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麻雀

3日ほど前、友人から、「23日の晩、麻雀をしようか」との誘いあり。
「ああ、いいよ。」と、返事。

しかし、返事をしたのに、
『ちぇっ、今夜の阪神戦が見られん。、
 それに、女子バレーボールは、確か日韓戦だったしぃー。
 それと、昨夜のパチンコの雪辱戦もしたいしぃー、
 それに、それに、明日は環境生協の総代会で、少し早起きせんならんし。、』

なーんて、次々と違う事が頭を過(よ)ぎる。

『ひょっとして、麻雀が嫌いになった?』と思うものの、そうでもない。

どうも私の場合、こんな天邪鬼だから、一端予定が立つと、それ以外が気になってしまい、挙句には、予定そのものが鬱陶しく思えたりする。

「俺、やっぱり、止めとく。」と電話すれば、それで片が付くのだが、今更、そんな事も言えんし、
とは云うものの、麻雀がしたくない訳でもないから、それなりに楽しみなんだが、うーーん、どうも困った性分だ。

私が一番許せるシチュエーションは云うと、

『うーーん、これから何をしようかなぁ~』って、感覚。

かと云って、何処か遠い所に行ける訳でもなく、別段、大した選択肢も持ち合わせても無く、実際の所は殆ど何もしないのだが、それでも『何をしようかなぁ~』との可能性を秘めたかの様な開放感がお気に入り。

夕方、家に戻れば、犬達が『もしや、散歩か?』と戦々恐々の眼差しで、私を見つめる。
私はと言うと「ははー、残念でしたー!! 散歩なんか行きませーん!!」と目で喋る。

ふん。、困った性分だわ。

うん、そう言えば、前に麻雀したのは、2ヶ月ほど前?
確か、あの時は負けたよなぁー
よっし!! 今夜は勝って来ようか!!
と、阪神戦と日韓戦の未練を振り払う。
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親友 S (その1)

先週の東京出張で、
学生時代からの親友がしみじみと漏らした言葉が妙に心に残っている。

彼は大学を卒業後、某大手電気メーカーに就職し部長となり、その後、関連企業に再就職し、いよいよ今月に、そこも退社する。

彼「会社を興して、何か自分で仕事を始めようと思う。」
私「お前は、ずっと会社の金看板に守られて来たんやから、そうは簡単に行かんと思うぞ。」

そんな話しの中、ぼそぼそと彼曰く
「そうなんよ。実は、自分に何が出来るのか、一晩掛けて考えた。
 真っ白な画用紙の真ん中に、●を一つ書いて、それが俺。
 コレまでして来たこと、これから出来る事を俺の●に順次書き足そうと、徹夜した。
 それで、その画用紙、どうなったと思う?」

私「・・・?」

彼「Tとだけしか、書けんかった・・・」

Tとは、彼の彼女の名前である。彼が学生時代に付き合いを始め、かれこれ40年近くなる。

彼女が十数歳年上の為、ご両親の反対もあり、コレまでずっと内縁の関係で、私はと言うと、彼と彼女の数少ない理解者の積りで付き合ってきた。

彼と私は、性格も生き方も違うが、それでも彼女との付き合いの長さ程、長きに渡って親友であり、彼をそれなりに理解しているだけに、「Tとだけしか、書けんかった・・・」の重みが、泣けるほどによく解る。

奴はTと生き、Tと暮らし、Tと死んで行くのだ。

彼は、T以外には、全く淡白な人間で、ギラギラした野心とか情熱とか、雰囲気すらも持ち合わせていない。
お気楽に大手の会社から大枚の給与を貰いながら、小さなマンションの一つも持たず、貯金も持たず、車も持たず、子どもも持たず、未だに学生時代と変わらぬアパート暮らし。仙人と云うか天女の如き彼女のお陰で、随分と幸せな彼の一生である。
せめて親孝行くらいはしたいだろうに、問題になったTのコトがあり、それも叶わず、入籍もせず、だ。
まあ、しかし、私の様に借金がないだけ、ましかも知れぬ。

卒業の年、私は彼に言った。
「お前、のうのうと就職して、それで良いのか!!
 俺は、大学の卒業証書を反故にする。」

そんな時代だった。

彼は答えた
「何も胸張って、就職するんじゃない。肩をすぼげて、ごめんなさい、なんよ。
しかし、Tとの毎日は真剣勝負だと思っている。」

(下へ続く)
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親友 S (その2)

(上からの続き)

彼と違って私の場合、意識が外に向く。
しかし、この外であるが、外を見ているようで、実は内側を覗いているのかも知れない。
彼は、Tを覗いて、そこに自分が見え、世界が見えるのかも知れない。

何もかも違う彼と私だが、何時までも親友でいられるのは、奥底に何か共感できるのだろう。

あの日からの数日、彼の言葉をよく思い出す。

すると、ついつい『自分だったら』と考えてしまう。

やっぱり私の場合、彼の様にはいかない。
書くとすれば、たぶんイッパイ書いて、書き捲くって、
・・・・・、
それから・・・? 消す?
消すとすれば、何を消す?

・・・、ひょっとして、自分の●でも消すんだろうか。
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どうでも良い話し。

今日は、と云うか今日もポカポカと良い天気だ。
気分良し!! で、ポカポカしたお話を一つ。

最近の私はイソジンでマメに嗽(うがい)をしている。
子どもみたいだが、手洗いと嗽は結構良いらしい。

イソジンに付いているカップに適量を取り、水で薄めて3口でうがい。
最初は、クチュクチュっとして吐き出し、次の2口で本格的にうがいをする。

さて、その時間であるが、説明書には15秒程度とある。
1秒、2秒、と数えても良いのだが、どういう訳か私の場合、歌になる。

♪ かーえーるーのーうーたーがーー ♪

最後のうがいで、 ♪ ゲッーゲッーゲッーゲッ ゲロゲロゲロゲローゲッゲッゲ ♪で終了する。

別に、この歌を歌おうと決めている訳でもないのであるが、【自然と!!】何故か「かえるの歌」になってしまう。

『もう、随分と昔で、風邪を引いた時にも、やっぱり私は「かえるの歌」を歌っていたなぁ~』とも、思い出される。
幾つになっても、私は私、なんだろう。

別に、この歌が好きでもないのだが、たぶん、水とガラガラの音から連想し、単純に反応するからであろう。

次に、
水から連想と言えば、雨。
雨と言えば、傘。

私は、結構、晴れ男。
だから、あまり雨に出くわさない。

それでも、やっぱり時には雨の中を歩く。
先週、散髪屋さんに行った時とお通夜に行った時は雨だった。

晴れ男だから、と言うよりは寧ろ、モノを持つのが嫌いな性分が手伝って、私は傘を持っていない。

「そんなん、雨の日には困るやろうに!!」だが、
私の場合、
小雨程度なら、普段と変わりなく、ゆっくり歩き
そこそこの雨の場合は、小走り
土砂降りの時には、軒先を伝いながら走る。

まぁー、いつも濡れたって困らない服装だから、かも知れないし、
それがスーツであっても、乾けば、大して問題にはならない。

そう言えば、昔の映画、、ジーンケリーの【雨に歌えば】のシーンが大好き。

もしも、
みなさんが「うがい」をして、思わず[カエルの歌]を口ずさんでしまったった時、
はたまた、雨の通りを傘もささずに歩いている男を見かけたら、僕を思い出して下さいませ。m(__)m
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環境生協の行方、私的メモ (2)

一口に20年と言うものの、20年は、結構、長い。
環境生協の理事になったのが20年前、と言うと、私は未だ30代の若者だったのだ。

もちろん、まだまだ老け込む歳ではないものの、他の理事さん連中にしたところで、『もう、そろそろ卒業させてよ。』との思いも、何処かにある。
正直なところ、私にも、そんな気持ちが少なからずある。、

環境生協も、組織である以上、職員さんもいれば、それなりの経費も嵩む。
だから、会社と同じで、結構、遣り繰りが大変。

しかし、大変だからと言って、『もう、疲れた』ではないだろうし、
20年続けたから、『もう、そろそろ卒業したい。』でも、なかろう、が正論である。
なんとなら、ワタセの会社経営が大変だからと言って、決して私は投げ出さないし、
もう30年も社長を続けているから『そろそろ卒業したい。』とも思っていない。

「自分の会社と、他の会社では、思いが違うだろう」との見解もあろうが、私としては、そんなセコイ考えは持ちたくない。

と、この様に煎じ詰めると、現状のまだまだ大変な環境生協を、このままで卒業するのは、侍のとるべき態度ではない、と思い至った次第だ。

と言う訳で、弊社のふとん博物館コットンボールの二階を、環境生協(来年度からは菜の花プロジェクト事務所)に貸すことにした。

もちろん、先方に無理のないところで家賃は頂くが、それ以上に、私が一生、抜けられなくなる、との懸念も、引き受ける訳だ。

何事も引き受けるのは骨が折れるが、骨を折ってこその人生でもある。

逃げない、引かない、を頑張ろうか。。
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環境生協の行方、私的メモ

20年間、続けて来た環境生協(滋賀県環境生活協同組合)であるが、いよいよ来年には新しいステージに再スタートする。

当初、細谷卓爾氏に勧められるままに気楽に引き受けた理事であるが、今では副理事長を務めて7年が経過した。
環境を切り口にした日本では例のない生活協同組合で、世間からの期待も大きく、朝日新聞社からは[明日への環境賞]、毎日新聞社からも特別賞を頂くなど、身に余る評価を頂戴して来た。

十年一区切り、とは良く言ったもので、20年も経てば情況も随分と変わってくる。環境生協を設立以来、システムや色んな商品も開発できたたものの、生協法に依ると組合員以外の利用は制限がかかる等と、不都合も多い。更には、組合員も高年齢化して来たから、如何に若い層を取り組むのかについても、工夫が必要となる。

そこで、この数年、ステージアップの為に環境生協を閉じる方向を模索した来たのであるが、その方法が、何とも難しい。組織を生み出すのも難しいが、閉じるのは、それ以上に難しい。環境生協には、これまで理解をして支えて呉れた組合員が3000名居られる。それぞれ温度差は違うものの、それなりの思いも愛着もある。

これまで広めてきた環境への運動、培ってきた薀蓄、市民ベースで作り上げた地産地消のシステム、人にも環境にも優しい商品、それらを今後、どうするのか? に付いて、しっかりと応えられる新しいステージを提示しなければならない。

先だっての一泊で行った研修会では、青年理事の村上君に【チーム村上】を立ち上げさせ、そこに運動や活動を集約させてはどうだ、を議論した。
しかし、それではあまりに無責任との謗りに、理屈が耐えられない。それに、組織のあり方にしても不鮮明と言われれば、なかなか返す言葉がない。

色々と苦労を重ねて、ようやく今日の理事会で方向が具体化した。
【菜の花プロジェクト】は環境生協から生まれたNPOなのだが、只今は、全国規模で広まりつつある。
環境生協が生んだ、このNPOに、環境生協がこれまでの生協としての役割を終えて、そこに入り、【NPO菜の花プロジェクト】を更に充実、拡大して行こう!!との方向を、確認した。具体的には更に議論が必要だが、先ずは大枠が決まって目出度しである。

少々、部外者には解り難い内容だが、一応、メモしておく。
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便座

最近は便座も省エネ仕様で、良く使う時間帯だけ便座が暖かくなっている。
私の使う時間帯は朝(正確には朝ではない。、)なのだが、それを便座が憶えていて、いつも暖かい。

『おっ!! 賢いやん。』と、褒めてやる。

それが、偶に違う時間帯だと、そうはいかない。
『べつにフェイントをかけているんじゃないやけど、やっぱり、駄目かぁ~』と、冷たい便座を我慢する。

いつもトイレには新聞を持って入る。
一応、一面から読むが、一面の下段には「本」の宣伝が多い。

それも、こんな「本」、誰が読むんやろう、と思われる本ばかりだが、タイトルが面白い。
小さいスペースで購買意欲をそそるには、タイトル勝負と思われる。

最近、そこで見つけた私のお気に入りの面白タイトルNo1は、「3日坊主が3日で治る本」である。

『そんなん、3日で治るんけー?』であるが、なんとも阿呆臭さ過ぎるところが面白い。

『こんな本、買う人が居るんやろうか?』と、余計な心配もしてしまう。
もしも3日坊主が買おうと思っても、3日もしない内に購入意欲が失せてしまい、結局、買わずに終わるだろうし、万一買ったとしても、3日坊主だから最後まで読まない。

『なるほど、
 [3日坊主が3日で治る]なんて、あり得る筈がないが、読み切らないから、治らなくても本の責任にはならない訳だ。』と、感心する。

この本、もちろん私は買う気がないが、しかし、目に留まる分だけ、一応成功と言うところか。

新聞も、スポーツ欄だけは、マメに目を通す。
それも、タイガースが勝った翌日なんかは、一字一句、漏らさず読む。

あれっ、何の話やったっけ?

そうそう、便座の話し。
便座が暖かくて、それにウォシュレット、、こんな贅沢に慣れてしまって良いんだろうか?
と、真面目に思う。
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授業

中学生へのお話は、無事終わった。
50分の授業であるが、話し始めるとアッと言う間に過ぎてしまう。

2学年全員だから、よそ見させないで聞かせるのは骨が折れる。
だから、隣りと話したり下を向いていたりの生徒は、「コラッ、お前!!」と即座に叱る。

「そこの下向いてる三つ編みの女生徒! 僕をみなさい。」と、言うも、なかなか顔を上げない。
「おいおい、、早くせんかい。」と再度の要請したら、なんと顔をクシャクシャ、舌を出してのリアクション。
何時ものことながら、中学生って、ほんとに可愛いと思う。

話した内容は、[仕事について][社会について]である。
「何の為に仕事するねん?」から始める訳だが、結構、早い段階で、「人の役に立つ為です。」なんて、模範解答が出てきた。

「君達は、親に育てて貰い、更にはお小遣いまで貰っているんやが、何か今、人の役に立つ事が出来るか?」と聞いてみた。

当然の事ながら、みんな、『うーん。、なんも出来んかも・・・』みたいな顔をしている。

「そやろ。なんも出来んやろ。
 みんなの世話になっているばかっかりで、君らは、なんも出来ん。
 でも、それで良いんや。
 なんも心配せんで良い。
 なんも出来んでも、君等が楽しく生きているだけで、それで充分なんや。
 それこそが、素晴らしいことなんやと僕は思う。」

これが、彼等に一番、伝えたかった事なんである。

「僕だって、色んな方の世話になって大人になった。だから、少しでもお返しが出来ればと思っている。人の社会とは、そういうもんだ。」

授業が終わり、帰り際に男子生徒が、僕を見て、「ほれ、象やろう。」と、友達と話している。

『なにが象やねん?』であるが、直ぐに『ハハーン、このネクタイの柄の事か!!』と気付く。

オレンジ色に、10ミリにも満たない動物が、水玉模様みたいにいっぱいプリントされているネクタイ。
傍から見ても見分けが付き難いのに、よくも10m以上も離れて、それが動物だと解るだけだけ、大したものだ。

私「ははー、残念でした。象さんじゃなくって、カバさんでした。惜しかったなぁ~」
生徒「ちぇっ。」

子どもって、色んなところに好奇心がイッパイ。
それで良いのだ。
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私の5月

5月6日は私の誕生日。

5月と言えば、思い出されるのは詩人・寺山修司の「われに五月を」である。
はにかんだ悪戯っぽい目の寺山の写真も思い起こされる。

少し引用させて頂くと、

========

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

========

しかし、寺山は5月生まれではない。
だから、彼の誕生は、少年期の自分の死を指しているらしい。

これに付いて、谷川俊太郎は、「現実の死に先立って原義によって自分自身を殺すことで、彼は誕生し、生きた。そこからしか彼は生きる力を得ることができなかった。『われに五月を』と記したとき、その<五月>は彼の死のときであったけれど、それは同時に彼の生そのものでもあった。」と書かれている。

学生時代の私なら身を乗り出して読み入った文章だが、今の私はと言うと、少し照れながら、それでも半身は覗き込み、懐かしい様な、『いやいや今も直面しているかも・・・』などとブツブツ言いながら、、
確かなのは、あの頃の瑞々しい懊悩は、私に表現力がないばかりに錆び付いてしまったのだろう、とも考える。

そんな私だから、5月に誕生日を迎えた私は、
『ふむ、
 この5月の陽気が好きなのは、誕生月だったからか!』
と、嬉しそうに晴天の空を見上げている。

もう一度、寺山の『われに五月を』に戻るが、表紙をめくるとそこには、

五月に咲いた花だったのに
散ったのも五月でした   母

という母・寺山ハツの直筆の追悼文が半透明の薄紙に印刷されている。

話は飛ぶが、一週間前、京都の叔母から電話を貰った。
昨年、初めて母の日に薔薇を贈ったのだが、今年は「勿体無いから、もうしなくてよい。」とのこと。

最近は随分と食事も進み、車椅子ながらも、庭の草花の手入れも出来るようになり、
『私は、これまでの人生で、今が一番幸せな日々を送っているのかも知れない』と思いながら日々を送っている。
との便りだった。

私の五月が、こんなにも温かい陽射しに感じられるのは、
きっと、幸せだと言う叔母を包む陽気が伝わってのことなのだろう。

私の肌を温かくすり抜ける5月の風は 叔母の水遣りの小さく迸(ほとばし)る水滴をくぐり抜けた風だ
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