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待ちに待ったエジプト綿 (その1)

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/196.jpg" Align="right" Hspace="20" Vspace="20"> エジプト綿の原綿が、今週やっと届いた。
先週から、ずっと『あと3日すれば、あと2日、いよいよ明日♪♪♪』と、そわそわ ワクワク していた。
私は、まるでそれが彼女かの如くに待ち焦がれ、その悦び方と言えば、嬉しさのあまりに夜中に飛び起きる程に尋常ではなかった。

⇒ これが彼女の写真。
1俵の背丈は160cmくらいで、体重は270キロと随分と重い。

この1か月の私は、エジプト綿を使っての布団作りにずっとワクワクしっぱなしで、『こんなにも仕事って楽しかったっけ?』と改めて思うほどに充実していた。

【エジプト綿】を簡単に紹介すると、綿花生産量は全世界の僅か1%に過ぎないが、品質において、常に最高級の細番手用原綿としてその地位を保ち続けている。
良質な超長繊維綿が育成される条件として、(1)多量の用水が必要で、しかも収穫期に雨が降らない。(2)適度な高温で昼夜の温度差が大きい。など、色々とあるが、砂漠に囲まれ、ナイルの大河を擁するエジプトは、正にこの条件に合致する。

1農家の平均農地は約1エーカー(約4反)で、収穫量は僅か350キロに止まると言う事は、前日に写真で紹介した家族6人1年間の汗の結晶が、1俵強に凝縮されているのである。
綿摘みをはじめ作業は全て手作業だから、品質が良いのも頷けるし、また価格が高いと言うものの、バブルに呆けた日本人に比べたら、極めて貧しい生活に支えられた綿作りであることを私たちは知るべしだと思う。
アパレルの世界では、エジプト綿で織られた生地は薄くて軽くて強く、しかも絹の様な風合だから高級品となっている。

さて、布団ワタであるが、一般的には掛け布団には「メキシコ綿」が最高だとされている。メキシコ綿は、繊維長が26ミリの中長繊維で、太さも中くらいだが、「エジプト綿」の繊維長は32ミリ~40ミリの長繊維で太さも細い。
26ミリと30ミリ以上と書けば、それほど大差がないと思われるかも知れないが、繊維の世界では大きな差なのである。

簡単に言うと、エジプト綿は、とっても長くて極細で、しかも強い繊維だから、ワタにすると、まるで赤ちゃんの頬っぺのように柔らかく、また、風合いとしなやかなさの点でも、肌との馴染みが抜群である。

(下へ続く)
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待ちに待ったエジプト綿 (その2)

(上からの続き)

これからエジプト綿で勝負をかけるのだが、「えっ!! エジプト綿の布団って、こんなにも素晴らしいなんて驚きだわ。 十万円の羽毛布団よりも、こっちの方が、ずっと良いわね。」と、言わしめてやるぞ!! なーんて、思っているのだ。

綿100%だから、人にも、地球にも優しい。

私はワタ屋(綿を売るのがワタ屋で、布団を売るのが布団屋)の4代目で、「掛けにはメキシコ綿が良いとされているが、それよりも更に最高なのがエジプト綿や。」と聞かされて育ったものだから、20年前からエジプト綿を持っている。
それなのに、どうして今回のエジプト綿の入荷が嬉しいのかと言うと、エジプト綿は全て紡績会社へ行ってしまう為に、寝具業界では継続的に入荷出来ないものを、今回、クラボウさんの協力が得られ、必要量の入荷が可能となったからだ。

これまでみたいに、ワタセでぼつぼつと販売するなら、一俵もあれば何年も持つが、全国展開するとなると、原綿の確保が必至となる。
これまでは、エジプト綿の良さを知らないから売らなかったし、また、知っていても原綿の確保が出来なかったから、売れなかった。

勿論、この他にも「高級もめん布団」が売られなかった理由は幾つもある。
エジプト綿が如何に高額と言えども3万円程度で、10万円を超える羽毛布団の様には高く売れない。問屋も小売店も、売上が欲しいから高額な羽毛布団をついつい勧める。2、3万の売り上げより、10万円の売り上げが欲しいからだ。
消費者にとっても、羽毛布団が夢の一つであった時代もあったのだが、人口以上に普及した今となっては、『ほんとうに、気持ちが良いのか?』と、問われ出した。

だから、このタイミングで、「10万円の羽毛布団よりも気持が良いエジプト綿入りの掛け布団」「10万円の真綿布団よりも気持のよいエジプト綿入りの肌布団」を作れば、勝負できる。

更に地球環境を考えれば、打ち直しして60年間使える「もめん綿」こそは、環境に優しく、60年後の廃棄処分の折には土に埋めて土に戻す。

と、まあー、こんなことに明け暮れているのだが、私の場合、やっぱり「もめん布団」を作りだすと、ワタ屋の血が騒ぎ出すのだろうか、なんともワクワクする。

と言う事で、お仏壇にエジプト綿をお供えし、ご先祖さんに報告した。
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エジプト綿 (その1) [みのむしふとん]

このごろの私は、町は合併、仕事は「もめん布団」に忙しい。
合併に付いては、請願書を<a href=http://azuti.blog116.fc2.com/>安土ブログ</a>にアップした。

さて、ワタセの創業は明治6年だから、今年で135年か136年になる。
鷹の夢と大黒様の衣裳のお陰か、この冬に「もめん綿布団」を掲載して頂けるとあって、私は大いに張り切っている。

勿論、「みのむしふとん」や「近江本麻布団」でも頑張っている訳だが、「もめん布団」となると、どう言う訳か熱の入り様が違ってくる。
「みのむしふとん」は、私が世に送り出した商品だから、もちろん愛着が深いのだが、しかし「もめん布団」となると、格別な思いを持ってしまう。

『うん? なんで?』であるが、
それは、やっぱり130年を超えるワタセの本業であるから、先代、先々代、先々々代から連綿と営んで来られたDNAが騒ぎ出す、かの様な気がする。

私はワタ屋の子供であったから、幼い頃から沢山のワタやら布団に囲まれて育った。倉庫には綿の原料がいっぱい積まれていたから、友達を呼び、天井の柱に荒縄を結びつけて原綿から原綿へと飛び移る「ターザン遊び」に熱中した。
倉庫と製綿工場は別棟で、更には仕立て場があってと、それぞれ別れていて、工場と仕立て場では、怒られるから遊ばない。
仕立て場には、静かで穏やかな空気が流れていて、布団や座布団が作られる。少し酸っぱい様なワタの匂いと、ふわふわとしたワタの感触は、叔母の作業している姿とともに、私の遥か遠い甘い思い出なのだ。

この作業風景は、現在でもワタセ工場で引き継いでいるが、しかし全国的にみれば、この10年で「もめん布団」の生産は90%も激減した。掛け布団は羽毛に、敷き布団は合繊などの硬綿に変わったからである。

「もめん布団」は、そんなに良くないの?
と言うと、とんでもない話で、「もめん布団」ほど人間に心地よく、地球にも優しいものは他にない、と私は今でも思っている。

それじゃ、どうして売れないの?
に付いては、宣伝が下手、価格が安いから売りたがらないのと、作り手にしても、ものつくりの努力が足らない等、色々と考えられる。

こんな中で、通販生活さんからオファーを頂いたものだから、私としては、「10万円以上の羽毛布団より気持ちの良いもめん布団」「10万円以上の真綿布団よりも肌触りのよい木綿ワタ入り肌布団」の開発に夢中なのだ。

(下へ続く)
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エジプト綿 (その2)

(上からの続き)

そこで私が、世に送り出そうとしているのが、飛びっきり気持ちの良い「もめん布団」。
中綿と生地を吟味して、最高の「もめん布団」にチャレンジしている。

先ずは、中綿だが、従来の掛け布団用のワタは、メキシコ綿が高級とされている。繊維長26ミリの中長繊維で、やや細め。
敷き布団用の中綿では、繊維長20ミリと短くて太いインド綿。

しかし、である。
昔から、「もっと良い綿があるんよ。」と代々聞いていたのが、エジプト綿。繊維長が30ミリ以上で、細くて長い。だから、絹の様にしなやかで、ドレープ性も抜群。

これがエジプト綿なんだ。写真の様に全部が手摘みされている。

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/191.jpg>

クレオパトラの国だけあって、なかなかのベッピンさん。

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/192.jpg>

だから私は、これまでにもエジプトの原綿を入手していたのだが、困った事に、これを継続的に入手するのは難しい。
なぜなら、エジプト綿は、布団向けの原綿商社での取扱いがなく、紡績会社が直接輸入している。
以前は、何かの事情で紡績会社の残りが出た場合に限って、入手できたのだが、そんなことではパッとしない。

そこで、私は得意とする「あらゆる手段に打って出る」を試みた。
なんでも、やってみる事が大切で、クラボウさんから特別に分けて貰うことに成功した。
もちろん、「原綿売りは一切していません。」の中であるが、更に「当エジプト綿は、クラボウが直接に現地視察して買い入れたものです。を公表しても良い。」とのお墨付きも貰えた。

通常、エジプト綿は、60番以上の糸を紡ぐ原料となる。
因みに、この番手は、数字が多いほど細くて高級品で、一般の生地の場合は、米綿やメキシコ綿から作られた40番手。

エジプト綿を入れる生地も、当然、60番の糸で織った高級生地を使う。

もう直ぐ、サンプルが仕上がる。たのしみ。。
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大黒様の衣裳 [みのむしふとん]

肋骨の痛みも随分軽くなった。
あれから医院へ行ったところ、折れてもなく、レントゲンで見る限りでは罅も入っていないと言う事で、先ずは一安心。

ところで、工場に少々変わった注文が入って来て、それがタイトルの「大黒様の衣裳」なんだ。
聞けば、新潟県のとある町に、古くから伝わる大黒様が居られるそうで、その衣裳を60年振りに新調することとなり、ワタセにオーダーが入ったのである。

オーダーと言っても直接ではなくて京都の衣装屋さん経由で、そこは能の装束なんぞも作られているのだが、今回は「綿入れ」だから、ワタセが担当することになった次第。そうそう、以前に作った四日市の大入道の衣裳も、同じルートだ。

これが、綿入れ前に思案している写真。このおじさんが縫製プロフェショナルの井上さんで、「みのむしふとん」も縫っておられる。


「社長、こんな難しいもん、とっても出けへん。」と、工場の連中。
「なに言うてんねん。しょうもないコト言うてんと、したら良いがな。ご利益もあるから。」と私。

だいたい、この手の難しいモノなんぞ何処も出来ないから、ワタセに来る!!んだから、受けて立つのだ。



さて、この生地は金襴緞子。糸は正絹で、なんと本金の金糸で織り上げた立派なシロモノ。もしも買うなら、一寸が何万円もする超豪華なものなんだ。



これは、糸瀬が金襴の着物に綿入れを済まし、縫い上げているところ。


着物は二枚重ねになっていて、中には、襟と袖に綿が入った襦袢。



そして、これが仕上がったところ。上の紫色は「お帽子」で、やっぱり綿入り。
縫製に丸3日、綿入れと仕上げにも3人掛かりで丸3日と、作業も大変だった。
恐れ多い話だが、本当は私が身に付けて写真を撮りたかったが、なんとも大き過ぎた。

この大黒様は、新潟県とは聞いたものの、詳しくは分からない。
ご開帳の時には、是非とも見せて頂きたい、と思っている。
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ろっ骨 [みのむしふとん]

『ろっ骨の漢字が肋骨、
 うーん、忘れてるわー。
 しかし、
 どうして「助」なんだろう?
 うん? 肋と助、良く見れば、字が違う。、』

なーんて、私は痛い肋骨を摩りながら、日記を書いている。

痛くなって、もう3日目。
実は、ストーブに蹴躓いて扱(こ)けた。

『うん?  [扱]が、コケル?』
はい、これも、どうでもよい。、

その拍子に、思いっきり肋骨を打ってしまった。

「なんで、ストーブみたいな大きなもんが目に入らんのや?」であるが、
最近、企画書づくりに忙しく、深夜に会社で仕事。
その帰り、いつもなら階段へのドアーを開けたままだと明るいのに、
その日は無精して、閉めたままで2階の電気を消した為、真っくらくら。
せめてお月さんでも照っていれば良かったのに、真っくらくら。

だから、ドスン、バタン、あ痛ァー、なんである。

『もしや、内臓に突き刺さっている?
 いやいや、そんなコトは ないだろう…
 罅(ひび)でも入った?
 (因みに、この皹は、手が荒れた時などのヒビらしい)』

態勢を変えると痛いし、咳をしても笑っても痛い。
そう言えば、クシャミをして肋骨に罅が入るなんてのも、あるらしいと聞く。

などと、心配しながら、病院へも行かず。

出会う人、出会う人に、「お前、肋骨をぶつけた経験あるか?」と聞いて、
「まぁー、2週間もすれば痛みが取れる」らしいので、先ずは一安心。

ところで、「今に蘇る本格的もめん布団」の企画であるが、なんとか纏まり出した。
これがK社に掲載して貰えれば、工場は大忙しになる。
更に言うと、
「みのむし毛布」とのナイス・マッチングで、日本の睡眠シーンが変わるのだ。

日本の風土に適した[人にも地球にも優しい寝具]。

そう言えば、「みのむしふとん」の企画の時は、奥歯2本を失った。
はい、2万字のレポートに100枚の製図と、根を詰めた結果である。
それを思えば、今回の肋骨は、安い代償かもな。

しかし、大詰めを迎えたと言えども、最後まで頑張るべし、なのだ。
「千里の道も、九九里をもって半ばとする。」だから。
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鷹の夢

このところ、公私共々何かと忙しい毎日が続いている。
町は合併騒ぎ、環境生協はNPOに組織変えで、2週間に二人の姪が結婚式を挙げと、いずれも大変なのだが、私の本業であるところの卸部門が、これまた正念場とあって、目が離せない。

さて、そんな中、これまで温めて来た「みのむし毛布」の商談に出掛けた訳だが、その前夜、こんな夢を見た。

最近、猫のチョビが病気の為、何度も動物病院へ通っていた為か、夢に、色んな動物が現れた。

猫に始まり、リスとかスカンクとか、色々と出現し、空を見上げれば、なんと大きな鳥。
どうも、鷹らしい。
全身を「ふわっ~」と膨らませたら、黒と白の斑(まだら)の白い方の羽毛が見事に広がり、私をはじめ夢の参加者は「まあー、なんて美しい。」と溜息を洩らした。

すると、突然、鷹が「すぅー」と降りて来て、
私は「いや、違う。落ちて来る。」と、走って、鷹を受け止めた。

両手を広げ、胸に抱き抱える要領で待ち受けると、鷹はスッポリと胸に収まった。
かなり大きく、体長は1m近くて、温かい体温が伝わった。

「どうした、 具合が悪いのか?」と聞けば、どうも、そうではないらしい。
「それじゃ、何か食べるか?」と聞けば、「スルメが欲しい。」と言うではないか。

私「スルメかぁー? でも、スルメには七味なんかが付いてるけど、そんなんでかまへん(大丈夫)のんか?」と問えば、鷹「かまへん(大丈夫)。」とのこと。

『ふぅーーん。七味が付いてても大丈夫なんかー』と感心しつつ、私は目が醒めた。
これが、商談前夜の夢で、『この夢は、ひょっとしたら、今日の商談が大成功の前触れなんだろうか?』と思いつつ、東京へ向かった私であった。

すると、上々以上の結果で、「みのむし毛布」以外にも、もう一つ大きな商談が舞い込んだのである。

あまりに嬉しい結果に、嬉しさよりも不思議さが先立ち、暫くは狐に抓まれた感覚で、『やっぱり鷹の夢の御蔭だわ。』と、もう一度、一日を思い起こした。

『うーん、一富士、二鷹、三なすび。
 そう言えば、曇りだったのに、新幹線から冨士山の頂上も、綺麗に見えたし・・・、
 後は、なすび、、だけ・・・、
 アッ!! なすびも、食ったんだーー。』

と、気付き、またまた驚いた。

『こんな不思議なことって、あるんやねー。』
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またまた合併について。

合併に関して「住民は冷めている」と書いたが、かく言う私自身も、それに近い感がある。

その理由は、議論になっていないからだ。
議論とは、「それぞれの考えを述べて論じあうこと」であり、その中で、双方の理解を深め、もう一段階高い結論を導かんとする姿勢を言い、この程度は小学生でも知っている。
町挙げての8年越しの懸案ならば、それなりに実のある議論、それなりの見識が生まれて然るべき筈が、「好き嫌い」「損得」「偏見」「地域エゴ」「自分や党派の都合」ばかりが先行している。

子供の喧嘩とたいして変りが無いのだが、その間に、多額な税金を無駄に遣って、この様(ザマ)だから情けない。

町議会には、合併特別委員会が設けられ、そこへ先日、近江八幡市の市長が、近江八幡市の説明に来られたらしい。
合併特別委員会は、6名(議員総数は10名)で構成され、4名が推進派で、2名が反対派と目されているのだが、なんと、反対派の2名の議員は、話しすら聞かずに退席した、と言うお粗末な展開で、これでは職務放棄と言われてもしょうがない。

更には、反対派議員のビラの中に、近江八幡市医療センターに付いて、先方の監査の意見が掲載されていたのであるが、「事実無根の内容だから撤回の上、謝罪せよ。」と、当の監査氏から抗議されている体たらく。
もちろん、反対もあって当然なのだが、事実を歪めてはいけない。これは一般市民でも許されるものではなく、まして議員の署名入りで、公に配布したビラとならば、その罪は大きい。

町長並びに議員は、町の争点であるところの合併に関して、「それぞれなりの見識」を持って選挙に立候補し、その上で選出されたのだから、しっかりと職務を遂行して欲しいと、言うか、それが仕事だろう、と考える。

有権者は、これまで、合併に関して、何度も選挙をして来た。
議会制民主主義だから、選挙が基本となる。それが、土壇場になって、その都度、またまた「お祭り騒ぎ」では、いい加減、しらけもする、と云うものだ。

まぁー、しかし、実際には、しらけてばかりはいられない、と思う。
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2月を迎えて。

いよいよ「みのむし毛布」の初回製造分が仕上がり、本日、中国から到着した。これまでは専ら「ものつくり」に知恵を絞ってきたが、これからは販売に向けて、腕を振るう番だ。

目下、私の目指している販売先は、良質な通販会社で、商品の特性や良さを丁寧に紹介して頂ければ、と考えている。
商品は、ただ売れさえすれば良い、と言う訳ではなくて、どのような会社に売って貰うのかが極めて重要となる。それは、どんな売り手かによって、商品の値打ちも違って来るからだ。悪くすると安売りをされ、直ぐに廃れてしまう恐れもある。
販売も「ものつくり」と同様に、商品を育てる、と言う側面が大いにあるから、販売戦略も重要だ。

「みのむし毛布」を筆頭に、4年目となるジャケットも試作品が仕上がり、この2月、3月は、私の担当の卸部門では、もう冬モノの提案が忙しいのである。

さて、合併に付いて私なりに聞き取り調査をしてみたが、反応は、「かなり冷めている。」と言った感が強い。

4年前には、賛成も反対も、それなりに盛り上がったが、同じ話題が品を変えずに毎度続くとなれば、冷めてしまうのも無理がない。

4年と書いたが、合併に関しては、実際は8年越し。

【8年前】には、(旧)能登川町、(旧)五個荘町と安土町の3町合併が持ち上がり、
【6年前】に、3町合併推進の仙波前町長と、八幡との合併推進の津村現町長の町長選で、仙波前町長が破れて、3町合併がご破算となり、その結果、(旧)能登川町、(旧)五個荘町は、八日市市と合併し、今では東近江市になっている。

そして、【4年前】には、ご存じの様に、近江八幡市との合併が頓挫し、
【2年前】には、また合併をめぐって、「合併か単独かの町長選挙」があり、
そして、【現在】の合併だから、2年毎に我が街は、なんと5度も【合併、反対、合併、反対、合併、反対、合併、反対、合併、反対、】を繰り返している。

ちょっと整理の積りで書いてみたものの、書いている私ですら、うんざりする位だから、住民が冷めてしまうのも無理がない。

私「合併についてなんやが。どうよ?」
相手「正直なところ、もう合併の話題は、どうでも良いわ~、と言う感じや。」
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