな?』と返事を待つ。

すると、
店員から「お名前は?」と聞かれ、
『なんで名前なんか聞くんや?』と思いつつ、私は直ぐに「つじです。」と応えた。

店員「タカシさんですか?」
『えっ? もしや、あったん!!』と期待しつつ、私「あるの?」

店員「はい、コレですね。中をお確かめ下さい。」

見れば、3万円ほどの現金も数枚のカードも、無事。
パチンコ台の前に玉入れ用の箱が置かれてあるのだが、どうも私は、その箱の中に財布を置き、そのまま帰ったらしい。

私「どうして名前を知っているの?」
店員「カードに記載されてましたから。」

と言うコトで、私の財布は無事に帰ってきた。

めでたし!!である。

ひょっとして大祖母さんが守護霊になって守って呉れた。
なんて、思ったり。、
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社会って? (その1)

テレビでは、極悪な殺人が毎日の様に報道されている。
こんな風に繰り返し知らされると、誰しもが「日本って、なんて物騒な国なんだ」と思ってしまう。

昨日も書いたが、統計的には日本の殺人事件の発生率は、世界に比べて格段に低い事実を、先ず、私たちは認識すべきだと私は思う。
かと言って、私は何も現状を肯定せよ、と言うのではない。私も、犯罪を事の外、嫌い、そんな事のない社会を希求している。

犯罪にも、金銭欲、物欲、性欲絡みの単純犯罪から、痴情のもつれや生活の疲れから起こる内輪の犯罪、更には強者が弱者をいたぶる犯罪まで、その種類は多い。

被害者に目を移すと、加害者に比べて圧倒的に弱者である場合が殆どである。だから単純犯罪の場合は、女性、子供、老人が狙われる。

私の住まいする安土は人口1万2千人であるが、警察から要注意と目されているのは100人程度。これは、人口の1%に相当する。何か犯罪が起これば、彼等が先ず調べられる。
これを日本に置き換えると、100万人の要注意人物が居ることになる。この人たちは、精神に問題があったり、前科があったり、と様々だが、この要注意とされる方であるが、それ程に心配する必要もないのが現状で、寧ろ、生活弱者である場合が殆どだ。

だから、殺人事件の加害者となり得る人物と言うと、その人口比の%は、グンと低く、私の知り合いを見回しても、皆無に等しい。

人には持って生まれた資質があり、家庭や地域社会や学校等で教育を受けて一人前の社会人へと育つ訳だが、この資質も環境も、人それぞれに違う。
男であったり女であったり、体力が優れていたり劣っていたり、容姿も違う様に、それぞれ持っている能力も違う。

この資質や環境の違いに付いて、「人は生まれながらにして不公平だ」とも言えようが、近代国家では、これを解決すべく、憲法で<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9"> 基本的人権</A>を採択している。残念ながらまだまだ充分でないが、歴史を振り返ると、それなりに進歩しているのも事実である。

(下へ続く)
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社会って? (その2)

(続き)

だから私は、闇雲に「人は生まれながらにして不公平だ」とは思わない。寧ろ、それが社会の姿だろう、とすら考える。

人は、生まれる国も、家庭も、環境も選べない。
私自身、選んで生れ落ちた記憶もない。

そこで資質や環境に付いてであるが、
私は「人それぞれの能力の違い」を「人それぞれが、分かち持っている」と理解している。

能力の有り無しであるが、それは普遍的なものではなく、偶々、その時代に合った能力が評価されるだけの事で、何も能力がないからと悲観することはない。

しかし、努力しなくても良い、と言うのでない。

努力はすべし、であるが、
何の為の努力なのかが、見失われつつあると私は考える。

能力は、
金儲けして、贅沢三昧して、楽をする為に使うものではない。

こんな事は学校では習わない。
それでも思い出すのは、私の場合は我が家の家訓。

叔母から教えられた「カシコは阿呆の使い」である。多分、これは、昔から地域に言い伝えられたものだろう。

「昔は、みんな尋常小学校を卒業したら、仕事したんよ。
 だから、小学校の修学旅行は最後の楽しみなんやけど、お金が無くて行けない子も多かった。
 お祖父さんは、旅行に行かせたれと、そこの家に、こっそりお金を渡してたんよ。
 皆の役に立ってこその能力なんやで。
 だから、気張って勉強して、人の役に立つんやで。」

それに、近所に居られた平岩さん。
貧しいながらも、幼い私にとりわけ優しくして頂いた彼女の存在は、健全な地域社会の在り様を十二分に教えられた。

力もなく、能力も無いのは、何も人事ではない。
誰しもが、幼児の頃と老人になれば、その様になってしまう。更には、病気にでもなれば、誰かの世話にならなくては生きてすら居れない。

誰しもが健康で自由な生活を送れる社会や国家を作る為に、その能力を発揮すべしだと私は考える。

生まれながらの犯罪者は殆ど居ない。
不幸にして、成長の全ての段階で×が積み重なって犯罪を引き起こす。

不幸な×の連続、
××××××××××××××××××××××××××××

この過程の何処かで、たった一つでも、たった一人でも「○」に出会えれば、また違った人生があったかも知れない。

社会の一員であることは、自らが「○」たらんと欲して努力することであり、現在の日本の繁栄は、そうした先人の成果であると私は考える。
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裁判員制度 (その1)

2009年5月までに日本でも裁判員制度が採用される、
とあって、最近、裁判に付いて少し考えている。

今、話題になっている裁判と言えば、やはり<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6">光市母子殺害事件</A>だろう。
被害者の本村洋さんは、よくテレビで見かけるが、私はさぞや無念だろうと心から同情している。

さて裁判であるが、差し戻しになり、
この度新しく担当した弁護士に対して、日本中にバッシングの嵐が吹き荒れている。
何でも、死刑廃止論者だから、それだけの理由で弁護を引き受けた、と。
マスコミを見聞きする限りでは、とんでもない悪徳弁護士に思えてくる。

そこで安田好弘弁護士に付いても、調べてみた。
顔を見る限り、なかなか良い面構えで、それ程の悪党に思えない。殺人事件は、弁護士報酬が少なくて割に合わない為、大抵の弁護士は嫌がる中で、誰しもが正当な裁判を受けられる様にと、彼は引き受けている。

『へぇー』と、思いつつ、
それでも『もしも私が陪審員なら、どうだろう』と、暇を見つければ考えた。

問題は、死刑の是非と事実の認定を別の問題と考えねばならないだろう。

(1)死刑に付いては、「それが犯罪抑止力になるかどうか?」だろうが、これが行き過ぎると、昔の様に市中引き回しの上、公開処刑とか、晒し首にしたりとかの野蛮主義の復活になる。私としては、どうも得心できない。

最近のニュースを見ていると、日本は殺人事件が恐ろしいほどに増えている様な印象を受けるが、しかし、凶悪犯罪に付いては、先進国の中でも注目に値するほどに、犯罪率が低く、更に言うなら、犯罪加害者の出所後の再犯率も、世界に例を見ないほど低い。これは、日本の地域社会が良い意味で成熟している証しと自慢できよう。
だから、マスコミの報道に対しては、国家、公安の意図があり過ぎる、と思ってしまう。

A・カミュは死刑について、「衝動的な殺人は認めるが、論理的な殺人は是認しない」と述べている。論理的な殺人しは、国家による殺人、即ち死刑を意味する。

しかし、日本の法律は死刑を存続しているのだから、極刑は死刑だ。
『もしも私が陪審員になったとしたら、果たして死刑を求刑でるだろうか?』と、悩む。

(下へ続く)
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裁判員制度 (その2)

(上からの続き)

(2)今回の裁判での争点は、事実認定だ。
安田好弘弁護士曰く「殺人と傷害致死は全く違う」
だから、その点を徹底的に明らかにしたいとのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=6lRm3zdRq3c&mode=related&search=

http://www.youtube.com/watch?v=qoM0NhC5XJg&mode=related&search=

[YOU Tubu]で安田好弘弁護士の会見を見つけたので、暇があれば見て頂きたい。
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