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[THE BUCKET LIST]

先週、見た映画は、旧作いろいろと、新作が3本。
いや、新作はDVDだから、本ではなく、枚が正しい数え方だろう。

で、その新作は、邦画が[うた魂♪]と[ガチボーイ]の2枚。
どちらも内容はベタだが、結構、面白い。

さて、私のおススメは洋画の<A Href="http://jp.youtube.com/watch?v=YZ0z86LmXBM">[THE BUCKET LIST]</A>で、これが<A Href="http://jp.youtube.com/watch?v=OltHNarHA9A&feature=related">予告編</A>。
直訳すると棺桶リストになるから、邦題は[最高の人生の見つけ方]と変更されている。
なんかハウツー本みたいな題名で興醒めするが、しかし、作品は滅法面白いから、是非、見て欲しい。

主演は、私の好きな怪優ジャック・ニコルソンと、モーガン・フリーマン。いちいち内容を言うのは野暮だが、余命半年の二人が、ひょんなことから病室で一緒になり、余生を二人で生きる話。

一人は離婚歴4回と人間臭い無神論者で、もう一人は、信心深い一穴主義の家庭人。この映画の良いところは、嘘っぽい悪人なぞは用いず、二人の主演のどちらにも与(くみ)せずイーブンで、描写のコマの一つ一つが快調に作り込まれている。だから、二人の会話が絶妙となり、なんとも面白い。私なんかは、何度も声をあげて笑ってしまった位に、である。

勿論、二人が同時に死ぬ訳ではなく、片方が少し先に死んでしまうのだが、「生きる歓びを見つけて呉れ。」と相方に手紙を残した。

この最後の台詞、<font size=5 color=blue>「Find the JOY in Your LIFE」</font>は、映画を見て3日ほど経過するが、未だ私の中に心地よく残っている。
もしも、このフレーズが、後1か月もこの調子で私の心に残っていたなら、私から皆へのメッセージとしてパクリたい、と考えている。

この映画の様に、人には様々な生き方があり、みんな、それなりに懸命に生きている。
何が正しくて、何が間違っているかではなくて、(勿論、稚拙な犯罪は問題外として。)
せっかく奇跡的に生まれ落ちたのだから、人生を懸命に、そして大いに楽しんで欲しい、

であります。
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孤立や孤独を恐れない (その1)

妹から電話あり、来年の一月と二月に、三人娘の内の二人が結婚式を挙げるから、出席して欲しいとのこと。

更に続けて、
妹「お布団、やって呉れる?」
私「了解。」
妹「息子の式の時には、父親代わりに挨拶をして。」
私「式はいつなん?」
妹「いや、それは未だ何時とも分からん。」
私「何を閑な話をしているねん。挨拶なんか、5分前に頼まれてもOKよ。」
妹「そうやった!! それでも30分位しゃべるやろう。」
私「お前の息子とは、殆ど面識もないんやがねー。」と笑う。

実の妹であるが、一緒に育っていない為、これまで出会った日数は延べても一か月未満だろう。結婚式だが、母親の再婚相手の都合もあり、私の出席に付いては妹に任せていたが、病弱で出席しない為、「出て欲しい。」となった模様。色々と厄介である。

どうして私が父親代わりの挨拶かと云うと、妹は離婚して、かれこれ数年が経過し、現在は一応大人になった子供4人と暮らしている。
離婚時に、何が原因かと問えば、「旦那と一緒に暮らしたくない。」であった。
「これまで一緒に居て、どうして今なんよ?」と聞けば、「子供が成長するまでは何かと我慢して来たの。」であり、こう答えられると返す言葉もなく、「そう言うなら、好きにしろ。」と云う他は、なかった。
旦那は、老後を妹と一緒に暮らそうと思っていただけに、当てが外れて相当憤慨していたらしいが、ジタバタしたところで後の祭り。

この書いてしまうと、その時々には色んな悩みがあろうが、過ぎ去ってしまえば、人の一生って、随分と簡単に思えてしまう。

かく言う私も、もう半世紀以上を生きた。
10代の時にも、20代の時も、それは未だに一緒であるが、いつの時にも「今の自分が一番良い。」と思って来た。
その時々が、豊かであったとか心配がなかったからでは決してなく、寧ろ、苦労とか悩みが尽きない日々であったに拘わらず、「それを良し」、と受け入れた。
「嘆いても始まらん。」と現実的に生きた、とも言えよう。

さて、
今夜は大きく、「人の一生とは?」で書き出してみようと思う。
これは、人だけでなく、生物にも置き換えられるようが、

幼い間は、メダカの様に群れ、
年頃になれば、
男は女を狩り、女は男を捕える
幸い子宝に恵まれれば、
多くは協力して育て、その後、死ぬ

たった、それだけとも言えよう。

(下へ続く)
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孤立や孤独を恐れない (その2)

(続き)

ところが、人の場合、その後の人生が長い。
日本では、65歳以上の人口は2割を超し、75歳以上の所謂後期高齢者が1割と、世界に誇る長寿国だ。先日、テレビでスウェーデンの老人福祉を取り上げていたが、その充実振りはなかなかのもので、『これならば税金が高くても文句は出まい。』と感心したが、今回は、それ等とは違う視点で、話を進める。

私が取り上げたいのは、孤立と孤独だ。

孤立、孤独と云えば、不幸の代名詞みたいに捉えられるが、最近の私は、『そうでもなかろう。』と、思っている。
寂しがり屋だった私が、そう思うのである。

「ねむはー」に、いつも連れだって来る中学生を見ると、もちろん私は、眦(まなじり)を下げて、「うんうん、可愛いい。この時代は、そうでなくっちゃ、いかん。」と思う。
誰しもにメダカの時期があって、その時には大いに群れる必要があるし、また、年頃の男女が、暇さえあればクッツイテいる様子も、『まあー、良かろう。』だ。群れたり、抱きついたりするのは、お互いを確認し合う作業と思われる。

友達や仲間の存在は人生を豊かにする、に異存はないが、私の年になると、若い頃の様に、いつも一緒に居たいとは思わない。
これは、一緒に時間を過ごすのが嫌と云う訳ではなく、別に一緒に居なくても、十分に友達であることを確認できている訳で、例えば、親友と数年振りに出会ったとしても、その友情に変わりはない。言い換えるなら、一一確かめずとも、友情が確信できているのだ。

だから、孤立とか、孤独は、肉体的な様相を指す概念ではなくて、心の在り様を指す概念だと私は思う。
問題は、「傍に誰か居るのか?」ではなくて、「心に信頼を築き上げたか?」だ。

だから、「孤立や孤独を恐れない」との表現は、「たとえ独りで居たとしても、孤立している訳でも孤独な訳でもない。」と言い換えられる。

私は、これまでと同様に、これからも「今が一番だ!!」と思っていたい。
その為には、孤立と孤独を恐れない姿勢が必要な気がしている訳で、それを支えるのは、これまで生きた事実としての人生と自分なんだろう。

人は誰でも、必ず独りで死ぬ存在である。
これは、好きとか嫌いで避けられない。

孤立や孤独を恐れない姿勢は、これから死に向かう存在であることを受け入れて、それを肯定して生きようとするものだと、最近、思う。

ふむ。、
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ひさびさに絶倫男 (その1)

近頃の私は、かれこれ1か月近く、独身生活が続いている。

今日の昼は、問屋さんが来たから、一緒に「天ぷら釜揚げうどん」を食いに行き、晩御飯は、つい先ほど(10時過ぎ)、ちゃんぽん麺と、今日は麺類シリーズだ。
ご飯も好きだから、「ご飯屋」さんにも良く行く。
しかし、あまり毎日行くと、「なんなん、あの人?」と思われても困るから、
(って、実際には、そんなコト誰一人、思わないのは、承知しているんだが、)
同じ店に、4日以上続けて行かない様にしている。
普通、同じものを食べると飽きると言うが、私の場合、それが全く平気な性質(たち)で、それは「面倒臭くないから良い」と云う至極単純な理由である。

この話は、以前にも日記に書いたと思うが、
昔、かばん屋さんでアルバイト(一応、責任者でもあった)していた時も、お昼は、いつも「ワイン」と云う名前のピザ屋さん。毎日、頼むのは[ミックスピザとチキンスープ]だから、半年もすると、何も言わずともソレが出て来たものだ。
それが一年も続いた時に、「アニィ、何か違うモノを食べたら。」と言われ、
「何にしたら、良い?」と聞けば、「醤油スパも美味しいよ。」と言われ、それからの毎日は、そればっかり。

独り暮らしも、結構と楽しいもので、何が楽しいかと云うと、煩わしさが何にもない。
独りで食事をするのは味気ないか、とも思うが、いちいち誰かを呼び出すのも面倒臭い。

『そうそう、豊樹が以前に、「ビール飲んで、焼き肉食って、風呂入って」、と言うとったから、連れて行ってやうか?』と、先日も思ったが、『まぁー、良いかー』と不精をした。
(もしも、豊樹よ!! これを読んでたら、何時でも連れて行くからな!! 連絡呉れ。)

さて、先日まで続けたAV男優君のその後であるが、未だ会っていない為、今日は別の友人の話。
彼は小学校の同級生で、以前の日記にも書いた「絶倫男」。

いつも私が車を運転していると、「何所へ行くんや?」と、彼から電話が掛かる。
昨日もやはり運転中に、「今、すれ違ったぞ。」と、電話が掛かり、ちょうど、女関係の日記を書いていたのを思い出し、聞き出すことにした。

私「あのなー、お前は何処で女を見つけとるんや?」
絶倫男「それは、色々とあるわいな。」
私「色々ではあかん。この前言うとった大阪の子は、どう云う子?」
絶倫男「30代の主婦や。」

(下へ続く)
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ひさびさに絶倫男 (その2)

(続き)

私「そんなん、どうして見つけた。」

と、この調子で聞くのだが、絶倫男は正直に答えて呉れる。
簡単にまとめれば、友達の紹介らしく、その彼女は素人だが、趣味と実益を兼ねて彼と会っている。
先日も、絶倫男が、そのまた友達を連れて行ったところ、その彼女もまた、友達を連れて来た、と云う具合に、その輪がどんどんと広まっているらしい。

ここまで聞くと、やっぱり、とことん聞いてみたくなるもので、「幾らなん?」と聞けば、一万円とのこと。
私「お前、国民年金も払わんと、それにばっかり金を使っとったら、アカンやんけー。」であるが、「お陰で、チン●ンだけは、悦んどりますわー。」と笑い飛ばす。

と、まぁー、「好きなものは、好きなんやー」と、彼の場合は、ある意味で開き直った豪胆さが痛快である。

今は、もう亡くなられたが、女の道の帝王と呼ばれた方が、
「あのなぁー、たーちゃん。素人には、手を出したらアカン。
 相撲で言うたら、お金は清めの塩みたいなもんや。」と、しみじみ話された。
どうして「しみじみ」、なのかと云うと、それまでの人生で、素人さんには散々と手を焼かれた為の溜息まじり、だからである。

絶倫男に言わせれば、
「俺は、アレコレと女の気を引く手練手管も持ち合わせていなければ、今更、恋愛する柄でもなし。
 付き合う煩わしさも御免だし、別れる切れるの喧嘩も懲り懲りよ。
 それに、女の方も、割り切っているからこそ楽しいんや。もう何回も逢っているけど、それはもうー彼女、大喜びよー。」と、ここまで惚気(のろけ)られると、もうー、結構!!、である。

うん、今日は、なんの話やったけ?

そうそう、掲示板にレスを書いたから、その余韻が未だ残っていた。

【「女!紹介して貰えませんか?」と言われて 】であるが、
この場合の女は、AV男優の言う「女」と、絶倫男の言う「女」では、違うかも知れない。(うん? なんか、一緒の様な気もするが。、)

ただ単に話するだけなら、それを「女」とか「男」とは言わずに、単に「友達」で良い訳だから、そこには性関係込み、が通常だ。

性をコントロール下に置くのは至難の業だ。
人間の基本的な欲求であるものの、古くはユダヤ教の「旧約聖書」の戒律から始まり、更には所有の概念に縛られる等、簡単には捉え難い。

そろそろ2000字やから、今夜はここまで。
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その6)

(その5)からの続き

<font size=5 color=blue>「もっと他にすべきコト」</font>

私には、「もっと他に、すべきコト」が山ほどあって、「女なんか、いらん」と健気にも決意した若き日があった。
しかし、振り返ってみれば、すべきコトが山ほどあったのではなくて、「すべきコト」「成すべきコト」に疑問をもったと思われる。

「自分は、いったい何をすれば良いのか?」と、一応、人並に哲学に目覚めたのである。

もちろん、したいコト、欲しいモノ、得たい知識や築きたい人間関係等など色々あるものの、
「果して、そんな事で良いのか?」との疑問に向き合った結果、一つ一つを吟味、検証して、極端な話、「金なんか欲しがらんぞ。女なんか、いらん。出世なんか、せん。」の選択肢すら生まれる。

生意気にも、「充実した人生を送りたい。」と願った訳で、更に、社会の矛盾や歴史の歪みまでも引き受けんと欲するに到り、若気の至りも手伝って、それが実現できるかの如き大いなる錯覚に陥る。
私の場合、この大いなる錯覚を未だに抱いている程の幸せ者ではないが、その余波と云うか余韻を、やはり大切にしている節がある。

と、少し話が逸れたが、「もっと他にすべきコト」とは、
現状はバター不足だからマーガリンでも、
いやいやジャムもある、
いっそ、米食に戻そうか、の一連の代替え品に流れるのではなくて、
「この際だから、そもそもの自分の根本を見つめ直そう。」とする態度なり姿勢を指す。

もう少し具体的に言うなら、「果して、彼女が欲しいのか?」を自らに問い掛け、もしも欲しいとするなら、その理由、原因を自らの内的な問題として捉えるべし、と考えるもので、早い話、自分を見つめ直すことである。

<font size=5 color=blue>【自分を見つめ直そう】</font>の章

学生時代に私は、対人間観、対女性観に関して一つの仮説を導き出した。
それは、
「付き合う相手は誰でもよい。上手く行く、上手く行かないは、相手サイドの問題ではなく、寧ろ、自分サイドの問題である。」

(下へ続く)
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その7)

(上からの続き)

この考え方は、私の対女性観と云うよりは、結婚観でもある訳で、『学生の分際で、何を生意気な!!』と思われるかも知れないが、その根拠は、私の家庭にあった。

父は、私の幼年期に離婚した。生き別れである。

その後、再婚するも喧嘩が絶えず、暇さえあれば、別れる切れるの大立ち回りで、幼いながらも二人を取り持つ為に、近くに住まいする親戚の伯父を呼びに行く等、苦労が絶えなかった。
そんな環境から、「私の父は、誰と結婚しても上手くいかんやろう。」との結論を導いた。

これは、なにも結婚相手に限定されることではなく、労使の関係でも、同様だった。私の家は商家で、使用人さんも居られたが、なかなか長続きがしなかった。零細企業故でもあるが、雇用者であるところの父の責任も大きいと、これまた幼いながらも学習した。

これは、父自身も承知していたらしく、『ワシは人使いが下手糞や。これに関しては、たーちゃんの方が上やね。』と何時も口癖の様に言っていた。

しかし、よくよく考えてみると、なにも父に限ったことではなく、人間関係は、誰しも難しい。
人は、誰もが我が儘で、「我慢が足らない」と言ってしまえばそれまでだが、我慢ばかりしていては、自分を見失う。

<font size=5 color=blue>そろそろ終わりにしようかな。</font>の章

と、紆余曲折して来たが、なんの話やったけ?

そうそう、AV君が女を探している、んやった。(笑)
なんで別れたのかは知らんが、それは相手の問題もあろうが、自分の内なる問題もあろう。

男も女も仕事をして経済的に自立する時代だから、お互いに我慢する必要がない。
結婚して子供がいる場合は簡単にはいかないが、そうでなかったら、「我慢して付き合う位なら別れた方が良い。」とは、自然の流れだろう。

それじゃ、「なんで女が欲しいんや?」を明確にする必要がある。
その答えは、
(1)だって、男やから、当然やろう。= 生理的な理由
(2)一人では、寂しい。 = 精神的な理由
(3)そろそろ結婚したい。

(下へ続く)
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その8)

(上からの続き)

(3)の結婚の場合は、また別の話で、いやいや結構、被っているが、長くなりそうなので省略して、(1)と(2)の場合、「それだけの理由で、付き合って、挙句に、色々と我慢したり、自分を犠牲にしたりで、良い訳?」と聞きたくなる。もちろん、自分自身を含めて、聞くのである。
仕事とか社会的な事柄は、一人では何も進まないが、精神世界は、自らの責任で豊かに治めたい。

『うん? 何も犠牲にしていないって?
 いやいや、相手なり、自分なりが、何か不満があるから、別れたんでしょう!!
 何度、同じことを繰り返したら、気が済む訳?』と、自分自身に問うてみるのも良い。

AV男優君様に、若ければ次を探しに頑張っても良かろうが、探さないのも一つの方策だと私は考える。

一つの終わりは、一つの新しい始まりだ

人生は長くはない

終わりを嘆くより、始まるチャンスを歓びたい

始まりとは、新しい自分の発見であろう

アルチュール・ランボーは、海を見ずして[酔いどれ船]を書いた。
彼と比べれば、私は随分と生き、多くを見た。

私に発見すべきものは、
自らのイメージそのもの、愛そのもの、情そのもの、哲学そのもの、と言えよう。

学生の頃に読んだ本に、リルケの「若き詩人への手紙」の件(くだり)に、
「あなたは本当に詩が書きたいのですか? それを考えなさい。」とあって、コレって、何にでも当て嵌まる。

人は、簡単に付き合うけど、本当に付き合いたい訳?
付き合うって、何?
独りで、いいやん?

と、『独りで日記を書いている自分って、なんなん?』
であるが、この日記の彼方に、明日の自分を探そう!! と、思っている。

(もう、続けん。)

☆ つまらない戯言に最後までお付き合い頂き、どうもありがとうございました。
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その4)

(3、からの続き)

土曜日に『AV男優君はどうしているんだろう?』と、スタンドに行ったが、彼は公休。
『そやそや、アイツは、土日と祭日が休みやったな。』と、彼が気楽な身分であることを、今更であるが思い出した。

「どうしとる?」と直彦に聞けば、
「金曜の晩から4日連続で女探しに行きよった。ホンマ、元気な奴やわー。」とのこと。

<font size=5 color=blue>【代わりの彼女を探す。】</font>の章

彼女がいなくなった場合の対処法として、
「社長、女!!紹介して貰えませんか?」となる。

私に頼んだところで、上手く運ぶ可能性が薄い事など、彼は百も承知であるだろうが、しかし僅かな可能性でも掛けてみようとする姿勢は、立派なモノと言えよう。

さて、彼が述べた[心に穴状態]は、[胃袋が空腹状態]に近い。
「どしてか」と云うと、
人は空腹になれば、何かを食べずに居られない。
食べ物は、空気と同様に「無し」では生きられないからだ。

しかし、同時に「女は無くても死にはしない」と言える。
ここに、「睡眠欲並びに食欲」と「性欲」の決定的な違いがあるが、「死なないから良い」との理屈を言っても、彼には無意味。

「人それぞれ」と言ってしまえば、それまでだが、
年齢であるとか、欲する情の強さとか、性格を構成している要素の違いによって、その行動に違いが出る。

ともあれ、
彼の様にストレートに表現し、そして行動に移す様子に、今の私は、なぜか清々しさすら、感じている。
それは、たぶん、若い頃の私にも、出来なかった表現方法であるから、だろうと思う。

<font size=5 color=blue>【瘦せ我慢】</font>

私にも、当然、若い頃があった。
もしも、私が若い頃に、友人から「女!紹介して呉れ?」と言われたら、即座に、「お前、もっと他にすべきコトが無いのか!!」と返したに違いない。
だから友人も、そんな私を知ってか、そうは、ストレートに言わなかった。

でも、実際は、精力が有り余った年頃だったから、女が欲しくない訳がない。
「それでも、武士は食わねど高楊枝よろしく、みんな瘦せ我慢をしていた、そんな時代だった。」なーんて言うと、少し大袈裟過ぎるが、こうした禁欲主義と云うか、ストイックな生き方が恰好良く思えた。

その理由の一つは、「もっと他にすべきコト」であり、後の一つは、「恥じらい」だろう。

(まだ、終わらん。、)
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その1)

<font size=5 color=blue>【はじめに】</font>

馴染みのGSにイケメンの社員がいる。パチンコの海物語に出てくる「サム」似で、先日もジャケットのモデルを頼んだ。このGSのオーナーの直彦は[みのむしタイガース]のモデルであり、今も私の掲示板に、その写真を貼り付けている。

私は、彼等に断りも無く日記に書いたり写真を掲載したりであるが、「まあー、容赦されたし。」だ。この場だから、少しヨイショをすると、彼等は二人とも人柄が良く、おまけに、なかなかの男前。直彦は少し背が低いが、マイケル・J・フォックスに似て、サム似の青年は、勢力絶倫で、女に持てるから、別名は[AV男優]。それに反して直彦の場合は、そんな男臭さに欠けるが、ある女性からは、「直彦君は、何もしなくても、ただ手を繋いで寝ているだけで良いわ」との評価もあり、なかなかの名言だと、私は感心した。
(しかし、最近、やけに太り出し、「それはアカンやろう!!」と喝を入れたばっかりである。)

先日、会社を出たところでパンクに気づき、「直ぐに来てくれ」と、直彦に電話。
その対応たるや、予定通り素早く、
私「よくぞ対処して呉れた。」と礼を言えば、
直彦「昔、社長の日記に、困っている時にこそ役に立つことが大切やと、書かれていたのを思い出したんですわ。」と、学習能力もある。

二人とも30歳代で私より随分と若いが、私は、そんなことなぞお構いなしで、あたかも「連れ」の様に話し掛けている。
それが功を奏したのかどうかは判らないが、AV男優から思わぬ言葉を掛けられた。

さて、<font size=5 color=blue>、【女!!紹介して貰えませんか?】</font>の章

AV男優「社長、女!!紹介して貰えませんか?」
私「なんや? お前は、女なんか、いっぱい居たんと違うんけ?」
AV男優「それが、いっきに全滅してしもうたんです。」

「よしよし、そんなら紹介したるでぇー」と、持ち合わせ(?)の数さえ有れば、それなりに恰好を付けられだが、残念ながらも、お生憎様、で「そうかー、お前でも、そんな時期が来たかー。」と、同情しながらも、『偶には、そんな苦労も良かろう。』と、小気味良さを覚える意地悪な私でもある。

こうなると、俄然と私の眼は輝き出し、
「夜が手持無沙汰なんやろう?」と切り出せば、「そうなんですよ。」とションボリ。

(まだまだ続く)
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その2)

(上からの続き)

私「うーん、無理もない。
特に休日なんぞは、これまでなら予定がギッシリ詰まっていたのに、急に閑になったものだから、何をしたら良いのか戸惑うばかりやろ!!」

AV男優「ホント!! その通りです。胸にポッカリと穴が空いた感じですぅ。」と、これまで見せた事がない様な惨めな顔のAV男優。
自信満々だった彼に哀愁が漂い、なぜか嬉しい。

こうした場合、次なる私の提案は、「よし、それなら、一緒に女を探しに行こうか!!」だ。

彼「探すって、何所へ行くんです?」
私「何所に行ったら、女は居るんや?」
彼「うーん、やっぱり京都ですかねー。」と会話が弾む。

= = =暫し、横道へ妄想 = = =
この時に私は、急に彼女募集中の浩ちゃんを思い出し、[30代、40代、50代の男3人組の珍道中]をイメージしたものの、それはまた別の話で、只今の私は、流石に実行に移すには気力と云うか、情熱不足が委がめない。(浩ちゃん、いきなり登場させて御免。これじゃーマルッポ、町内会の話やん。、)
= = = 横道から戻る = = =

そこで私「独り身も、なかなか良いもんやろうに。」と投げ掛ければ、「いいえ!! そんな時間は、もう~これ以上は懲り懲りです。」と案の定の返事。

と、まあー、ここまでが前段のお話で、もう少し話を掘り下げてみよう。

「懲り懲り」と言う「彼の時間」は、現在、止まっている訳だ。

私にしたところで、彼の気持ちが分からぬ訳ではない。
何年もの間、深夜に風呂屋へ通っていた私だが、もう半年以上も前からプッツリと行かなくなり、あまりの手持無沙汰に困ったものだ。

お次は、<font size=5 color=blue>【時間にはリズムがある。】</font>の章

時間にはリズムがあり
時計に例えるなら、機械仕掛け
歯車が欠けると、振り子は動かない

彼に彼女がいなくなり、
リズムどころか、振り子も止まってしまった

しかし、
それでも時間は進むものだから、彼は当惑する

それを言葉にするなら、
『俺のリズムは、何所へ消えた?
 あのメロディーは、もう聞こえないのか?』だろう。

人は自分で自らの人生をつくる、であるが、
そこまで大層を言わずとも、
人は自分なりに、日々の時間のリズムを作っている。

(まだまだ続く)
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女!紹介して貰えませんか?と言われて (その3)

(上からの続き)

時間のリズムは、本来、自分のペースで刻むものだが、そこに他人が入り込む。
それが、家族であったり、友達であったり、彼氏、彼女であったりと、独りよりは、複数と過ごす時間の方が豊かになる。

(ほんとうか?)

概ねは、そうだろうが、実際は、

時に、豊かに感じ、
時に、煩わしくもある、と言った方が正確だろう、と私は思う。

理由は簡単で、人は自分の思い通りにはならないからだ。

原始の昔、人は一人では生きられなかったが、今は一人でも生きられる。マンモスや狼に襲われもしなければ、狩りに出ずとも簡単に餌を入手できる。現代では、人は一人で生るもの、が基本だが、しかし、一人ではやはり寂しい。

少し横道に逸れたが、話を彼に戻す。
会話の中で、彼は注目すべき発言をした。

それは、「お前なら、幾らでも彼女が見付かるやろうに。」と言う私に、
「そうは、簡単に見付からない。」と言うではないか。
私「どうして?」と聞けば、「そういう場所に自分が居ないからだ。」と答えた。

<font size=5 color=blue>【そういう場所に自分が居ない】</font>の章

私は、彼だけが、そういう場所に居ないのではなくて、今の時代が、そうなんだと思う。
現代社会は、開かれた社会に見えても実際は閉鎖社会であるらしい。

私「現代人は疎外されているぞ。」

あれほど持てていたAV男優君ですら、女日照りに陥り、「そういう場所に自分が居ない。」と云わしめるのは、現代社会に男女の出会うチャンスが如何に少ないかの証拠と思われる。

こんな時に、「それじゃ、出会い系サイトはなんなん?」だが、こうした嘘っぽいサイトが商売になること自体が、出会いの機会が無い証と言えよう。

実際に、私も、知人から、親戚の娘さんや息子さんの結婚相手を紹介して欲しい、と頼まれる事がしばしばで、「付き合っている彼氏は居ないの?」と聞けば、「本当に、居ないみたい。」との返事が殆ど。

一昔前は、どこの町や村にも世話好きのオバチャンが結構と居て、「お見合い」と称して、あれこれ世話を焼いたものだが、そんな奇特な御仁がとんと少なくなってしまった。これは、なにも自由恋愛が主流となった訳ではなく、世代を超えたお付き合いとかの地域社会が崩壊しつつあるからだろう。

(まだまだ続く)
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独身貴族?

京都に下宿している雄太が、じん帯の手術をした関係で、細君が留守。
いつ行って、いつの日に戻るのかは定かでないものの、晴れて独身貴族かと思いきや、実際、始まってみると、そうではない。

なぜなら、家には私一人ではなく、犬2匹と猫2匹が同居している。
猫に散歩は不要だが、犬の散歩。それと食事は4匹とも欠かせない。

『うん? これなら以前の方が、よっぽと独身貴族やった。』と今更、気付く。

さて、そんな私の食事だが、
今日の昼食は、駐車場でもぎ取った無花果(いちじく)5個。

仕事を終え、散歩の前に、「少しパチンコ!!」と、行けば、掛かってしまい、帰ったのは午後10時。

『おっ、今日も留守か!!』と、それから犬の散歩をして、犬、猫に食事をやる。

11時過ぎに、『そやそや!! 俺も食事をしなくっちゃ。』と思い出し、コンビニへ。
昨夜はローソンだったから、今夜はセブンイレブンにした。

すきっ腹だと、ついつい量が増える。

「長崎皿うどん」と「ミニおにぎり5個セット」
それに野菜不足は駄目だからと、珍しくも「ポテト&コーンのサラダ」と別売のドレッシング(21円)
レジに行って、「大根、卵、ゴホウ天のおでん」も頼んだ。(ちなみに、昨夜は大根、卵、ちくわ)

〆て、1,235円。
『うん? これなら中華料理屋で、日本一の炒飯とレバニラ炒めが食べられる金額や。コンビニにしては、高いなぁー』と思いつつ、支払いをする。

店員「お箸は?」と聞かれ、「いらん(いなん)」と答える。
これでも、一応、環境生協の副理事長だから。(笑)

さて、これだけ食べたのだが、やっぱり多過ぎた。
あと、おでんの卵とおにぎり一個のところで溜息を吐き、それでも無理して食べ切った。

食べ過ぎた後の後悔は、苦しみを伴うから辛い。

『うーん、今日は、お昼にイチジク5個だけ、だったよなぁ~。
 他に、何か食べたっけ?』と、余りの苦しさに、一日を振り返る。

すると、『あっ!! パチンコをしながら、ワゴンサービスで、アイスコーヒーの他にワッフルを頼んだ事を忘れてた!!
うーん、これを思い出していたら、おでんは止めたのに。、』と、思うも、後の祭り。

話は変わるが、黒澤明監督が亡くなって10周年とのこと。
一昨日は、「7人の侍」を見て、昨日は「醜聞」を見、今夜の予定は「白痴」。
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お仏壇に[安土逍遥]を。(その1)

滋賀銀行安土支店が移転し、新築されて一年以上経つ。
その間、「一度、寄らせて頂くわ」と言いつつ、今日まで来た。

先週も支店長が来て、
「社長が来てくれるより、僕の転勤の方が早いわ。」と言われ、二人で大笑いした。

たいてい、支店長は2年ほどで転勤する。
だいたい温和な支店長が多いが、偶に、と云うか戦略的に、冷酷な貸し渋りの支店長も派遣される。前の支店長は、その部類だろう。

金を貸してほしい時には、なかなか貸してもらえず、必要のない時は貸して貰えると云う具合に、中小企業の経営者は思っている訳で、勿論、私もその一人である。

今日、仕事に一区切りが付き、ふと時計を見れば、午後2時30分。

『おっ!! 今から銀行へ行けば、未だシヤッターが開いているぞ。』
こんな日を逃せば、もう行けない!! とばかりに銀行へ向かった。

行けば、代理が出て来て、「支店長は来客中の為、しばらく応接室で待って欲しい。」
私「煙草は吸えるか?」
代理「駄目なんです。」
私「なんでや?」
代理「健康の為を考えまして。」
私「そんなん、大きなお世話や。どっか、吸えるところは無いのか?」
と、言う事で2階の喫煙室に行き、愛煙家の融資係を呼んで一緒に煙草を吸う。

5分ほど待ち、支店長が来る。
先ほどの煙草の吸えない応接室に案内され、茶が出る。

支店長「ほんまに来て呉れはったんですね。だから、さっきから雷なんや。」と歓待される。

私「煙草を吸うから、灰皿!!」と素知らぬ顔で言うと、「君、灰皿を持って来なさい。」となり、「うん、これで来た甲斐があったわ。」と煙草を吸いながら大いに喜ぶ。

さて、支店長が「これ御存知ですか?」と書棚から「安土逍遥」を出した。
昭和62年3月に安土町から出版された本で、厚紙A4版オールカラー50数ページの豪華本。
親父が町長の時に出版し、当時63歳。親父の他の執筆者は、堺屋太一氏、内藤昌教授、遠藤周作氏と豪華である。

表紙を捲ると、親父の顔写真が現れ、私は思わず『あっ!!』と声ならぬ声を漏らした。

私「今、初めて気付いたわ。
  親父の顔を見たのは、葬式の時、以来なんよ。」

(下へ続く)
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お仏壇に[安土逍遥]を。(その2)

(上からの続き)

支店長「えっ? どうしてです?」と聞かれ、「僕は、写真一つ持っていない。」

そこで、「この本、貰えんか?」と頼んでみたところ、「どうぞ!!」と頂く。

本には、若かりし日の親父が毅然と居た。
私の記憶の中では、最期の年老いた顔ばかりになっていたが、写真のお陰で思い出までもが若返った気がするから不思議だ。

支店長「こうして見ると、やはり親子なんですね。社長は似てますわ。」
以前なら、「そんな事ないやろう」と無下に否定していた私であるが、「そうですか。」と嬉しく思えた。

「今日は来た甲斐がありました。せめて写真一枚欲しいと思っていたんです。どうもありがとう。」と丁重に銀行を後にし、そして今夜、本を仏壇に供えた。

目次を見れば、2ページ目に【町長からのメッセージ】とあり、そのタイトルは、[来るべき21世紀に私たちは、何を残してやれるでしょうか。]

お仏壇にお参りはしても、お経を唱えられない私だから、「親父、今日はお経の代わりにと言ってはなんだが、親父の書いた文章を読んであげるわ。」と朗読。

これまで生前に貰った灰皿が唯一の遺品だったが、思わぬ事で、もう一つ、[安土逍遥]が追加された。

大切なものは、「物ではなくて思想なんだ。」と常々思っている私であるが、嬉しい貰いモノをした。

       合掌
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