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1時間30分の地獄 (その1)

これは、今週の初めに予約した歯の治療。
その日が、とうとう、やって来た。

「神経を抜くから、1時間半は覚悟しとけや!」と歯医者。

救いと言えば、歯医者が高校からの友人で、「おい、こら」の仲。
ナースと云うか、正しくは歯科衛生士らしいが、みんな馴染みだから、「頑張ってねー、応援してるから」と愛想が良い。

それでも、やっぱり痛いから、私は『ふぅ~』と情けない溜め息を一つ吐き、「あーぁ、地獄に落ちるみたいやー」と、椅子に腰掛ける。

今日の治療は、上の右奥の親知らずの隣りの臼歯が虫歯と言うコトで、神経を抜く羽目になった。
そもそもが、もう10数年昔に、他の親知らずは抜いたのだが、痛かったのと、一度に何本も抜くのは如何なものかとの理由で、抜かずに済ましたのが悪かった。親知らずがあると、そこには歯ブラシが当たり難い為、どうしても虫歯になり易くて、とうとう、冷たいものが沁みるまでに至ったのだ。

私「だいたい、麻酔の注射からして、嫌なんよ。何で、こんなに痛いんや。そもそも、その注射を取り巻いたステンレスからして怖いやんけー。」と質問混じりの文句をつける。
歯医者「針は、昔と違って半分程度細くなっているんやが、歯茎は他の皮膚と違って固いから、圧力をかけんと液が入らんのや。」
私「そやからって、どんな痛みの種類やと言うねん」
歯医者「だから、圧による痛みと言うことや。」
私「なんや、そしたら、液を入れる時には力が要る、ってコトか?」
歯医者「そうや。だから、こんなピストルみたいな恰好なんよ。」とは、注射の前後の会話である。

ようやく注射が終わり、「よし、これで第一関門突破や。後は、ちょろいもんか?」と言えば、「なんの、これからが長いんや。」との返事で、ギョッとする。

だいたい、抜歯の場合は、後、5分も我慢すれば済むのだが、神経を抜くのは、どうも大変らしい。

それから5分ばかり、歯を削ったのだが、これがなんとも痛い。

「イタイー」と、文句を付ければ、「おかしいな? 麻酔が足らなんだか?」と、またまた注射を二針。
『しもうたことを言うた・・・』と後悔したが後の祭り。

(下へ続く)
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1時間30分の地獄 (その2)

(上からの続き)

歯医者「それじゃ、これから神経を抜くか!!」
私「わしにも神経を見せてくれ」と言うコトで、レントゲンで確認。

それから10分ほど、ギャーギャーと痛い思いをして、小休憩に入る。
私「終わったか?」と聞けば、「マダマダ始まったばかり。」との聞きたくもない返事。

「はあー、地獄やーー」と言えば、「地獄に仏は居らんからな。」
「なんとか、良い方法はないんケー?」と聞けば、「なんか、気を紛らす様に、他の事を考えなよ。」とのコト。

と、言われて、馬鹿正直に、色んなことを考えようとしたんだわ。
○○とか××とか、△△やったりだが、なにせ地獄の様な治療の痛みが気になって、気を紛らすなんて、全く無理。

グギィー、と声にならない声をあげて、私は地獄の底。

「おいおい、そんな情けない顔をすんなやー。」
それでも、地獄を続けるものだから、今度はナースに、「この情けない顔を写真に撮ったれ!!」と、みんなで笑う。

それから20分ほど、ゲボゲボと文句を精一杯表情に出していたものの、それも流石に疲れ果ててしまい、死ンデモター状態。

いつも「始まれば、終わる」と呪文を唱えて望む私だが、1時間30分は、なんとも長かった。

神経を抜く処置に付いては、見たいものの、見れば怖さが倍増するやもと、見れなかった。
後で、説明を聞けば、抜くと言うよりは、神経をズタズタに切り裂くと言う感じらしい。
『恐ろしやー!!』である。

大袈裟に言わせて貰うなら、今は、『ようも、まぁー、生きて帰れたぁー』の心境である。

家に帰り、アイスコーヒーを飲んだところ、なんと沁みないではないか。
この一ヶ月ほど、ずっと、頬の内側で奥歯を庇いながらであるが、それでも沁みる痛みを堪えに堪えて飲んでいたアイスコーヒーが、もう沁みないのだ。

「うっそぉー!!」と独り、嬉しい悲鳴を上げて、今度は痛かった患部に思いっきり冷たいアイスコーヒーを流し込む。

それでも、全く沁みない!!

「やったぁぁぁーーー!!」と、地獄からの生還の悦びを噛み締めている今の私なのだ。
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ガキの使い 廃旅館1泊2日 (その1) [みのむしふとん]

私は、人をビックリさせるのが大好きで、その好きさ加減は三度の飯よりも好きと思える。

ビックリにも、単純なものでは隙をついて「ワッ!!」であるとか、少し込み入った悪戯をして引っ掛けるとか、またサプライズで歓ばせるとか、その他、お化けの話で怖がらすとか、その手法は色々だが、何れも大好き。

『どうして?』と聞かれると(誰も聞いてないしぃー)、
私の答えは、たぶん、こんな風か。

「だって、退屈しているんだもん。」

「何に退屈してるの?」と突っこまれれば、
「やっぱり、日常でしょうか。」と答えざるを得ない。

仕事もそうだけど、生活や日常茶飯事って、それらは、[継続]なり[連続]が基本となっている。もちろん、昨日と明日は、全く同じではなくって、少しずつ変化をしている訳だが、殆どの場合は遅遅として進まない程の「少しずつ」で、そこに安心が存在する。

「安心」とは、「変わらないモノ」であり、たとえ変わったとしても想定の範囲と云うか、先が読めた変化なり、更に自分にとって都合の良い情況への変化だ。

安心の概念に付いては、以前、「みのむしふとん」を開発するにあたって考えた事があるが、その時の私の結論は、そもそも「安心」と言う概念自体は具体として存在しなくて、それは、不安なり不測の事態に「それなりに」対処している「形」を以って、安心と呼んでいる、であった。
もちろん、「無知」から生まれる「安心」は、この範疇ではないが、残念な事に、人はいつまでも無知を通せない。

人は、安心していなければ一日たりとも過せない存在と見え、その為に色んな努力をする。
昨日と同じ様に今日を迎え、今日と同じ様に明日を迎えたい。
出来る事なら、明日は今日よりも少しは豊かで、また明るくあって欲しいと願いつつ、努力を怠らない。
明日は、暗い日ではなくて明るい日と書く。明日をどんどんと突き進めば、そこには老いが待ち、やがて死で閉じるのだが、それでも明日は、やはり明日。

もちろん私も、皆と同じ様に、安心を願っている。
明日も、今日と同じ様に仕事をしていたいし、社員も今日と同じ様に出社して来て欲しいし、久しく顔を見ていないが私の子供たちとか友人も、いつもと同じ様に明日を迎えて欲しいし、回廊のツバメ達も来年もまた来て欲しい、等と色々思っている。

(下へ続く)
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ガキの使い 廃旅館1泊2日 (その2)

(上からの続き)

これらを退屈と言い放つと罰(ばち)があたると云うものだが、それでも私は、やっぱり退屈としか、言い様がない。

こう考えると、安心とは、退屈なもの、とも言えよう。

しかし、命とか、人とか、自然とか、世界とかは、実際は、そんな退屈なシロモノではない。
だから、人は、その全部は無理としても、せめてその一端に触れようと、自分の極限に挑戦する。

子ども染みた表現だが、わくわくする冒険や探検や見果てぬ夢、それに芸術やラブロマンスは、安心や退屈とは程遠い存在で、寧ろ、危険に満ち溢れている。

子どもって、ちょっとしたコトにも、容易にワクワクできる。
それは、見るもの、触れるものの全てが鮮烈な初体験だから、だろう。

この歳になると、あまりに幼稚な事に、そうそうは感動してはいられない、とは言うものの、恥じらいも無く、憚りもせず、未だに幼稚な自分が結構と残っている。

と、まあー、少し結論を急いだのか、遠回りし過ぎたのか、この辺が、私の
「ビックリさせるのが大好き」の所以(ゆえん)だろう。

どうして、こんな話になったのかと言うと、実は昨日の深夜、会社の2階で、独りで↓のユーチューブを見たからだ。

タイトルは、01.08.05 Gaki no tsukai Hai-ryokan 1paku 2ka!! 1/3
[8月5日 ガキの使い 廃旅館1泊2日]

アドレスは↓

http://jp.youtube.com/watch?v=qkwOV9HV7nc

8/5が3本、8/12も3本、続いて8/19も3本、最後に8/26の3本の都合12本。

以前に、何気なくみた番組で、できたらもう一度見てみたいと、ずっと思っていたところ、なんとラッキーな事に、偶然、見つかった。

なにせ、深夜の会社で、たった独りで観ていたから、怖いやら面白いやらで、大声を出して笑ったり、またゾッとしたりで、なんとも可笑しい。

おススメです。
順番を追って、ご覧下さい。

はい、トイレに行くのが、ちょっと怖くなるかも、です。
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平和な悩み

今日は、日曜日。
ねむはーは開いているものの、私は仕事から開放される模様。

初夏か梅雨の影響に依るものだろうか、蟻に困っている。

私は和室で寝起きしているが、5日前、目覚めれば、畳みに夥しい数の蟻がいたのだ。
無闇な殺生は好まないが、止む無く対処した。
それから気を付けているが、その都度、数匹が見付かる。

「こんな時は、ネット検索」と、調べてみれば、[ありの巣ころり]が効くらしい。
だから、『これから買いに行こうか』と思っている。

考えれば残酷な薬だが、しかし、蟻の悩みとは、なんとも平和な感じがする。

私の平和な悩みと言えば、実は他にも沢山あって、今日のその全てはテレビ番組で、今夜は、その最たる日かも知れない。

優先順位を付けるとすれれば、こんなところか。

1、7時からの岡田ジャパンのサッカーVSバーレーン(ワールドカップアジア予選)
2、6時からはタイガースVS日ハム(交流戦の優勝が懸かっている)
3、7時から女子バレーアメリカ戦(オリンピックの初戦の相手らしい)
4、8時からのあつ姫(これは再放送有り)

特に、[1]は、なんとしても観戦したいから、[特1]と記入したい。

ところが、である。
ありの巣ころりを買いに行くのであるが、その近くにパチンコ屋があって、私の事だから、たぶん立ち寄る。
なにせ、昨日の夕方、2時間で65,000円儲けたから、寄る確率は100%だろう。

4時過ぎに寄ったとして、6時に勝って帰れば問題がないが、『もしも連荘が滅茶苦茶続いたら、どうしょう?』なんて心配もある。
だって、[花の慶次]で45連荘した時なんか、夕方から10時過ぎまで続きっ放しだった。

と、まあ~、屁みたいな平和な悩み。
日曜日には、相応しい。
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揺れる想い (1)

最近、PCに向かって日記を書く回数がめっきり減った。
しかしながら、
書き込みこそしていないが、
8年に及ぶ習慣とは怖いもので、どうも私の思考回路が日記風になっていたりする。

だいたい、日に2個から3個程度は、頭の中に閃いた感想などを、ついつい日記風に構成してしまう自分がいる。
一応、起承転結を心がけたり、落語でもないのに「落ち」まで考えたり、と笑ってしまう。

『せっかくだから、書けばよいのに』と少しは思うが、しかし、たとえ脳裏と云えども一度書いたものは面倒臭かったり、また、そもそもアップしない事が前提になっていたりだ。

こうした陽の目を見ずに忘れ去られたイメージは結構ある。
強いて挙げれば、もう10日も前だろうか、ZARDのサカイイズミさんがテレビで特集されていた時にも、日記風に思いを巡らした記憶がある。
もう詳しくは思い出せないが、その中で辿り着いた結論と言うか、「落ち」のイメージは、たしか「どうも居心地が、悪い」とか、「少し場違いかも・・・」的なものだ。

私は、20年程前から「ねむはー」でCDレンタルをしていた関係で、ZARDの曲は聴き覚えはあったものの、しかし、サカイイズミの名前も顔も知らなかった、と云うか、さほど感心がなかった。
それを今回、初めてテレビで見たのであるが、なかなかの美人さんだったから、ついつい恥ずかしげもなく見入ってしまったのである。

『うーん、可愛いいし、スタイルも良い。』なーんて。

続いて、字幕になって、彼女の詩が次々と紹介された。
思い出せはしないが、一つ一つの言葉が、彼女の容姿さながら可憐であったし、なんとも繊細で清楚で美しかった。

そうそう、こんな時はユーチューブ!!
http://jp.youtube.com/watch?v=srifzwHNL7o&feature=related
と、「揺れる想い」を流してみる。

彼女の詩が、曲に乗せて幾曲も字幕で流れ、
私としては、理解も出来るし、分かりもするものの、しかし、やっぱり違和感を覚えた。

違和感と言うのは、なにも彼女の歌詞に文句がある訳ではなく、私の様なオジサンが『ふむふむ』と聴いているコト自体が気恥ずかしいと言うか、尻が痒い様な不自然さを感じてしまう訳で、それが「場違い」とか「居心地の悪さ」に行き着く。

(下へ続く)
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揺れる想い (2)

(上からの続き)

普通に彼女の曲を聴いたなら、
たぶん、そんな風に感じなかっただろうが、
今回は、
あまりに可愛い世界に入り過ぎている自分に気付き、
その世界に納まりきれない自分が、
『おいおい それはないだろう!!』
と、不平を訴えた、と言うところか。

人って、大きな宇宙みたいな存在で、
そこに魑魅魍魎とまでは言わないが、
36色を遙かに超える多彩なイメージが星雲の如く渦巻き、
あるものは目覚めていたり、また眠っていたり
仲の良いイメージ群もあれば、互いに喧嘩しているイメージ群もあり
それらには、秩序こそないが、
しかし、それらイメージは張られた糸があるかの如く、
絶えず牽引し合いつつ、
上手い具合の緊張感でバランスが保たれている。

そろそろ、結論を急ぐと、
イズミさん的な世界も、それなりに私の中に存在はするが、
そのイメージが部分的に突出して膨らみ過ぎれば
私のバランスが崩れてしまい、
「あれっ?」的に、違和感を覚えるに至り
私を正気に戻させる、のだろう。

正気とは狂気に対する言葉であり、
狂気とは、部分的なイメージが研ぎ澄まされ、
自らも、ソレを拡大したいと願い、
更に突き進もうとの意思をも持つに至り
自らの宇宙ではなく、狂気だけと対峙する結果となる。

なんで、急にこんな話しになったのかと言うと、今日は、バランスに付いて考えたかった。
イズミさんの美しいお話と、日本を騒がせている秋葉原通り魔事件、
両者を、ある一つの感性と捉えるのは随分と無理があるが、
それらは、人宇宙の両極に位置する

私自身、
どれだけイメージを大きく膨らませられるかに付いて
これまでずっと挑んで来たが、
狂気だけが一人歩きする危険性が付き纏う

狂気を支え得る身の丈を育まねば!! である。

その為には、絶えずニュートラルへと呼び戻し、検証する、バランスが大切と思える。

蛇足だが、この場合のニュートラルは、イメージ間の緊張が程よく調和した「揺れる想い」状態である。

ふむ、なんともややこしい「揺れる想い」日記になってしまった。
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ツバメの父、安土のアニキ

暫らくのご無沙汰である。

これまで巣立ったツバメ達が、[ねむはー]に大挙して里帰りだから、会社周辺はツバメ・ツバメ・ツバメ・・・・で、とっても賑やか。

回廊のツバメの雛も、もう飛び立たん程に成長し、巣作りの順番を待つツバメ、コットンボールで雛を育てているツバメ、我家の玄関で子育て中のツバメ、工場の電線で相手を物色中のツバメ、その他、取り合えず里帰りしたツバメとか、それぞれに名前こそ付けていないものの、かれこれ20羽以上は飛び交っている模様。

それと言うのも、毎年、20羽近く雛が孵り、それが20年近く続いているのだが、皆が生きてたら、合計400羽に上る勘定だ。

「社長、ツバメって、生まれた場所に帰るんですかね?」と、よく質問される。
「そりゃー、そうだうよ。帰巣本能と云うんだからな。」と答え、その後には決まって、「俺は【ツバメの父】なんよ。」と付け加える。

さて、近頃の私はと言うと、今週は早くも問屋さんの冬物展示会、週末からはフェアーと、それなりに忙しくしている。

昨日は、今日のフェアーの会場設営に問屋さんが3人来られ、夕方、仕事を終え、「安土城に行って見よう。」と言い出した。

「そんなら、案内してやろうか。
 なんせ、俺の安土城案内は、日本一やからな。お前等、幸せやなぁー」と、【安土のアニキ】は笑う。

安土城天主の館に4人ではいる。
これまでは、500円の入場券を自動販売機で買っていたのだが、「町内の人間が案内する時は、自分の券は買わなくて良いんだよ。」と、今年、津村町長から聞いていたものだから、受付で、その旨を言ってみた。

すると、「はい、いつもありがとうございます。3名様の分だけ頂戴しますが、それも団体割引させて頂きますから、お一人様、300円です。」とのこと。

いつも4人の場合、2000円払っていたいたが、なんと900円で済んだ。

帰り際、車から早速、津村町長に「ほんま、やったわ。1100円儲かった。」と電話。
受付の女子の愛想が良かった点は、言い忘れた。

その後、安土城址に行くと、もう閉門の5時。
以前は、門などなく、入場料も要らなかったのに、不便になった。

「ちょっと、そこまで行って、仏石を見せたいんやが、通って良いか?」と、門番のアルバイトに聞くも、「それは困ります。」との返事。、

『こいつは、困った奴や。』である。
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