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石榴 水 ミンミン蝉 (その1)

小春さんの12月15日の日記に「石榴の赤」が書かれていて、その日、遠い日の記憶が蘇えり、「石榴 水 ミンミン蝉」を書こうと思った。

私は、「石榴 水 ミンミン蝉」これらの3つに特別な想いを持っている。
それぞれは随分と昔の幼児期の体験であるが、しかし未だに鮮烈であり、その美しさと儚さは、命ソノモノの輝きであったかと思われる。

我が家の裏庭には石榴の木があり、沢山の果実をつけた。
固い外皮であるが、熟れると無数の柔らかい水泡の様な実に押し破られ、不思議な事に弾ける。だから、幼い私の手でも、少し力めば、皮が剥けた。
「メリメリッ」と皮を剥けば、中は茜色の夕焼けそのままを宝石箱にした様に、実がいっぱい詰っていて、その美しさに目を見張った。一粒一粒が薄い膜に覆われ、その中は種が入っているのだが、その種に光が反射して、まるで種が光輝いているかの様にキラキラと眩しくて、私はと言うと、実の薄膜を壊さないようにと、小さい手で一粒を丁寧に取り出したものだ。その実をレンズに見立てて太陽を覗いたり、また宝石リングみたいに人差し指に乗せてみたりと、得意だった。

子供の頃は、色んなものに感心が強くて、水道の蛇口から流れる水ですら、よく遊んだ。
ゆるい目に水を出し、スプーンで受ければ水の傘が現れ、スプーンを上げ下げすると、傘が開いたり閉じたりと、まるで曲芸師になったみたいで嬉しかったし、何よりも透明感溢れる水に見惚れていた。

石榴も水も未だにその美しさを覚えているが、とりわけ印象深いのは、ミンミン蝉だ。
あれは私が未だ幼稚園くらいの夏の日、二歳年上の近所のY君と蝉捕りに出掛けた。アブラ蝉やニイニイ蝉は簡単に捕れるから、クマ蝉が目当てで、浄厳院(お寺)へと向かった。

私「なぁー、Y君。クマ蝉が捕れるといいなぁ~。もしも2つ捕れたら、僕に一つおくれな。」
Y君「なんや、たー坊は、クマ蝉が欲しいんか。そんなん、これまで何回も捕ってるから、今日も取れるよ。」

(下へ続く)
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石榴 水 ミンミン蝉 (その2)

(上からの続き)

聴きなれない鳴声に誘われて、Y君が網を出せば、今まで二人とも見たことも無い蝉が捕れた。クマ蝉みたいに大きくて、羽が透明だが、羽の網膜と身体が、エメラルドグリーンに輝いていた。後ほど、図鑑で調べたところ、ミンミン蝉だと判ったが、二人は見たことも無い蝉に興奮した。「わーい、大発見や!!」と大はしゃぎした。

私「なぁー、Y君、僕におくれ」
Y君「あかん、これはわしが捕ったから、わしのもんや。」
私「そんなん、ずるいわ。僕に呉れると言うたやん。」と埒が明かない。

そこで、私「そんなら、半分ずつしよう!!」
Y君「そんなこと、出来る訳がないやろう。」

どうしても貰えそうも無かったから、悔しくて私は、蝉を半分に千切った。
私は半分になった蝉を差し出し、「これ、Y君の蝉や!!」

Y君は泣き出し、蝉を受け取らずに走って帰った。
私の手元には、二つに千切れた蝉。
あれほど綺麗に輝いていたグリーンが、見る見る黒ずみ、最早、鳴きもせず、ただの死骸になってしまい、そっと草むらに置き帰った。

時間にすれば、ほんの一分足らずであったが、命の煌びやかな輝きと、輝きが死骸へと無残に色褪せて行く変化と、自分の手で蝉の全てを損なってしまった残酷さは、私の脳裏深くに刻み込まれた。

時系列で並べれば、たぶんミンミン蝉が最初の出来事で、だからこそ私は、石榴の茜色や躍動する水の透明感に惹かれたのだろうと、思われる。

私にとっての美しさは、こうした幼児期の記憶が原体験となり、命あるモノの在るべき姿が基本になっていると考える。それは、愚かな欲望でもって一瞬にして損なえる怖さも孕むが故に、私は在るべき姿に付いて思考を巡らせて来た積りである。

ミンミン蝉がエメラルドグリーンに輝くのは、木々の上や空の中であって、決して人の掌や籠の中でない。
同様に、人が、私が、もしもミンミン蝉の如くに輝けるとすれば、それは自由に生きることだろう、と何時も私は考える。

自由と言う概念は、これがなかなか難しくて、欲望を通せば良い訳ではなく、寧ろ欲望を抑えることも肝要で欲に捉われず、常識とか時代の倫理に縛られない反逆の精神も必須となり、人と接するにも相手を束縛せず生かし切り、自らは、この時代に踏み止まり世間から逃げず、流れる雲の如くに飄々とであるが、しかし、目指す道程は見失わない。

(下へ続く)
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石榴 水 ミンミン蝉 (その3)

(上からの続き)

さて、幼児期に、果たしてココまで『子どもが、こんな事を考えるなんて…』と、思われるだろうが、子どもでも、それなりに感じ取れると、私は思う。もちろん、今、日記を書いているのは、今の私に他ならないが、昔の記憶を辿れば際限が無い。

子どもの頃の私であるが、結構、多感な子どもで、『ひよっとして今の私よりも大人だったかも…』と思える節が多々あったりする。
生い立ちの所為か、人の優しさに敏感だった。この話は、少し長くなりそうなので、また別の機会にしたい。

では、また。
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千の風 (その1)

町内に国道8号線へと抜ける脇道があり、私は彦根方面に出る時によく使っている。
500mくらい真っ直ぐで、国道の手前200mの辺りに小さな欄干があるから、そこが川だと初めて気付く程の平坦な道路である。

さて、この欄干であるが、いつも花が供えられ、その花が枯れることがない。それも、最近の事ではなく、もう長い。
時折、欄干の前にうずくまり、お参りされている光景に出くわす。それほど広い道路ではないから、どうも危ない。

『きっと、誰か亡くなったんだろう。』と思い当たる。

それにしても、随分と長い間、こまめに花が供えられ、缶コーヒーや缶ビールも置かれてたりする。

『いったい、どんな事故だったんだろう?』と気になり、先日、ちょうど、その近くに住む弊社の社員に聞いてみた。

すると、もう2年以上前の10月、町内の運動会があった日の早朝の4時か5時あたりの交通事故で、20代の若者が、一人で欄干に激突し、亡くなったとのこと。

「安土の子か?」と聞けば、「愛知川か秦荘の方らしい。」
愛知郡は安土から20分ほどの町で、この道を通るのは、近江八幡からの帰り道だったか、と予想される。

普通、一年くらいは花などが供えられたりするが、2年以上、しかもこれほど頻繁に続くとは、落胆振りが如何程に大きいかと、面識のない私までも胸が痛む。

お参りされている方だが、走行中ゆえ、よく見てはいないが、『たぶん、お母さんなんだろう』と思われる。

最近は、花が飛ばされない様にと、欄干にヒモで括られ、その花束が三対もあったりする。

欄干は白っぽいコンクリートで、幅は25cm、高さは1mほど。
私には、墓石に見えてしまう。

これに類した話は、[ねむねむはうす]にもある。

あれは、もう10数年前のことで、クリスマスイブの夜10時ごろだったろうか。
ねむねむはうすの前で、一人の若者が車にはねられ、亡くなった。

彼は、町内の若者で、弊社のバイト学生(N君)と友達だったから、いつも彼女を連れて遊びに来ていた。
その夜も、彼女と待ち合わせをしていたのか、外に出ては、車を見ていたのだが、その日は雪が降り積もっていた為に視界が狭く、知り合いの車に手を振ったものの、彼の姿が確認されず、撥ね飛ばされてしまった。

(下へ続く)
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千の風 (その2)

(上からの続き)

彼も彼女も、Nの親友で、暫らくは、みんな落ち込んだ。
Nは「彼女は、もう結婚、出来んかも知れん。」と、同情した。

暫らくは、あの欄干みたいに花が供えられた。
私も、彼等と親しかったから『ここに、お地蔵さんでも…』と、思った。

ちょうど、そんな折に私の父と出会い、その旨を話すと、
「そんな事をしたら、何時までも若者は成仏できんやろうし、彼女の為にも良くない。」
との内容の返事で、いつも反発する私であるが、これには妙に納得した。

あれから10数年、Nも結婚し、彼女も結婚し、子供も儲け、みんな元気に暮らしている。

親と彼女では、その想いが違うのは、よく解る。
私にも、不幸なことに二人もの息子を亡くしてしまった友人がいる。一人は幼い時に交通事故、もう一人は大学生の時に自ら命を絶ち、と、想像もつかない悲しみを背負う羽目になってしまった。
しかし、それでも挫けず頑張っている彼を、私は尊敬し、応援している。

私の父は、もう亡くなったが、私は元気に暮らしている。

人は、生きていようが、また、亡くなったとしても、みんなの幸せを願う存在でありたいと私は思う。
生きていて、俗念に縛られた生身の人間が、こんな風に思うのだから、仏や神の世界に旅立った故人は、尚更だと思われる。

千の風になって、

・・・
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
・・・

だから、
生きている私たちに出来るのは、懸命に生きることであろう。
その中で、
何某かでも人の幸せに繋がれるとたら、それが本望だと思う。

これは、なにも、
父親の墓参りを疎かにしている言い訳ではない。、

少し、お節介を言わせて貰うと、
欄干で亡くなった若者も、きっと風になり、陽射しなり、雪になって、みんなの幸せを願っている。
だから、もうそろそろ、欄干から開放してやって欲しい。

そう、思った。

今年も、早や12月。
イブには、また雪が降るのだろうか。
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瀬田しじみ

この頃の私は「しじみ」に凝っている。

これまで食事の材料なぞ買ったことがない私なのに、今月は3度も買った訳で、それほど美味しいと気に入っている。

私は、10日に一度のペースで、4カートンの煙草を買う。
行き先は、高校の同級生が営んでいる武佐の店で、彼の家族と、もう一人お惣菜作りのオバサンが居られる。

行けば、彼はコーヒーをいれて呉れ、ストーブの前で無駄話。
たいていが夕方で、食事抜きの私は腹が減るので、お惣菜作りの調理場へ行き、から揚げなどを適当に摘む。まるで自分の家の様にタダ喰い。、
最近はオバサンとも仲良しになり、「ちくわを揚げようか?」「この芋も揚げたら美味しいから、ちょっと待ち!!」と、サービス満天。

と、こんな風に気侭に腹拵えを済まし、コーヒーを飲み、無駄話を咲かしている訳だが、この時期になると、大きめの洗面器に水をはって「しじみ」が売り出される。

私「ちょっと、小さいなぁ~」と言うと、
片岡「大きいのを選ればよいやん。」
私「そりゃー、面倒やでぇー。」と、決まった会話。

そこで昨日は、行く20分前に、「これから行くけど、しじみはあるか?」と電話。

すると、案の定、「おい、いかい(大きい)のばっかりを選っといたでぇ~」であった。
やっぱり、持つべきは友達だわ。、

蛤もアサリも、それなりに美味しいが、やっぱり「しじみの味噌汁」は格別である。
味もきつくなく、くどくなく、少し川土の臭いが懐かしく、昔、琵琶湖で採った頃を思い出す。



どうです、今晩にも、しじみ汁は如何?

健康にも良いそうです。
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環境生協

来週辺りから、忘年会が続く。
師走で忙しいと言いながら飲み会続きなんて、少し世の中間違っていると思ったりするが、まあ~これも決まり事だから致し方なし、なんだろう。

さて一昨日は、環境生協の研修会。
20年続けてきた環境生協であるが、そろそろ発展的解消しようとの目論見で、引き継ぎ方を一泊で議論した。

場所は、<A Href="http://08-09.xrea.jp/hikoneringo/">「彦根りんご」</A>の 尾本が作った林檎ハウス。

理事メンバーの半数以上は女性で、みなさん、私より年上。、
だから、食事は、女性陣の手料理となる。
しかし、藤井理事長をはじめ、女性議員であるとか、みなさん仕事を持っている方ばかりで、全く、家庭的な感じでない。

そんな訳で私は、『手料理なんて言ってるけど、さぞかし酷いもんなんだろう』と覚悟しつつ、の参加であったが、ところがどうして、なんと大したもんで、おばんざい料理のどれもが格別に美味い。

理事の一人が、大根サラダを刻んでいたところ、理事長が選手交代した。
私「藤井さん、口では刻めんでぇー。」と言い掛けたのだが、信じられない光景を目にしてしまった。

包丁さばきが凄い!!のである。

私「ええーー、凄いやん!!」
理事長「だって、毎日、7人分の食事を作っていたんやで。」

私『ふーーーん。、』と暫らく見惚れ、『へぇーーー』としか言いようが無い。

元女性町長のおばちゃんの漬けたと言うキムチであるが、「美味い筈がない」ところが、これまた「美味い!!」から驚き。

私「どういうことなんよ。美味いがな。」
元女性町長「こう見えても、調理師の免状も持ってるねん」

全く、「へぇーーー」である。

まあ、しかし、私の口が美味い、も、そうそうあてにならないものの、『みえさんをはじめ、これが日記仲間の料理上手さん達なら、どんなに美味かろうなぁ~』と、想像に耽った次第。
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いよいよ師走 (その1)

私と言えば、相変わらず慌しい毎日を送っている。

会社の催事であるが、今月の1日から昨日までが、東京西川の健康フェアー。
その最終日の昨日は、京都西川の研修会と重なり私は京都へ出張、と忙しい。

フェアーの結果であるが、みんな頑張ったみたいで成功裏に終わり、先ずは一安心と言うものの、今週末から歳末セールが始まるから、息をつく暇も無い。

さて、昨日の京都西川の研修会だが、全国の寝具店の200名程が、会場となるホテルに集結して、「ローズテクニー販売24周年」を記念してのもの。その中で、ワタセも表彰して貰えると言う事だから、フェアー中であるにも拘らず出席したのであるが、もう一つの楽しみは、『久々に石橋会長に出会いたい』との気持ちもあった。

京都西川の石橋会長は、ワンマン社長で今年75歳。ひょんな喧嘩をして以来、氏とは大の仲良しになり、今では、仕事を超えて可愛がって貰っている。何にも媚びない私に信頼を感じ取れたのだろう。

体調も思わしくなく、『ひょっとして、これが最後の出会いになるやも』との心配もあっての京都行きで、案の定、随分と弱って居られた。
これまではノッシノッシと居丈高に歩いておられたが、昨日は、一歩一歩ですら秘書の手を煩わす程で、身体も小さくなられていた。

前の席にようやくの感じで座られ、俯き、辛さが隠せない。
暫らくして会場を見られ、そこで私に気付かれた。

即座に私は、『ヤバイ・・・。、』と思った。
それは、『もしや、また、そんな身体なのに立ち上がり、私に喋りに来られるのではないだろうかは…』と心配したからだ。

私の心配は、やはり的中してしまった。
不自由な身体ながらも席を立ち、ヨロヨロと歩き出される。

大広間は、もう始まりの時間なのに、肝心の会長がそんな事だから、一同、静まり返る。

『ほんまに、親子のご対面じゃあるまいし、あーあ・・・。、』である。

(下へ続く)
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いよいよ師走 (その2)

(上からの続き)

やっとの思いで、私の元に辿りつかれ、
会長「どや、タカシ君。 少しは朝早く起きとるか? やっぱり、昼の1時か?」
私「いや、12時くらいですわ。」
会長「そうか、一時間、早くなったのか~。今度、会う時には、もう30分早起きするように。」と笑い、「でも、よう来てくれた。」

衆目は、まさか、こんな下らない会話がされていようとは、誰も思わない。
こんな関係も、世の中にはある。

そんな会長の式典でのご挨拶。

「諸君、一生懸命だと、どんな壁にぶち当たろうが、そこには必ず知恵が生まれる。知識とは、違う!!
 それに反して、中途半端な努力しか出来ない人間は、愚痴を言い、言い訳をする。」

仕事一筋に生きて来られただけに、言葉の迫力が違う。

話は逸れるが、氏の奥さんは、早くからアルツハイマーを患われ、同居の娘さんには、今年、先立たれ、と御不幸が続く。不自由になられた身体ゆえ、ネクタイすらご自分で結べず、秘書に巻いて貰われて居られる。

人からは順風と思われる人生であっても、実際には傷ましいコトが多々ある。

式典後、
会長「残されたのは、私の不自由な身体と、小学4年生の孫だけや。」
私「お孫さんの結婚式まで、長生きして下さい。」

引き続いての分科会。
不況業種だけに、暗い話が多い。

人の2倍は努力しよう。
歯を食いしばって頑張っている。
こんな工夫を、こんな努力をしたと、それぞれに体験発表。

そんな疲れる話の中で、私に話せと司会者から指名を受ける。

「私は、滋賀県の安土と言う町で、楽しくふとん屋をしている者です。
 昼まで寝て、少し仕事をして、その後はパチンコに行ったりと、気楽な毎日を送っています。
だから、そんなに歯を食い縛ることなく、仕事は楽しくしましよう。

楽しくないと、それは仕事じゃないでしょう!!
もしも、溜め息をついたり、顔を青くしたりだったら、ふとん屋なんか止めた方が良い。社員にも、そう言ってますよ。

青筋を立てては、何も見えないのと違いますか?
もっと気を楽にして、すべき仕事を、楽しくしましょうや。

作業と仕事を勘違いしていませんか? 仕事と作業は違います。」

たしか、そんな切り出しから話したと思う。
もちろん、みんな唖然としていたのは、言うまでもない。
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