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母べえ

昨夜見たのは、<A Href="http://www.kaabee.jp/">母べえ</A>。

時代は昭和15年。
監督が山田洋次で、主演は吉永小百合。

更に父べえが思想犯となら、
『うーん、さぞかしこれは暗くて面倒臭い映画なんだろうなぁ~』 と、用意に予想が付く。

それでも、
『そろそろ終戦記念日だし、それも良かろう。』とみる事にした。

案の定、たいした驚きのない展開であったが、浅野忠信は地味ながらも味を出し、小百合さんはいつもながら小百合さんを熱演。

昭和15年と言えば、当然のことながら私は未だ生まれてもいない。
親父ですら16歳だから、当時は未だ旧制の中学生か。

少々、面倒臭い映画だが、それなりに撮る意味も観る意味も、あるのだろう。
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朱蒙(チュモン) (その1)

先週末の連休に入る前、歯の具合が悪くなった。
歳はとりたくないと思うのは、どうも私の場合、歯に関してが顕著である。

現在の私の前歯は部分入れ歯で、それが金曜日に壊れてしまった。
少し前からグラグラしていたのだが、食事中に「バリッ」と取れた。

もしも、これが自分の歯なら、痛さの余り、泣かんならんところだが、入れ歯の為、痛みは無い。
これって、不幸中の幸い?、なのかどうかは別として、前歯がないと、なんとも間抜け顔。、

『男前も台無しやん。、』である。(爆)

『これでは人前に出られん。』と、カチッと差し込んでみたのだが、直ぐに取れてしまう。
連休で、歯医者も休みだから、自分で何とかしようと、ボンドでくっ付けるも、どうもよろしくない。
『それなら・・・』と、瞬間接着剤を買い、「これで、どうだ!!」なのだが、やはり上手く行かない。
プラモデルを作る要領で、くっ付けるも、10分もすればグラグラする。歯と言うのは、上下からの力には強くても、横からの力には弱い。

『人と喋らなくても過ごせる場所は・・・?』と、考え、思いついたのはパチンコ屋。
『うん。』とパチンコ屋に行ったが、ここも知り合いが多い。
ふと隣りを見れば、校長さん。、
喋るに喋れず、スゴスゴと退散。

『他に何か・・・?』
と、次に思いついたのは、ビデオ。
出来れば、長編モノがよい。

上手い具合に、「これは面白いよ。いっぺん、観たら?」と、紹介されていたのが、<A Href="http://www.bsfuji.tv/jumong/">【朱蒙】</A> 。

1枚のDVDに3話収録されていて、それが27枚だから、81時間の長編である。
あの冬ソナでさえ20時間だから、なんとその4倍だ。

「よし、この連休は、朱蒙三昧!!」と、観始めた。

最初の何話かは、少し退屈しつつ、であったが、回を追う毎に、なんとも面白い。
悪い奴は、トコトン悪巧みに明け暮れ、主人公は30分に一度位の割で地獄に落とされる。
人生、七転び八起きと言われるが、百転び百一起き。これでは命が幾らあっても足りない。

80時間と云うと、一日に16時間見続けたとしても、5日が必要となる。
流石に16時間は見られないものの、金曜日から観始めて、只今70話だから、かなり頑張った(!?)。、

(下へ続く)
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朱蒙 (その2)

(上からの続き)

観ている感じであるが、【まだまだ続く!!】と云う楽しみと云うか、安心感がある。
おまけにテレビと違って、一週間待たされる「じれったさ」もない。

この「まだまだある」の幸せ感で思い浮かぶのは、高校生の頃、いつも昼飯に行ったラーメン屋である。
弁当が無い、もしくは早弁した連中等、少し悪ぶった輩が校外で外食するのだが、そこの評判が、特大ラーメン。

大が麺が普通の2倍で、特大はなんと麺が3倍。
だから、喰っても喰っても、全然、減らない。
もちろん、最後にはなくなってしまうのだが、その時には腹が一杯で、満足する。

歯は、月曜日に治ったが、朱蒙は、あと10話ばかり残している。
楽しみも、後一日ほどか。、
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ちゃんぽん麺

昨日は、6時半から環境生協の理事会の為、6時に軽く夕食。
その為、23時ごろから腹が腹が空(す)きだした。
いつもなら午前2時ごろの筈が、である。

そこで、ふっと閃いたのが、どういう訳か[ちゃんぽん麺]。

『そうだ、ちゃんぽん麺を食べに行こう!!』と車を飛ばす。

[12時まで]と言うコトで、滑り込みセーフ。

オーダーは、
「ちゃんぽん麺の並と、炒飯のミニサイズと、・・・、そや、餃子も一つ。」

間もなく配膳された料理を、ガツガツと食べるも、
『うん?・・・・』と、何か気配を感じた。

『この【うん?】は、なんだろう?』
と、店を見回し、自分の記憶を辿ってみたら、

『あっ!!  アイツ! もしかして・・・』と閃いた。

この「アイツ」は、オーダーを聞きに来た店員で、
年の頃は、うーーん、16、7、才・・・(?)。
背が小さく、結構、可愛い系の男の子。
右の耳には、ピアス。

アルバイトでも、しているんだろうか。

何年前?
うーん、3年ほど(?)前まで、よくねむはーに来ていた中学生の3人組の中の一人。

あまり勉強が好きではなくて、(笑)
二人は高校へ行かないとか言っていて、
この子は、高校へ行く、って言っていた筈。

中学生の頃は、いや、今も、そう変わってはいないが、女の子みたいに可愛い子で、
「お前、女の子みたいやなぁー!!」と、良くカラカイ、抱きつき、くすぐってやったもんだ。

『そや、アイツに間違いない!!
 しかし、腹が減り過ぎていたから、不覚にも直ぐに気が付かなかった。
 うん、悪い事をした。
 それにしても、アイツも、知らん振りしていたなぁー。
 よし、声を掛けてやろう。
 アイツも憶えとる筈や。』

と、「水を呉れ!!」のサインを出し、ソイツを呼ぶ。

イキナリだが、
「お前、がんばっとるなぁー。
 元気やったか?」と、言えば、

コイツは、恥ずかしそうに、「うん」とうなずいた。

『ほれ、やっぱり、憶えとった』と、嬉しくなったが、
今回は、抱きついてのクスグリに付いては、せずにおいた。

私「お前達が一緒に居た、アイツ、
 えぇーっと、フィリピンの子、
 名前は、なんやったっけ? ようま?」

ソイツ「レンマ!!」

私「そや、レンマ!! レンマは良く、出会うぞ。」と、少し話を交わした。

「頑張れ、コイツ達!!」と、思わぬ再会が嬉しかった。
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飛んで火にいる別の虫 (その1)

暑いの前に糞を付けると、糞暑い。

どない風にしたら[暑さ]に糞を付けられるのかは疑問だが、
このところの暑さは、少しお下品に表現したくなる程に暑い。

お下品な表現って、どう言う訳か面白い。
下ネタ関係が主で、そのもの本来の持っている力と云うか、
いやいや、【そこぢから】と呼んだ方がピッタリな程の迫力がある。

「金を貸したが返ってこない。」
では、
単に経過説明だけで、本人の気持は伝わらないが、

「借金を踏み倒された」
 となると、
足を踏まれる痛みが伴い、

「しょんべんを引っ掛けられた」
 と言えば、
自分の惨めな気分と同時に、相手の卑劣さまでも伝わってくる。

この「しょんべんを引っ掛けられた」であるが、
同じ意味であったとしても、「小便」「尿」「おしょうすい」では駄目。
「おしょうすいを漏らされてしいました。」では、怒っているのか悦んでいるのか、訳が分からん。

「良かれと思って貸したのに、そのお返しがしょんべんかよ。」
と、顔や服に臭いしょんべんを浴びせられた怒りとがっかりの図が良い。
 

だから、
大便ではなく、「糞」とか「ババ」(ババ=糞と同義・・・例:ババをつかむ)
小便ではなく、「しょんべん」。

「糞」とか「ババ」だと、先ずは「うんこ色」が思い浮かぶと同時に、臭いまでもがプンプンし、
糞暑いともなれば、糞が身体中にべたべたねじ繰られた気色悪さなんである。

糞暑さの所為で、読み苦しい日記を書いている私だが、汗塗れ、糞塗れなままで、もう少し続けてみる。

お下品な単語は、「糞」や「しょんべん」もあるが、やっぱり、なんと言ってもセイ単語だろう。

(下へ続く)
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飛んで火にいる別の虫 (その2)

(上からの続き)

「セイ」とは、気軽に言えるが、タブーの単語は、恥ずかしくて簡単には言えない。

この恥ずかしさの根拠は何か?
に付いては興味がそそられるところだが、そんな話は置いといて、
「恥ずかしさ」は「お下品」な単語を使う程に増大し、それと同時に興奮度も頂点を極める。
濡れ場で、淑女があられもない単語を口にすればするほどに、である。

先日、テレビの政治談議で、天下り官僚と業者の関係を「ずぶずぶ」と言った評論家がいた。
『なんとまぁー、いやらしい。』と、「ずぶずぶ」に、男女のアノ関係を思い浮かべてしまうのは、私だけだろうか。

糞暑い夏には、下ネタスクープがお盛んだ。
モナ嬢関連の見出しでは、「飛んで火にいる別の虫」が私のお気に入り。

記者連中が、モナと噂のあったカズ(サッカー)との密会現場を押えよう、と待ち受けていたところに、偶然引っ掛かったのが二岡とのこと。

カズが夏の虫で、二岡は、別の虫。
とんまでエッチで平和な話だから、面白い。

うん、
俺も引っ掛かってみたいもんよ。、
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初恋、珠の汗編

しかし、まぁー、なんとも 暑いわ!!

私はと云うと、2階の事務所で、クーラーもつけずに我慢。
そう、我慢の子である。

「他の社員の迷惑になる!!」って?
いやいや、只今2階には独り。
2階の事務員は、先月から「ふとん博物館(コットンボール)」の方へ引越しをさせたから。

Tシャツ一枚のクールビズなんだけど、お腹や胸に珠の汗。
暑い暑いといいながら、冷たいお茶をガブガブ飲むから、滝の様な汗。、

まぁー、しかし、寒いよりよっぽどマシ。

「結構、俺、暑い夏が好きなんよ!!」

なのだが、
こんな風に言っていられるのも、夏バテまでの命かもね。

しかしもやっぱり夏は良い。
なんと言っても、暑さ、と云うか、太陽がギラギラしているのが嬉しい。

それに、蛍とか蝉とかカブト虫、
スイカも美味いし、ねぇちゃんも薄着になる。
そう言えば、
学生時代はミニスカートが全盛で、生足がなんとも良かった。

他に私の夏好きは、やっぱり夏休みに起因しているのかも。
この歳になると、夏休みなんて関係無いのだが、いつまでも憧れ、みたい。

なんせ、毎日が夏休みだったら、どんなに嬉しいだろう!!
なーんて、真剣に思っていた。

とは言っても、学校が嫌いだった訳でもなくて、それはそれで楽しく通っていたんだが、それでも何かしらの期待が持てたよな、「夏休みへの期待」。

小学校6年の時に、雑誌で「サマースクール」の案内を見たんよ。
長野県の山中の民家に、色んな地域から生徒が集まる2週間程度のミニ学校。

『へぇー、なんか、とっても楽しそう!!
だって、
色んな地域の子どもと友達になれるんだぁー』
と、ワクワクしたもんよ。

で、
参加したか? って言うと、行かなかったんだけど、ね。
なんせ、当時のお金で何万円か必要で、親に出して呉れ、なんて言えなかった。

小さい頃も、幼いなりに妄想が逞しく、
学生になると、更に、その妄想に磨きが掛かり、
なんと言っても、夏こそが性的に開放的で、妄想には最適のシーズン。

夏に馳せた私の幾多の妄想であるが、その殆どは実現せずに終わった。
しかしながら、
甘くほろ苦い記憶だからこそ、いつまでも憧れとして残っていると思われる。

うん、「夏こそは、僕の初恋」だった。

珠の汗を掻き掻き、ながらも、今夜の七夕によせて。
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百回忌 (その1)

二ヶ月位前に、京都の叔母から教わり、本日、百回忌の法要をした。
法要といっても、大そうはせず、お坊さんにお参りして貰う程度である。

百回忌の主(?)は、私からみれば大爺さんにあたる方で、俗名は辻為之助。
明治41年7月2日が命日である。

叔母曰く、
「綿屋は大爺さんが大婆さんと一緒に始めた家業で、4代目のアンタがワタセを継いで百回忌をして呉れるのだから、間違いなく喜んで呉れますよ。」

100年前は、もちろん私の知らない世界であるが、しかし、叔母や父から教えられて、それなりに知っている。
折角の百回忌だから、少し整理をしておくとしよう。何かの拍子に、子どもが見つけるかも知れんから。まぁー、辻家ミニ家系図と言ったところか。

◎初代
為之助 - さつ  (為之助は若くして亡くなったが、さつは、それからも長く活躍した)
    ↓
◎2代目
   重蔵(長男)、そえ(長女) - 清之助

2代目の重蔵(しげぞう)は明治44年に若くして他界した。
だから、本日の百回忌は、重蔵も一緒にさせて頂いた。

跡取りの重蔵が亡くなったので、重蔵の親友であった清之助(せいのすけ)が、深尾家の跡取りであるにもかかわらず「そえ」と結婚し、辻家の入り婿となった。

 清之助 - そえ
    ↓
◎3代目
    俊(長男) 悦蔵(次男) 順子(末っ子)

清之助とそえは、7人の子どもをもうけた。
ちなみに順子は、京都の叔母である。

長男の俊は昭和13年に、若くして他界した。

余談だが、私の父、悦蔵の言うには、清之助と俊は、安土小学校開闢(かいびゃく)以来の秀才であったそうな。
開闢以来の秀才が何で二人も居るのかは、私の知るところではない。
清之助は、生家が琵琶湖の海上輸送を利用して、壁土(かべつち)等の商売を営んでいた関係で、商いに長けていた。綿の他にも、畳の壷糸(つぼ糸)、自転車、満州から牛の買入など、多岐に渡る商売をしたらしい。

清之助は、昭和20年2月22日、そえは昭和22年2月2日に他界する。
悦蔵談話「命日を逆から読めば、見事に数字が合致する。仲が良かった。」

悦蔵は、20歳で父親と、22歳で母親と別れた。
私は悦蔵が25歳の時の子だから、祖父も祖母も知らない。

 悦蔵 - スミ子
    ↓
◎4代目
    貴史

この貴史が、私である。

(下へ続く)
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百回忌 (その2)

(続き)

悦蔵がスミ子を見初めた経緯は、本人から聞いた話であるが、なかなか面白い。

学徒出征、その後、終戦になり戻った父は、商売をしつつ教師になった。
『嫁を貰おう!!』と思った父は、家庭訪問を、その手段にした。
父が言うには、先ずは、頭の良い子で、しかも家柄が良い家。
そこへ家庭訪問と称して訪れ、教え子の姉を物色したそうな。
すると、うまい具合に、見たこともないベッピンが居たとのこと。

親父曰く「備えあれば憂いなし、用意周到とはこの事や。
こんなベッピンと結婚したら、一々バー等へ行く必要もないし、
生まれて来る子どもだって賢いやろし、
家柄も良いから言うコト無しや、と、思ったんよ。」

ところがである。
悦蔵とスミ子は、よく喧嘩をした。

なにせ、当時の悦蔵は両親に死に別れ、農地解放で田畑を没収され、辻家は以前ほど裕福でなかったところに、スミ子はお嬢様育ちと来たものだから、新婚生活は、絵に描いたようには行かない。

悦蔵「あの当時、教師の給料を3ヶ月分溜めても、ようやく背広が一枚買える程度やった。
結婚するからと言っても、大した用意が出来なかったから、せめて庭の手入れでもと庭石に苔を植えた。
それが、石油コンロも無いの!!なんて言われたら、ついつい喧嘩になってしもうて。」
と、よく聞かされた。まあー、片方の言い分だけでは判断が付き難いが、今となっては、どちらでも良い。

初代・為之助の妻「さつ」は83歳まで長生きし、夫婦喧嘩しては近江八幡市の実家に帰ったスミ子を呼び戻すべく、赤ん坊の私を負ぶって迎えに行ったそうな。
83歳の老婆が長い道のりを歩いて、である。

その翌年に妹の佳子が生まれるも、「さつ」は既に亡く、スミ子は結核を患ってしまい、遂には離婚するに至る。
私は父親に、佳子は母親に引取られ、別々に育った。
悦蔵は再婚し、その10年後、スミ子も再婚した。

と、まあー、こんな感じか。

一覧にすれば、二代続いて長男が若死にしているが、幸いな事に、私も、私の長男も健在である。
離婚したのは、悦蔵だけ、と云うことになる。

さて、五代目であるが、私には息子二人と娘が一人。
『ここまで続いた商売だから、是が非でも。』との了見は、然程、持ち合わせていない。

でも、『誰ぞ継いで呉れれば、ありがたいかも。』とは、内心だが少し思っている。
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