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4年経っての、合併 (その1)

100年に一度の不景気と言われながらも、一昨日は商工会の新年会で、今日は銀行の経友会と、まだまだ新年会が続いている。別に、それが変でもなくて、極端を言えば、例えば戦争中であったとしても、この様な光景が見られたものと思われる。

一昨日と今日の参加メンバーは、7割近くが同じで、本当なら、どちらか一方の参加で済ましても良いと思われるが、会長の三村氏が、頭が下がるほどに尽力されているのに絆(ほだ)されたのと、安土塾の高木君(商業部長)が「商工会が目指す地域活性化とまちづくり」を基調講演することもあり、出席した次第だ。高木君なりに、合併を前にして、安土のアデンテティづくりを急いだのだろう。

30年前に安土塾を作った時には、20代、30代だったから、この様な会ではワカイモン扱いで少々気分が悪かったが、今や、町の中核を担う年頃になった。継続こそ、力なのだ。

さて、かれこれ4年ぶりの話題となるが、安土の合併。
4年前と同様に相手は隣の近江八幡市で、今年の3月、合併法定協議会の立ち上げに向けての説明会が連日なされている。

前回は、法定協での「新市まちづくり構想」の策定も終わり、いよいよ調印と言う時に、頓挫した。
「民意」なる単語が、都合よく飛び交った。

そして、2年前の町長選と議会議員選挙では、当然ながら、合併が争点だ。
津村町長は「合併推進」、相手候補は「当面単独」で、再度、民意が問われ、現職の津村町長が当選した。
議員さんも合併推進派が6人(10名中)と、首長も議会も、足並みが揃った。

合併をしたとしても、何も安土が無くなるものではない。
54年前に「安土村」と「老蘇村」が合併したが、未だに、安土は安土であり、老蘇は老蘇と云う様に、地域社会の基本は、小学校区であろうと私は考えている。

合併とは、町が無くなるのではなく、それは、単に行政改革の一つだ。

現状の日本は、国も、県も、市町村も、大赤字である。
これは、二重行政、三重行政と言った、行政の無駄の成せる技で、現在の日本は、「役人による、役人の為の、役人による政治」と言えよう。
役人栄えて、国民が困窮し、国が滅ぶ、のである。

(下へ続く)
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4年経っての、合併 (その2)

(上からの続き)

市町村の合併の先には、都道府県の合併を進め、行財政を際立って改革し、この国の税金の多くを、国民の為に使う日を実現しなければ、将来がない。八日市の県事務所の人員も権限も委譲できるだろうし、悪名高い北海道開発庁等の幾多の国の出張所も、廃止できよう。こう書けば、簡単に見えるが、それぞれに既得権益があって、大変難しいのが現状である。

現在、盛んに指摘されている公務員制度改革であるが、合併になったからと言って、簡単に削減できるものではない。議員や町長の様な特別職は、失職して一挙に削減出来るが、職員に付いては、寧ろ合併した方が、将来も安心して仕事に邁進できると思われる。

議員数が減ると、住民の声が届かないとの指摘もあろうが、これに付いては以前に日記にも書いたが、日本の議員報酬が高過ぎる点にある。(日本平均は、県会議員の年収が2000万、市会議員で1000万弱、町会議員でも480万)。これを欧米並み(年俸50万円)にすれば良いのだ。

近頃また、合併反対のビラや集会が盛んである。
そんな時期が、またぞろ来た。
これらに対して、私は、目くじらを立てるものではない。

誰しも、長年馴染んだ町の合併を諸手を挙げて賛成しない。
安土の大好き度を測るならば、私などは大好きの筆頭に名乗りを上げたいと思う。

合併は、当然の事ながら住民にとっての重要な問題だから、十分な議論は不可欠である。反対するにも、それなりに安土への思いの深さや、目指す将来像があっての事だろう。
しかし、一部の反対派の思惑で、いたずらに年月を重ね、無駄に税金を費やすのは、私はあまり感心しない。

合併せずして「このままの安土」を続けられるなら、それは良いのだが、「そうは立ち行かない」将来が迫っている現状では他に方法はなかろう。これは、何も安土だけに限ったことではない。

一昨日、津村町長は、「今回が、対等合併できる最後のチャンスです。」と述べ、それに向けて不退転の決意を語った。応援したい。
町長ならびに議員諸兄は、民意の代表である事を深く心に刻んで、邁進して頂きたい。

ただ、大事なことは、合併したからと言って、それで将来が安心と言うものでは決してない。
これは単に、行財政改革の一つであり、「まちづくり」は、これまで同様に、いや、これまで以上に、町民の一人一人が頑張る必要があろう。
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春の便り

昨夜、テレビでセンバツ(第81回選抜高校野球大会)の出場高校が地区毎に紹介され、近畿地区の番になるも滋賀県が見当たらず、『ちぇっ。、』とがっかりしていたものの、なんと、最後に紹介された21世紀希望枠に、母校の名前が。、

「えっ?」と、嬉しさよりも驚きが先立ってしまった不覚さを嘆きつつも、『いやいや、以前にも21世紀枠の候補になっていたんだよ。そんな驚くことじゃない。』と、それなりに自分を得心させた。

『まぁー、一応、県予選では準優勝なんだし。
 毎年、ベスト4に残るのもしばしばなんだから。』と、嬉しい。

21世紀枠に選ばれた理由で、「狭いグラウンド等の恵まれない環境の中」と言われると、なんか侘しいものの、まあー、それでも選出されたのだから、良しとしょう。

母校は、彦根城に隣接していると言うよりかは城内にある、と言った方が正しい。校舎もグラウンドも堀の中にあって、堀の土手でパンを食ったりした。
私は剣道部で、それなりに道場があるものの、野球部とタッチフット部が練習している隙間を縫ってランニングしたものだ。確かに、劣悪な環境ではある。

クラスメートに野球部の連中もいて、そうそう、一年の夏の県予選でも、準優勝だった。
近くの彦根球場での予選を友達と二人で応援に行き、その時は、未だ1回戦か2回戦の為に応援も少なく、なぜか、私のカバンには花火が用意されていて、「ソレソレッ!!」とばっかりに、点が入る度に花火に点火。

やっぱり派手な音を立てると「スカッ!!」とするし、場も盛り上がる。
気分を良くして、次からは点の入るのも待ち切れず、ヒットが出る度に、「パンパンパン」と点火。
すると、向こうにセンコウ、もとい、先生らしき男が、「こらっ!!」とやって来る。

「ヤバイ。」である。
しかし、捕まって説教される程、愚鈍じゃない。

「逃げろー!!」と、一目散なのだ。

今年の春、私は、テレビの前で花火に点火だ。

がんばれ!! 高校球児諸君。
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みのむし毛布 (1) [みのむしふとん]

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/175.jpg" Align="left" Hspace="20" Vspace="20"> このイラストは先日アップしたが、これぞ昨年の暮れから取り組んでいる[みのむし毛布]なんだ。
イラストの男の子は、かのオバマ新大統領の子供の頃をイメージしたもので、テーマは「CHANG」。

「みのむしふとん」を開発して、もう8年目。
なかなか大ヒットと迄は行かないが、成功の秘訣は、ただ一つ。
それは、成功するまで頑張ること!!だと、思う。

パッと見は、器用に何でもこなしそうで、我慢とは縁が無いタイプの私だろうと思われるが、なんの、結構とシブトクって、我慢強い。
もちろん、私としては、我慢なんて全く感じてなくって、強いて言うなら、意志が強いんだ、とこの際、自惚れておこう。(爆)

さて、この「みのむし毛布」も、いよいよ第一回目の製品が、今月末に仕上がる。
これまで、色々と試作サンプルを「作っては、やり直し」の毎日だった。

簡単に説明すると、掛け毛布と敷き毛布が、側部ファスナーで脱着出来、内部は、3Dの立体構造。だから、ゆったりなんだ。

「みのむしふとん」と違う点は、現状の布団の中に持ち込んで使える点にあり、早い話が、みのむしふとんの入門編。

それでも、コクーン(繭)や子宮の中で生活しているかの様な、安心感を満喫できる。

私は仕事柄、最も良いとされる色んなタイプの寝具を試している。
この冬は、一番下に「ワタセのもめんワタ敷き布団」、その上に温熱寝具「京都西川のローズ・テクニ」を敷き、更に、その上に「西川産業のシープトン」を敷いている。いずれもWサイズ。
ここに寝て、上から羽毛布団を掛けている訳だが、これらの総額は、百万円近い。

テクニーは、遠赤外線で発熱するから、この冬も万全の筈が、寒いからと言って、あまり高温に設定すると、寝苦しい。人間の体温は36℃で、これを越すと、寝られたものじゃない。(寝具内部の適温は、33℃とされている。)

昨年の暮は、とっても冷え込んだから、寒さのあまりに目醒めてしまうことが多々あり、『どうしたもんか?』と思案に暮れ、そこで閃いたのが、『そや!! みのむし毛布の試作品を使おう。』であった。

この場合は、「ものつくり」の視点ではなく、単に「使用する人」なのだが、これが誠に按配が良くって、それ以来、手放せなくなった。

(下へ続く)
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みのむし毛布 (2)

(上からの続き)

ところが、ついつい「ものつくり」の魂が目覚めてアレコレと改良の余地が見えてくる。
一たび考え出すと、パッと閃く度に飛び起き、メモをし、問題点を見つければ、解決するまで寝付けない。
と、そんなこんなで、一睡もせずに朝を迎えた日が、幾度もあった。

『ちぇっ。、寝る為のもんを考えて、寝られんとは。、』である。

以下は、夜も寝ないで考えたコピー

= = = = = =

あなたは未だ本当の温かさ・ 気持ち良さ・ 快適さを知らない

温かさの秘密
 ◎ 寝返りしても隙間ができない為、体温の温もりが逃げません。
    (障子の隙間から棒風、の完全対策)
 ◎ 肩にも毛布が被ります。

気持ち良さの秘密
 ◎ 繭の中に入っている様な、包まれて眠る安心感。
快適さの秘密 
 就寝前後の時間も快適に過ごせる
 ◎ 3D構造だから体に馴染みます
 ◎ 袖付きだから手を出しても肩が露出しません。

= = = 更に、こんなコピーも = = =

もしも地球から、石油や電気が無くなったら、どうしましょう?

寒い夜に、寝られるでしょうか?

問題は、冷たい外気です。

しかし ご安心ください。
取って置きの「熱源」があるのです。

それも、
脱石油、脱電気の天然エネルギー!!

それは、あなたの体温です。
自前の熱源(36℃の体温)さえ逃がさなければ大丈夫。
気持ち良く眠る為の布団内部の適温は、33℃なのです。

例えば、部屋を暖房する時、窓を開けたままだと、どうでしょう?
それで、部屋が暖まりますか?
現状の寝具は、冷気の侵入に対して、あまりに不用意でした。
言うならば、窓を四方八方、開けっ放し状態。

有史以来、
布団は平面状で、掛けと敷きの四角い長方形だと、誰も信じて疑わなかった。
既成概念に囚われて、長い思考停止が続きました。

みのむし毛布は、たとえ寝返りをしたとしても、
冷気をシャットアウトして、体温で温めた空気を逃がさない。
しかも、3D構造だから窮屈感もありません。

『まぁ~ なんて自分って気持ちよく温かいのかしら。』と驚きますよ。
猫を抱いて寝るみたいに、自分の体温に抱かれて眠って下さい。

さあー今年から、
人間工学から生まれた「みのむし毛布」を使って、省エネ、地球温暖化防止に協力しましよう!!
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靴下の顔。

新年会などの畳の間で、『えぇーッ』と、驚くことが多々ある。

お決まりの挨拶なんぞを仕方なく聞いている時に、手持ち無沙汰のあまりに私の眼は周囲を物色し始める。
しかし周囲と言っても、それ程に目新しいものはなく、眼は自ずと目の前の自分の足に止まる。正坐ではなく、胡坐(あぐら)をしているからだ。

場所柄、もちろん素足ではなく、靴下をはいている。
そこで、『あっ!! 靴下が裏返しだー。』と気付き、はき直す。

まぁー、これで退屈な時間を遣り過せるから、それなりの御蔭もある訳だが、私の場合、3回のうち2回は、このパターンと、なんとも多い。

しかし、よくよく隣の連中を見渡してみても、座敷で靴下をはき直している輩は、そう簡単には見つからない。

「どうして、お前の靴下は、裏返っていないのや?」と聞くのも変だから、『なんで?』と、考えてみたところ、この答えは簡単に見つかった。

原因は洗濯の段階に遡るのだ。

私は、下着でも靴下でも、なんであれパッパと無造作に脱ぎ捨てる。
下着類の脱ぎ捨てる先は、風呂場前の洗濯もの用の専用バケツ。

この段階では、息子の雄太よりも私の方が上等で、雄太は滅多に家に戻らないものの、戻った時には、脱衣場に、そのまま脱ぎ捨てている。
だから、誰にしたところで、ここまでは良く似たものと思われる。

問題は、ここから先で、洗濯をして、(1)それを干す段階に、表向ければ、それで良く、更に、(2)衣装箪笥に仕舞う段階で表向きに畳み直せば、それでも良い。

私はと言うと、(1)止まりで、(2)は、しない。
風呂上り時に、洗濯モノがぶら下がっいる状態から、そのまんま取り出している。

早い話、自分で、いい加減な洗濯をしているからだ。
だから、靴下どころか、肌着やパンツも裏返し、も良くある。(笑)

良く言えば、生活の自立が出来た男であり、
欲を言えば、洗濯と整理を少し工夫すれば、であり、
悪く言えば、嫁さんに世話をして貰えないだけ。
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チョビ、帰る。 (その1)

ほぼ、一日近く過ぎ、チョビが帰って来た。
前足に付いていた1mの点滴の管も、食い千切ったのか、無くなっていた。

『おぉー、これで麻衣子達に怒られずに済むわい。』と、ほっと一安心している私だ。

昨晩、帰って来たチョビだが、逃げ脚があれほど速かったにも拘わらず、家では寝ているばかり。
食欲も、平時の3割程度だから、未だ万全ではないみたい。

寝いてるチョビに近付けば、その都度、迷惑そうな顔をされるし、
『おいおい、お前の命を2度も助けたんやから、少しは感謝しろや。』と思うが、それは全く伝わっていない模様。

麻衣子と雄太の場合は、偶に帰って来た時だけ、ほんと、これ見よがしに優しくしてやっているが、それも月に1日有るか無し、だから、お気楽なもんよ。

『ほんまに、誰が世話しているねん。、』と思うものの、しかし私の場合、そこまでは毎日、世話をしている訳ではないから、偉そうには言えないか。

捨て猫だったチョビをみながら、こんな風に考えた。

どうも、捨てネコでも、捨て犬でも、放っておけないタイプの人間がいるらしい。
捨て猫を前にして、去れるタイプ、去り切れないタイプの2通りだ。

この「去り切れないタイプ」には、幾通りかあって、それぞれの事情で、泣く泣く去り切る場合と、持ち帰ってしまう場合に分かれる。
そうそう、この中間もあって、直彦の様に、私に渡すと云う、他の人に託す場合もある。
かく云う私も数年前には、2匹の犬を拾って、その時、家には他に2匹居たから、直彦を真似て、社員や友人に託したものだ。

更に、この「持ち帰ってしまうタイプ」にも、我が家の場合は2通りに別れる。

その一つは、訳もなく持ち帰るタイプで、麻衣子と雄太が、これだろう。
彼等の場合は、後先を考えず持ち帰る。

そこで、私はどうなんだろうと、少し考えてみた。
もともと、私の場合、東京の7年間を除いて、小さい時からずっと、犬や猫と一緒だったこともある。
しかし、一緒に寝たりとか、甲斐甲斐しく世話をするタイプではなく、『そこに居るのかぁ~』と、まあー、そんな感じ。

もう少し突っ込んでみると、私の場合、少し、引っかかっている「フレーズ」がある。

(下へ続く)
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チョビ、帰る。 (その2)

(上からの続き)

もう少し突っ込んでみると、私の場合、少し、引っかかっている「フレーズ」がある。

それは、映画で聞いた台詞かナンカは忘れたが、自分が野良犬みたいな少年期を送ったから、捨て猫(犬)を自分と重ねてしまい、だから、捨てられない、と言うものだ。

「あの人は、捨て犬を捨てられないのよ。それが、自分自身だから。」

それは、具体的な生活環境とか精神的な環境とか、様々だろうが、一種のトラウマかも知れない。

ここまで考え、更に、思った。

そうして、拾った猫や犬だが、私の育て方は「捨て育て」みたいなもの。

チョビをみながら、
『子どもにしたところで、チョビみたいな感じなんだろう。』

何か不都合が生じたら、戻って来て、
私はと言うと、迷惑な顔をされながらも、それなりに手当をし、
相手は、不都合が解消すれば、さっさと飛んで去り行く。

なんか、味もそっけも無いようだが、そこに情が絡まないのが、私の味かも知れん。

感謝の欠片一つなく、寧ろ、憎まれつつであるが、
「チョビの気が楽なら、俺の気も楽。」ってか。、

私の存在理由であるが、それくらい、かも。

なーんて。
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たまご

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/178.jpg" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">

ねむむはーのカウンターに目をやれば、例の「たまご」がセットされていた。

「おぉー!! こんな風に育てるんか。」と、デジカメで一枚。
聞けば、タマゴには上下があって、上の方の殻をこんな風に割る。

「どんな風にや?」だが、それは、適当で良いらしい。

「水は、上からかけるのか?」と聞けば、「違いますよ。」
なんでも、タマゴの下には、水分を吸うパッドが装着されているから、水をやれば、吸うらしい。

「この皿は、どうした?」であるが、
写真の皿はタマゴに付いている訳ではなくて、適当に見繕ったとのこと。

タマゴの上を指差し、「ここから、芽が出るンか?」と聞くと、「そうです。」

「それから、どうするねん?」に付いては、「後は、プランターにでも移したら良いのです。」

『なーるほど。』と納得し、
「そう言えば、アメリカのマコさんは、鶏の卵を割るとか、言ってたなぁー。」と笑えば、
「そんなこと、どこにも書いてないのに。」

と、いうこと。。

そうそう、猫のチョビだが、
年末からずっと部屋に閉じ込めていたから、『偶には外に出してやろうか。」と思って庭に出したら、ナント、、逃げられてしまった。

ずっと、フラフラしていたから、簡単に捕まえられる筈が、その逃げ足の速いこと!!

もともと、人間に懐かなく、更には押さえつけれて点滴や注射をされ、
チョビにしてみれば、「虐められている!!」と思っていたのだろうな。

幾度、探すも、未だ見つからない。、
未だ点滴の管を腕に付けたままだから、それが気掛かりなんよ。

えぇーっと、
mieさんが「綿の枝」の話を掲示板に書いて呉れたから、私も負けじと「ふとん博物館」に挿してあるコットンボールの写真を一枚。

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/179.jpg>
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みのむし毛布 (その1)

随分と遅くなりましたが、皆様!!

 あけましておめでとうございます。

さて、私の正月は、猫のチョビと「みのむし毛布」に格闘しておりました。

= = = = = =

さて、このチョビは、2年ほど前に、ねむはー前に病気のまま、捨てられていた子猫。

「なんちゅうこっちゃ。、」と、病院へ連れて行き、
「捨てネコでも金を取るのか?」と聞けば、「要ります。」とのこと。
「そうかー」と支払いを済ませ、「それじゃ、引き取って呉れるか?」と言うも、敢え無く断られ、ここまで育てて来た。

捨てネコの習性が治らず、なかなか懐かないものの、しかし食欲だけは旺盛で、2年経てば、なんと、シーピー(犬)よりも大きくなった。

このチョビが、年末から、調子が悪かった。

食事時しか家に居ないのに、ずっと、寝たまんま。
「なんぞ、毒でも食って来たか? まあー、その内に治るやろう。」と思っていたものの、だんだんと酷くなるばかり。

「うーん、病院へ連れて行くかぁ~。」と考えはしたが、生憎の年末で、『もう休みやろう。』との判断で、正月を迎えた。

これが間違いやった!!

元旦、2日、3日と、どんどんと悪くなり、かれこれ一週間近く、何も食べていない。
触れば、肉体が硬直しているみたいで、「もう死ぬかも・・」状態。

3日に、麻衣子が帰って来て、「お父さん、かわいそうやんか!!」と散々言われる。
「わかっているがな。しかし、正月に診てもらえんやろう。」と、言ったものの、翌日の4日は、日曜日。

『うーん、5日までは持たんぞ。』と、思い、夜の9時近いのにも拘わらず、タウンページを開いて、動物病院を探し、駄目元で電話した。

呼び出し音が随分と鳴って、諦めかけた頃、「はい。」と着信。

病状を言えば、尿道結石とのこと。

「何で、今までほおって置いた。もう脱水症状が出てるから、手遅れかも知れん。」と、ぶっきら棒に怒られる。
この世に恐ろしいのは、やはり無知かも、とつくづく思った。

「いやー、すみません。」と『なんで医者に怒られなあかんねん。』と思いつつも、一応、謝り、『いや、待て。ここまで言うんなら、ひょっとして正月の晩でも診てもらえるかも・・。』と考え、「これから診てもらえませんか?」と頼んでみた。

(下へ続く)
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みのむし毛布 (その2)

(上からの続き)

「えっ? 今からか?」
「はい、今から連れて行きますので。」と、ねばった甲斐あって、診てもらう事に。

そこは、東近江市の動物病院で、『ひょっとして、チョビを最初に連れて行った病院か?』と思いつつであったが、全く知らない場所だった。

最近の動物病院は、やけに小奇麗にしてあるが、そこは、畑の中の小さなプレハブで、2つ並んだ戸棚なんぞは、傾いている始末。

『まあー、腕さえ良ければ、なんの問題もない。」と私は思うが、麻衣子は『えっ? こんなとこで?』と不安と不満が入り混じった複雑な顔。

部屋の真ん中に錆びた手術台があり、そこに敷かれた新聞紙の上に、チョビを置く。
隣には石油ストーブが焚かれ、その上には、灰皿。
見れば、医者も煙草を吸っているから、『これは儲けた!!』と、私も早速、煙草を吸う。

医者「もう、手遅れかも知れんが、どうします。」と聞かれたが、手術をお願いした。

麻衣子は、ずっとチョビの手を握りながら、大粒の涙をポタポタと流す。

私はと言うと、入口のケースに入った騒がしい子犬の相手。
『うん? こいつは、腹が減っているのやな。』と、周りを見れば、そこにドッグフードの大袋があり、口が開いているではないか。
医者も手術に忙しいから、これはチャンスと勝手に餌を取り出し、子犬に与え、その甲斐あって、犬もおとなしくなった。

それからずっと、点滴の毎日。
麻衣子は翌日に帰ったが、次は雄太が戻って来て、点滴係。

麻衣子も雄太も、誰に似たのか知らないが、『かわいそうに。』とばっかりに、甲斐甲斐しく世話をした。

もう、駄目か、、と思っていたところ、ようやく今日になって、少し歩ける様になった次第。

と、これがチョビの話で、もう一つが、みのむし毛布。

正月から今日まで、一応チョビの心配をしつつ、この企画書づくりに没頭した。

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/175.jpg>

いよいよ、今月末には、仕上がる。
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