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鳥の群れ

『うーん。、もう直ぐ 5月なんだぁ~』
と、思わず伸びをしたくなる様な、今日は上天気。

しかしながら、流通業界、とりわけ寝具業界は、景気がパッとしない。
まぁー、「なにを今更」であるが、それなりに突破口を見つけねばなるまい。

さて昨日、我が家にも[通販生活夏号]が届いた。
納入業者用に、先立って頂いているが、それでも、真っ先に弊社の本麻布団を探す。

「おっ!!載ってる。」
なんて、当たり前なのに、それでも嬉しい。

これから毎週一回、カタログハウス社からFAXにて売り上げ情況の報告が入り、まるでタイガースの戦績の様に2ヶ月ばかり一喜一憂する私だ。

ところで、一喜一憂とは少し違うが、この一週間ほど、気分が重かった。
それは、光市の母子殺害の死刑の判決。

被害者のご主人は、これまでさぞや長く虚しい日々だったろう同情申し上げるが、それでも被告人が気になってしょうがない。

18歳は大人か子どもか?と言えば、微妙だが、大人と言えども、育った環境に人格が左右される。だからと言って、犯罪が許されるものではないが、裁判とは、被告人を裁くと同時に社会を裁くものだと私は思う。被害者家族の感情は分かるものの、報復ではない。法学部出身でない私が言うのも変だが、1人の大人として、そう思っている。

ジャーナリストの大谷氏は、被告人の家庭環境の劣悪さが生んだ犯罪でもある故に、死刑は重過ぎるとのコメントをされていた。少数派の意見みたいだが、私も、そう思う。

私の場合、あまり「優しさ」を売りにしているキャラではないが、捨て猫や捨て犬を見つけると、そのまんまに放っておけない性質である。
もう少し突っこむと、捨て猫や捨て犬だからこそ見過せない。
被告人には失礼だが、私には、被告人が捨て猫や捨て犬にダブってみえてしまう。

ニワトリの世界では、傷ついたニワトリが出れば、皆が寄ってたかって殺してしまうらしい。皆と同じでない、皆よりも劣っているものは生きられない。しかし、それら勝ち残ったニワトリですら、いずれ老いを迎え、明日は我が身となる。

私達の目指す人間社会が、どうであって欲しいのかを、よく考えねばなるまい。
この少子化の日本で、1人の子供が、たとえ劣悪な環境に生れ落ちたちしても、隣人なり、社会なりで、慈しみ育て上げたいものだ。

大空を飛び交う鳥の群れの様に、人の翼もまた重なっている。
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やさぐれ

深夜、登山家のテレビを見た。
上川隆也のナレーションも心地よい。

夫婦の登山家は、先の登山中の事故の為、手足の指がない。
『もう登れないのか?』を克服され、今回は5年振りの登山らしい。

『それほどまでして、何でまた、山なんかに?』
と、決して登山などしたくない私は思うのだが、見ている内に、なんとなく分かる様な気分になる。

勿論、私の場合、それは登山でこそないが、何かしらを目指している。

[何かしら]は、当然の事ながら、「何かしら?」ではなく、「ナンカ」とか「何某(なにがし)か」の目標である。

この目標に付いて、具体的に「登山」とか「アレ」とか「コレ」とか言える人間は、それなりに幸せなんだろうが、私は、この歳になっても「アレ」とか「コレ」と明確に言えるものがないものの、しかし、だからと言って、何も不幸とは思っていない。

そう言えば、中学生の頃に、「大人になったら、何になりたい?」との質問に困った記憶がある。
この質問は、『別に、何にもなりたくないしぃー』が本音だが、そうとも言えず、「未だ、分かりません」と答えたものだ。

そんな私が、ふと『私の[なにかしら]は、なんだろうか?』と、つい思ってしまった。

登山家みたいに、「次は○○山の山頂です。」とか、水泳の北島選手みたいに「金メダルです。」の様な明確な答えは持ち合わせていないが、それでも、登山家が山頂で世界を仰ぎ見た時に感じる感覚は、[何かしら]でもって感じたいと思っている。

私の[何かしら]であるが、考えてみると、どうも、そんなに大そうなモノではないらしい。

若い頃なんかは、一端(いっぱし)に やさぐれて、深夜の新宿の街を闊歩しているだけで、世界を手に入れた感じがした。
もちろん、今も昔も私は、実際には家出人ではないものの、しかし、どうも気分はいまだにやさぐれている。

 (注)やさぐれる
 家出すること。家出人は「やさぐれ」
 「やさ(家)」から「ぐれる」こと。
 転じて「家に居つかず、定職に着かず、半人前でどうしようもない人間」

どうして「やさぐれ」かと言えば、私には、テレビで見た登山家も、ある種の「やさぐれ」かと思える。
それは、何も社会からの逃避ではなく、固体としての、と云うか、1人の生身の人間として、直向きに世界なり社会に向き合った感覚がある。

またいつの日か、新宿をやさぐれてみたい。
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悔しいねー。

青年会議所(JC)時代の後輩が死んだとの知らせ。
経営していた料亭の駐車場に自家用を停め、車内で自殺したらしい。

JCは、40歳までの経営者の集まりで、私も10年少しを過した。
当時のメンバーは60人ほどで、今日の彼で、自殺者は3名に及ぶ。

60人中3名とは、あまりに多過ぎる。

仲間は、業種が違いこそすれ、私と同様に中小企業の経営者だ。
友人の何人かから電話を貰ったが、その原因に付いては、誰しもが金の苦労だろうと容易に想像が付いてしまう。

その日を暮らす金がないのも辛いだろうが、会社の場合、足らない金額が多過ぎて、最早どうしようもない事態へと追い込まれてしまう。

勿論、こうした場合、本人の落ち度も、多々あろう。
「やっぱり」とか「だから言わんこっちゃない」と世間から謗られる。

[自己責任]は嫌いな言葉ではないが、しかし、なにも人を殺した訳でもあるまいし、死を持って償う程の責任も落ち度も、全く無い。

交通事故の死者は、近年、1万人を割ったのに対し、自殺者数は、その3倍の3万人に及ぶ。
原爆の犠牲者は、数週間のうちに広島で14万人、長崎で7万人らしいが、戦争中でもないのに毎年、3万人とは恐ろしい。

自殺要因は経済社会的要因と心理的要因とに分類される。心理的要因に対する直接的な対処を行うのは難しいが、経済社会的要因に対する対策を行うことは可能だ。
しかし、それにも拘らず、経済社会的要因の自殺がこれほどに多いのは、政府の無策と言う他は無い。

腹立たしい。

この様な結果になる度に、とても悔しい。

「おまえなぁ、死んだらあかんやろう。」と、その都度、思って来た。

そんなに歯を食い縛って我慢せずに、
「よくぞココまで頑張った。
 よし、今回はギブアップとするかー!!」
と、陽気に構えられるそんな人間、そんな世間であって欲しいと思う。
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二つの諺 (その1)

昨日は大阪へ出張。
車で片道約2時間である。

私の場合、幾つになっても悪い性分が治らず、行きの行程は、いつも決まって時間ギリギリの出発だ。だから食事も、運転しつつパンやおにぎりを頬張りつつ、である。

カーナビの到着予定時間を睨みつつ速度を上げ、今日は片手に肉まんと牛乳と煙草を順に持ち替えながら、ハンズフリーの携帯電話で思いつく仕事の段取りをする。
電話の相手であるが、この時ばかりは次々に思い当たり、不思議と的確な指示を思いつき、僅かな時間で一週間程度の懸案事項をこの時とばかりに全て片付けた。

『もう30分も早く出発すれば、こうもバタバタしなくても良いのに。、』であるが、しかし、時間に急かされないと私の神経スイッチがONにならないらしい。その証拠に、帰りの行程は、のんびりしているものだから、何も思い付かない。

いったん、神経系統と云うか思考回路がONになれば、どうも車の運転は、それらを更に増幅させる効果があるらしい。
何しろ、高速道路を時速100キロ以上で飛ばしているものだから、目に映る窓外の景色は矢の様に次から次へと遠ざかり、耳に入る風の音はと云うと、時間がビュンビュンと車に切り裂かれる。

140キロも出れば、一瞬たりとも気を抜けない。
目から耳からハンドルから、それらの刺激が脳へと伝わり、脳波も時速並みに活動を開始する。

最初は、やはり思い付くのは、仕事。
暫らく時間を要したが、懸案が片付いても、未だ脳波の勢いは衰えない。

最近、日記をご無沙汰している私であるが、昨日の車中では、何ページものイメージが駆け巡った。

その中のイメージを書き置くとする。

思いついたのは、二つの諺。
「地獄に仏」と「旅は道連れ世は情け」

浮かんだ感じはと言えば、

『うん? 【地獄に仏】?

まさか地獄に仏なんぞ、居る訳でもあるまい。
この場合の地獄とは、地獄の様な大変な状況下、と言う意味だろう。

そう言えば、仕事柄、これまで地獄的な情況が沢山あったよなぁ~
いやいや、今だって地獄的である事に変わりはないが・・・。、

しかし、コト在る毎に、不思議と、仏さんみたいな支援者に恵まれて来た。
ふむ。

(下へ続く)
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二つの諺 (その2)

(上からの続き)

それは、お客さんだったり、業者さんだったり、と色々だが・・・、
今回もこの諺を思い付いたのも、やっぱり苦労の最中で、
それでも、ありがたい支援者に勇気付けられているものだからだろう。

ほんに、仏さんだわ。
と、色々とお世話になった方々の顔が思い浮かぶ。

しかし、なんだなぁ
済んでみれば、地獄的と思っていた情況であるが、あながち地獄的ではなかったのかも知れん。
確かに、大変な思いをした訳だが、それ自体が、ひょっして生きている実感と云うか、歓びであったのかも、なぁ。
そうよ、仏は極楽に居られるんだから。』

と、こんな感じで独りで、運転していたところ、次に浮かんだのは、

『うん? 【旅は道連れ世は情け】?

人生って、ある意味、旅だよな~
「世は情け」は解るけど、「旅は道連れ」って、誰と道連れなんだろう?

普通に思い浮かぶのは、旅で出合った人とか、友達とかなんだけど、果たして、そうなんだろうか?
まさか、男女の恋愛ドラマでもあるまいし。

そう言えば、小さい頃の「双六」に、あったよなぁ~
サイコロを振って、同じコマに停まると、二人して「たびはみちづれよはなさけ」と言いつつ、12コマ進めたんだっけ。

一期一会の様に、互いに誠意を尽くせとか、人情の大切さを説いたものなんだろうが、この場合の【道連れ】の【連れ】が、単に人を指すのか、観念を指すのかが、どうも気になる。

そう言えば、「欲と道連れ」なんて言葉もあったりする。
欲? うーん、金銭欲に食欲に色恋の欲。

しかし、旅は道連れの連れは、どうも、それらではなかろう。

うん?

そう言えば、四国八十八箇所めぐりの場合、お遍路さんが独りで歩いてても、実はお大師さんと二人連れと言ったような。

四国八十八箇所めぐりの連れはお大師さんであるが、旅は道連れの場合の連れは、神さんであっても、仏さんであっても、何でも良くて、要は、人に優しいと思われる哲学を指すんではなかろうか。』

などと、そんな事をブツブツ考えつつの運転であった。
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めでたし。

金本さま、新井さま、タイガースさまの幸せな毎日を過ごしている。

なんと言っても、只今開幕4連勝中なもので、「これを喜ばずしてどうするねん。、」である。



さて、昨日、しぶしぶながらも八日市国立病院の口腔外科へ行った。

医師「はい、やっぱり唾液腺に石でも詰ったんでしょう。胆石みたいに、唾液腺にも石が詰るんですよ。」

私「そうですか。でも、もう腫れは引いているんですが。」
と、出来れば手術を避けたい。

医師「たぶん、自然に取れたと思われますね。もしも石が残っていたら、パノラマのレントゲン写真に写っている筈ですから。」

私、ふむふむと機嫌が良い。

医師「もう少し様子をみましょう。来週にでも来て下さい。」

私『えっ? また来んならんの・・・。、』と思うも、いちおう、「はい」と返事した。



会社に戻り、『そやそや、野球!!』と思い付く。
なんせ、広島との3連戦は、広島球場の為、テレビ中継がない。

2日前、『ひょっとして、ケーブルテレビなら。』と思い当たり、アインズの田中君に電話した。
私「アレは、タイガース戦を観られるんやったっけ?」
田中君「そうですよ。」
の返事は良かったが、続けて、、「手術をして下さいよー。」と突っこまれた。
私「何の?」と聞けば、「腫れ物!!ですよ。日記を読んでますから。」と来た。

どうも、私の知り合いは、みんな手術をして欲しがっているようだ。
3月30日にガソリンを入れに行った時にも、
直彦「社長、手術をして下さいよー。」なのだ。

みんな、口では身体を心配して、と言ってはいるが、どうも私が痛がるのが楽しみらしい。、(爆)

そう言えば、この年まで、3度入院したのだが、いずれも手術を免れて来た私である。
『もしや?』であるが、どう云う訳か大したことがなくて、単に検査をしただけで、これまでのところ無事に帰っている。

『ふむ。結構毛だらけ猫ハエだらけ、お尻の周りは糞だらけ、病院と言えども休憩室の遊び場所、、だわ。』と、機嫌よし。

気分を良くしたついでに、とケーブルテレビを申し込みに行った。

係員「昨日までなら、キャンペーン期間中で、入会金3万円が無料だったんですよ。」
私「昨日の今日なんだから、なんとかなるやろう!!」と言えば、「はい」と、なんとかなった。

めでたし。。
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