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チラシの最終校正

本日、ようやく、布団打ち直しのチラシの最終校正。
例年は、[B4]サイズの裏表だが、今年は倍の大きさの[B3]サイズにした。折り込みで良く見る「二つ折り」のチラシである。

大きさが倍だと、情報量も倍となり、企画から仕上がりまで1か月を要した。
もちろん、単にチラシが出来上がっただけで、売上が約束されている訳ではないが、それでも、先ずは一段落と『ほっ』としている。

さて、
日記仲間さんとは関係ないが、この頃の私は、仕事以外に安土ブログでの合併問題が忙しかった。
連日、熱心なコメントを貰い、私もかなり熱くなって返事したが、立脚点こそ違うものの、合併問題を共有した。

だから、今日のブログは、合併問題から少し離れて、違った見方で考えてみた。
日記仲間さんとは、8年の付き合いになる訳だが、思い返せば、最初は、みんな全く知らない仲であった。住んでいる町もバラバラで、国外の方も多かった。
それでも、人間とは良くしたもので、今や、良き友人である。

そんな経験もあって、今日のブログを書いてみた。

長い文になったので、もしも時間が許せば、<A Href="http://azuti.blog116.fc2.com/">安土ブログ</A>をご覧頂きたい。
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求人

先週末、弊社で一人欠員が生じた為、職安に求人を申し込んだ。

以前の求人難から求職難へと世相が変わった、と報道されてはいるが、実情を尋ねたところ、求職難で人余りではあるが、滋賀県の求職者の殆どは工場労働者である、とのこと。

今回の募集は販売員である為に、内容的には少しミス・マッチである。
それでも、木曜日の夕方に提出したのに、翌日の金曜日には紹介を受け、土曜と日曜に面接をした。

面接は私の担当であるのだが、これが社員たちには大層評判が悪い。

「社長、もうちょっと、考えて決めて欲しい。後で苦労するのは、私たちなんやから。」と、言われる。

まるで、私には人を見る目がない、と言わんとばかりに、だ。

「なんでや?」と聞けば、「社長は、よう断らんから、あかん。誰でも採用してしまうやん。」と、これまた、きつい。

しかし、この[よう断らん]は、的を射ていると、自分でも思う。
捨て猫でさえ放って置けない性分だから、どうしようもないのだ。
こちらが募集して、相手が頑張ると言うなら、断る理由がない。

でも、居直っても仕方ないので、最近は一人で面接をしない様にしている。
だから、今回の面接も私一人ではないものの、即決で採用した。
もちろん大いに期待をし、先方も応えて呉れると思っている。

募集は一人だから、本日の月曜に、採用が完了した旨を職安に通知を出すのだが、その葉書が職安に未だ到着していない為に、先程、また職安から紹介の電話が掛かった。

電話から、職安担当者の前に相手が居られる様子が伺えた。
「すみません、もう採用が完了したんです。」と私。
「そうですか? 面接だけでもして頂けませんかと、言われてますが。」と、求職者と話しながらの職安さん。

『うーん、、でも、面接したら、たぶん採用してしまうやろし。
 それに、今は、そこまで体力もないし。』と、再度、募集が完了した旨を伝えたものの、やはり後味が悪い。

中小企業主は、概ね、人で苦労する。
景気が悪くて人余りの時には、採用したくても、採用できないし、その逆に、景気が良くて人が足らない時には、なかなか来て貰えない。
更に悪いのは、その人手不足の最中に、大企業に人をさらわれたりする。
誰しも、条件の良いところの方が良いに決まっている。

経済学的に言うなら、中小企業は、大企業の為の人材の貯蔵庫。

人は大事にするべし。
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親父の写真

今日は、第20回・滋賀県環境生活協同組合総代会であった。

場所は、昨晩に引き続き、安土町公民館。
本日の総会をもって、20年間続けた環境生協を閉じ、NPO法人[蒼い琵琶湖]へと移行する。

閉会の挨拶に演台に立った時、ふと20年前の設立総会を思い出した。

あの時、私が何かのイベントと重なっていた為、私の代役に父親が壇上に上がって呉れた。偶々、一般人の私の方が町長より忙しかったのであるが、よくぞ代役を引き受けて呉れたと感謝している。

当時の環境生協の理事メンバーは、労働組合関係の方が殆どだったから、どうも私だけ異分子みたいに思えたものだが、あの日から20年間、ずっと続けて来られたのは、一市民でありながらも、琵琶湖を取り巻く環境を守りたいと頑張っておられる会員諸兄の姿に触発されての事だ。

http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/198.gif
前置きが長くなったが、実は、今日、とても嬉しいプレゼントを頂いた。

それが、この写真。
たぶん、60代半ばだろうと思われる父親の写真である。

環境生協の奥野幹事から頂いたもので、奥野さんは、元毎日新聞の記者さん。
現在は奈良県にお住まいになっているが、理事会の度に往復6時間も掛けて安土に来られている。

その理由を本日の幹事報告で述べられた。
「私は30年間の記者生活の多くを、この滋賀県で過ごしました。
 それ以来、滋賀県が、琵琶湖が、滋賀県の人が好きになって、この6時間の道のりも遠くは感じないのです。」と、良い話をされた。

そんな奥野さんから、以前に「あんたのお父さんの写真を持っているで。」と聞かされ、お願いしていたところを、本日、額入りで頂戴した。

残念なことに、私は親父の写真を持っていない。
だから、あまりの嬉しさに、私が開発した「エジプト綿100%入りの肌布団]
をお返しし、
「ありがとうございます。
 これは私が開発した究極の木綿布団です。親父の代わりに奥野さんが使って下さい。
 写真は、今夜から早速、仏壇に飾ります。」とお礼を申した。

その後、奥野さんと色々と話したが、話題は、やはり新市の名称になる。

奥野さん「残念やったね~、安土の名前。でも、合併はするんでしょう?」

私「はい、残念なんです。それでも、進めるしか道はないと思ってます。」
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愚図愚図日記 (その1)

今夜、安土の名前が消えた。

元気者の私も、流石に、<font size=5 color=blue>ぐったり、</font>だわ。
かと言って、他に何かする気分にもならないから、もう少しグズクズと日記を書く事にした。

そんな日記だから、適当に付き合ってくれても良いし、呉れなくても良い。
ははー、酔っ払いみたいだわ。、

消える、と言えば、明日、もう一つ消える団体がある。
それは、20年間に渡って理事を務めて来た【滋賀県環境生活協同組合】を明日、解散する。
しかも、その場所は、今日と同じ安土公民館。
【滋賀県環境生活協同組合】の場合は、これからNPO法人【蒼い琵琶湖】として再出発する。

それと、新型インフルエンザの影響で、【信長祭り】が本日、中止になった。
「信長祭り」になってからは、全くご無沙汰しているが、その前身であるところの【フェスタ信長】は、12年間に渡り、真剣に携わった。

世の中には、変化しなければならないものと、残さねばならないものの2通りがある。
歴史から見ても分かる様に、強いものが生き残るのではなく、時代に応じて変化するものが生き残る。

この意味では、
【滋賀県環境生活協同組合】の場合は、次なる展開を目指して解散する。

【信長祭り】は、もしも中止でなかったら、今年が安土町で執り行う最後のイベントの筈だった。まあー、そんなコトは大した問題ではないが、来年度の【信長祭り】に付いては、発展的に大きく様変わり出来るチャンスだと、私は思う。
こんな事を言えば、「そんなら、また昔の様に頑張ってよ。」と言われても困るのだが、【滋賀県環境生活協同組合】にしても、【信長祭り】にしても、携わる人間がダイナミックに流動(躍動)した方が良い。

『俺が居なければ。』と誰しも思うものだが、綺麗さっぱり任せ切るのも、人材育成の有効な手段でもある。そんな意味で、NPO法人【蒼い琵琶湖】は、村上君と根木山君の二人の青年に任せようと思っている。

何かが消えて、何かを壊して、何かが生まれた。
それが歴史だ。

でも、
【安土】の名前が消えて、何か始まる?
なんて考え出したら、また腹が立つから、ここへ戻ってはいけない。

話題を変えよう!!

(下へ続く)
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愚図愚図日記 (その2) [みのむしふとん]

(上からの続き)

そう言えば、今日、高島屋デパートから電話があって、「みのむしふとん」のイベントをして欲しい、らしい。

また【紙芝居(みのむし君の冒険)】を、することになるかも。
はい、ネット仲間さんには紙芝居の手伝いをして貰い、大変お世話になった。

難波の高島屋では、小春さん、Tori。さん、あおいさん、Rayno。
日本橋では、warabi、あおいさん、くっしー、mitsu君。
二子玉川では幸せものさん。

ネット日記を始めて、もう8年。
最初の5年ほどは、みんな盛り上がった。

4年前の合併騒動の時なぞは、小鬼さんに書き込みも貰って、
そうそう、スイスの小鬼さん一家と、はーちゃんファミリーは、ネムハーに来てくれたし。
九州のmieさんから貰った巾着袋は、今も判子入れとして使っているし、カレンダーの時期には、花也さんルリビさんに送っているし、ガブリン、ポチさん、umeさん、小麦さん、とみんな懐かしい。

それが、この2年程、みんな日記を書くペースが落ちた。
と言うか、
8年の歳月は、やっぱりみんな年を食うし、生活環境も変わる。

少し寂しい感じもするが、それはそれで良いのだろう。

昔は、先と言うか、将来なんて疲れる程に永いと感じていたが、
流石に私の年齢ともなれば、『少し時間を大切にしなくては。』などと、柄にもなく思ったりする。

先日、ある人が、
「私、これまでずっと、今が一番充実している、と思っている。」と聞かされ、
「そうそう、僕も、ずっと、そう思って来たよ。」と答えた。

でも、それに続いて、ふと、「今は、そう思っているけど、これから先は、どうかなぁ~。」と思った。正直な感想である。

あれ以来、この会話を時々思い出す。
70になっても、80になっても「今が人生で一番良い時だ。」と言いたいが、『果たして、どうなんだろう?』と思ったりする。

そう言えば2年程前に、
70歳をゆうに過ぎた京都の叔母から、「私、今が人生で一番、幸せよ。」と聞いた時、なんだか、私まで幸せを感じた。

この【なんだか】を言葉にするなら、
先ずは、叔母の幸せが嬉しいのと、次は『そうか!! 70を過ぎても幸せなのか!! なら年をとるのも怖くないぞ。』と、自分自身が安心した、である。

と、ぶつぶつと愚図愚図日記を書いて、深夜の2時。
気分転換も出来たから、そろそろ寝るべぇー。
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安土の名前が消えた日。

第4回 近江八幡市・安土町 合併協議会の傍聴に行った。
少し遅れたが、私は28番目の傍聴者で、かなり空いていた。

今日に新市名が決まるらしい、
との事で、会場の安土公民館へ出向いたのである。

新市名の候補は、「近江八幡市」と「近江八幡安土市」の二つ。
これを、名称委員会の委員長が報告。
委員長は、安土塾の友人の高木君。
私同様、安土への思いが強く、安土を残す意味について熱弁を振るった。

名称委員会のメンバー構成は、近江八幡市と安土町のメンバーが4名づつ。
委員会内では、「近江八幡市」が4票、「近江八幡安土市」が3票、それと白票(訳が分からん)が1票と、委員会ではまとまらなかった為、本議会で判断が委ねられた。

本日、安土の委員が一人欠席の為、採決になれば、近江八幡が12名、安土が11名、それと議長(近江八幡近江八幡市長)となり、不利である。
本日、欠席の委員は、「??木名称委員長に委任したい。」との委任状が出ていたものの、採決が取られ否決された。どう言う訳か、安土町長も、「認めない」方に手を挙げた。

次に、事務局から、「白票、無記名の場合は、有効投票とは数えない。」との判断が提示され、高木君が「白票も有効投票として数えるべし」との意見が出され、挙手による採決が取られた。
その結果は、、「白票、無記名の場合は、有効投票とは数えない。」に近江八幡の委員に加えて、安土町長と田中議員が手を挙げ、白票は有効投票と認められない旨が確認された。

「どうして白票が問題になるのか?」だが、
残念なことに、安土側から白票が出る心配があったから、だ。

この時点で勝負あった様なものだが、いよいよ「近江八幡市」の名称の採決が取られた。
有効投票の内、賛成が半数以上なら採択され、同数ならば議長判断となる。

順当通りなら、「近江八幡市」に賛成が12名で、反対が11名で、決定となる。

『帰ろうか。』と思ったが、結果を待つ事にした。

事務局から投票結果が発表された。

賛成 14票
反対  8票
白票  1票
で、新市の名称は「近江八幡市」に決定した。

「えっ?」と、思わず声が出た。
なんと、安土から3名もが「近江八幡市」の名称に与したのでる。

なんとも情けない結果に、席を立った。

以上。
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新型インフルエンザ

このところ、私の日記タイムは、合併問題に追われっぱなしで、皆さんとは随分とご無沙汰だが、「お元気でしょうか?」

さて、只今話題の新型インフルエンザが、とうとう滋賀にもやって来た。更には、東京でも神奈川でも見つかった。

当初は関西限定で広まったものだから、「近畿の奴はバイ菌やぞ。」などと、まるで子供レベルのイジメみたいな話しもあったりで、『こんな事なら、いっそうの事、全国で一人一人見つかった方が良いのに。』と思われた近畿人も多いと思う。(笑)

新型インフルエンザの影響で、マスクが何処も売り切れらしい。
「そんなら、工場用に備蓄してあるマスクを、店で売れば!!」とねむはーに出せば、わざわざ五個荘から買いに来られたりと、反応が早い。

マスクの他にも、「これも、新型インフルエンザの影響か?」と思われるのが、カタログハウス社の【通販生活】さんで販売して頂いている【ワタセの近江本麻布団】だ。
この商品の掲載歴は3年だが、今年は、これまでになく良く売れている。

『ひょっとして、人混みに出ての買い物が怖いから、通販雑誌が人気なんだろうか?』と、分析してみたり、である。

他には、6月4日に【職場体験で学んでほしいこと(仮称)】なるお題で、安土中学校の2年生に一時間の話しをする件を頼まれているのだが、「インフルエンザ次第で、延期になるかも知れません。」との電話を貰った。

私の場合、新型インフルエンザに対しても、取り立てて心配はしていない。
どうして、「も」なのかと言えば、もう昔の話となったが、狂牛病とか、それに続く鳥インフルエンザとか、もっと大昔ならばトイレットペーパー騒動とか、無暗に騒ぎ立てるのは、どうかと思う。

もちろん対処を怠ってはならないが、大騒ぎして、暫くすればすっかり忘れるみたいに、マスコミに煽られての生活は送りたくない。

とは言うものの、

「皆さん、新型インフルエンザには気を付けて下さい。」である。
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うんこ色のカレーライス

『安土の名前は、22日に消えてしまうのか?』

そんな苛立ちの日々である。
4年前に決定していた 「安土八幡市」は、 幻 になりつつある。

いつまでも済んだ事を嘆いても始まらないのは、よくよく承知だ。
合併は、後になるほど不利になる。

合併をカレーライスに例えると、

8年前の3町合併は、<font size=5 color=blue>お皿半分のカレーライス。
</font>
  これでは合併規模が小さ過ぎて、行革のメリットが少ない。

4年前の合併は、<font size=5 color=blue>食べごろのカレーライス。</font>
   名前も「安土八幡市」で、国からの合併特例債が200億円ほど用意されていた。

今回の合併は、<font size=5 color=blue>うんこ色のカレーライス。 </font>
   味は同じと言うものの、安土の名前が消えるし、特例債も激減した。

そこで、
合併を先送りしたとしたら、<font size=5 color=blue>カレー色のうんこ?</font>
   単独で立ち行く道がなければ、更に条件の悪い吸収合併しかない。

うんこ色のカレーライスとカレー色のうんこのどちらを食べる?
とよく聞かれたりするが、私の場合は、うんこ色のカレーライスを選ぶ。

勿論、単独の道は、ある。
しかし、想像以上に厳しい道を覚悟しなければならない。
矢祭町の様に、職員を半分に減らし、議員報酬を7割カット、町民挙げてボランティアに精を出す。
山間地や過疎地ならば分かるが、半分、都会掛かった安土で可能かは疑問が残る。

安土町の場合、8年前には町の予算は50億円をこえていたが、今年は、36億円と激減している。
財政の逼迫は、住民サービスの低下に直結する。

以下、長い文章ですから、続きは<A Href="http://azuti.blog116.fc2.com/blog-entry-44.html">安土ブログ</A>をご覧下さい。
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刺しの勝負 (その1)

<b>リコールの署名が4000筆を越えたらしい。</b>

毎日のように町民の不安を煽りたてるビラ、
合併反対の幟(のぼり)旗や、宣伝カーの声・声・声を聞けば、住民の不安が募るのは無理もない。
しかし、である。
何が何でも合併を先送りにしたい反対派が、如何に巧妙なデマを流したとは言えども、ここまで集まると、<i>合併を推進して来た町長、並びに町議会の説明責任が果たされていない、と言わざるを得ない</i>。

例えば、「老蘇小学校が無くなる」とか、「税金が高くなる」とか、そんな類の不安などは、懇切丁寧に説明すれば、デマは、ここまで大きくはならない。また町民サイドから、「合併したら、本当に老蘇小学校は無くなるのか? それは困る」と質問に行きさえすれば、不安は解消する。デマは、住民の不安と無知が合わさった時に初めて力を得て大きくなるのだ。

しかしながら、<b>私も、こと「安土」の名が消える?に関しては、不安を隠せないでいる。</b>

ご存じのように私は、なんの役職もない一人の町民である。だから、毎日の様に入る反対派のビラも、読んでいる。

その中に<b>、「安土の名前が消える。」には、正直なところ、ゾッとした。</b>
どうしてかと言うと、「学校が無くなる」「医療費が高く」等は、嘘であったとしてもずっと先にしか判明しないものだが、合併後の新市の名称は、5月31日にははっきりする。
だから、<b>反対派も、余程の確証がなければ、ビラ上の活字にはしない筈である。</b>

合併協議会に参加している友人は、「なんとしても安土の名前を残したい」と決死の覚悟である旨は、先日のブログで紹介した通りである。
「もしも、自分の責任で安土の名が消えれば、安土に住んでいられない。」とまで友人は思い詰めていたから、その時に私は、近江八幡で4期市会議員を務めている知人に電話したところ、「辻さん、そんな心配はいらんと思うよ。一般的には、合併の話の前に、首長どうしで、名前の件は決まっている筈やで。」との返事。

「それは、そうやわな。」と、ほっとしていたのだが、その後、日が経つ毎に、「どうも、そうではないらしい。」と、思わざるを得ない事象が見え隠れするではないか。

町長にも議員にも「なんとしても安土の名を残さんとあかんで。」と嗾(けしか)けるが、どうも反応が変、なのである。

(続く)
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刺しの勝負 (その2)

(続き)

<b>「ひょっとして、最初から近江八幡市で決まっていたのか?」</b>との疑問が沸々と湧き出してしまう始末である。

私は、なにも地域エゴで「安土を残せ」とは言わない。「安土」と言う名前は、全国ブランドだから、残すべしと考える。これまで私たちは、ゼネラルブランドの「安土」の文化的価値を、分かち持ってきた、のである。一人占めではない。

そんな中<b>、【どうも近江八幡市で決まりらしい。】</b>と思わざるを得ない残念な事態が次々と発覚した。

「いったい、誰のせいや!! 誰の責任や!!」、と腹立たしいが、怒っても、何一つ始まらない。
「嘆いている暇があるのなら、今、出来るコトを精一杯すべし。」と自分に言い聞かせた。
私は政治家でも批評家でも論客でもない、我が街を能動的に愛する一町民だ。

<font size=5><b>ここまで来て、誰ならば、この安土の名を残せるのか?</b></font>

こう考えると、
<font size=5><b>思い浮かぶのは唯一人、近江八幡市の市長以外にない!</b></font>

とは、言うものの、私はこれまで市長とは一面識もない。
まして、この期に及んでの勝算など皆無に等しい。
しかし、可能性が僅かでもあるのなら、そこに賭ける価値はある。
私は政治家ではないが、絶えず僅かな可能性をも追及して来た中小企業の経営者だ。

『さて?』であるが、市長の居場所は、市役所。これは小学生でも知っている。

ちょうど昨日、免許の切り替えで近江八幡警察署に行ったものだから、お隣の市役所へ。
「こうなったら、直談判で、臨んでみよう。」と、秘書課を訪ね、「新市の名称の件で、市長と面会がしたい。」と頼んだところ、生憎、会議中の為、「その旨を市長に伝え、後ほど連絡致します。」とのこと。

『連絡って来るのかぁ~?』と待っていると、「明日の14時半から30分程度」と秘書から電話が掛かった。

そんな訳で、小雨の降る中、本日の2時半
私は早稲田大学第二校歌の人生劇場を歌いながら、
「よし、刺しの勝負だ。」とばかりに市長室へ。
ふと、安土塾のメンバーや親父の顔を背中に感じた。

前の川端市長とは、古くからの知り合いで気心も知れている。
ところが、冨士谷市長は、今回が初対面。
しかし、何も知らずに、食わず嫌いは頂けないと、先入観を持たずに対面した。

(下へ続く)
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刺しの勝負 (その3)

(続き)

市長のエネルギッシュな話し振りの中に、容易に剛腕さが想像できた。

『このワンチャンスを生かさねば!』 こう思った。
私は、市長への見返りなど何一つ持ち合わせていないが、逆に、私も市長から何一つ見返りを期待していない。
安土の地名を残す事は、私の利得の為ではなく、日本の文化を守り、更には新市発展の可能性に繋がる。
これは単に大義名分ではなくて安土塾30年間の指針だ。

私「ここまで来たら、もう安土の名前を残せるのは市長しかいない。だから、お願いに来た。」
市長「いやいや、合併協議会には二四人のメンバーで構成され、私の一存では決まらない。」
私「なにも、そんな生徒会みたいな返答を聞きに来たんやない。それなりの手腕も力量もあると見込んで頼みに来た。」
と、まあー、こんな調子で次第に話に熱が入り、30分経ち、1時間経ち、気がつけば1時間半も経過した。
ここぞ踏ん張りどころと頑張り、表に出れば、はや4時が回っていた。

相手は市長で、私はただの一町民。
私は、権力もなければ、利害すら、ない。
失うものなど何一つないから、怖いものなし。
「安土の名前を残して呉れ」のただ一つ。
駄目元で臨んだ談判であったが、それなりの感触が得られた。

「ここに来て、えらいことを言うて呉れるなぁ~。」と、市長。
「もしも安土の地名を残こして頂けたなら、
 ゼネラルブランド安土の地名を残した名市長として日本中で誉れ高く、
 同時に 安土の恩人としても、その名は永遠に残ります。
 どうも 長時間ありがとうございました。」とお別れした。

そこで私から、皆さんにお願いがある。
【どうか、お一人でも多く、市長に「安土の名前を残して欲しい」との声を、伝えて欲しい。】
直接に話さずとも、秘書課に言づけるだけでも、効果がある。それが、選挙民の権利でもある。

さて、今回の合併に付いて、何かと批判がある。
私は、合併したからと言って、何一つ、私的に得をしないし、また、一町民故に、裏など皆無だ。

今日のテレビで、鳩山さんが、「これからは地方分権ではなく、地域主権の時代である。」と抱負を述べられていた。
私は、これまで何度も述べて来たが、
<b>合併は行財政改革の有効な道筋の一つであり、来る地域主権の受け皿になる得る自治体づくりの為にも、合併が必要だと考えている。

軸はぶれてはいけない。</b>
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残念。、

【ワタセの近江本麻布団】に引き続き、【エジプト綿100%入り ワタセの手作り木綿布団】も通販媒体に掲載して頂ける様にチャレンジしてきたが、残念ながらあと一歩のところで不発に終わった。先方の感触も良く、商品の完成度も高く、採用が決まれば大きな売り上げになる、と私としては大いに期待していただけに、その分だけ落胆も大きい。

担当者さんも「この商品は、売り上げがかなり期待できる。」と予想しておられるものの、「如何に誌面上でその良さを伝えられるか?」の点においてのセールスポイントが難しいらしい。これをクリアーするには、永六輔さんの様な有名人さんのお気に入りであるとか、誰もが知っている様な超高級旅館で使っている等の実績があれば良いのだが、なにぶん、出来たてのホヤホヤだから、これから頑張るしかない。

採否の結果を待っている間は、もしも不採用となった時の落胆さ加減は如何ほどか? 『さぞや想像もつかない程に大きいだろう。』と思っていたが、いざ、結果が出てしまうと、案外とサッパリしたものである。
と言うか、「終わった事にグジグジしててもしょうがないから、前を見よう!!」と、ギヤーチェンジ。

考えてみれば、おおよそ半年を擁した「ものつくり」で、もしも担当者さんからオファーがなかったら、ここまで一生懸命になれなかったし、完成度も高まらなかった。残念ながら、掲載には至らなかったものの、[エジプト綿100%入り ワタセの手作り木綿布団]が仕上がり、これが今後のワタセの財産になると考えれば、落胆どころか感謝しなくてはいけない。
実際に、先月、高島屋さんに話したところ、「本店でイベントを組みましょうか。」と言って頂けたり、と良い話もある。

図らずも昨日の日記に「喜びを紡ぎ出せる力」と書いたが、今日の場合は少し違うみたい。ありていに言えば、「済んだ事にくよくよするな。前を向け。」だろうか。
私の場合、さっぱりしている、都合の悪い事は(いや、都合の良いことも大事なことさえも、)直ぐに忘れる、根に持たない、プラス思考、楽観論者、などなどの性格が上手く働くようだ。
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五月晴れの日に。

今日は「これぞ五月晴れ」と思うほどの上天気。
でも、
『5月にしては暑すぎない?』とTシャツに薄めのシャツ。

私は寒い季節より 断然暑い季節が好き

「暑ければ布団も売れないだろうに。」と言われるが、
布団屋として言わせて貰うと、
「寒いのが嫌いだから、布団を作っているんだよ。」となる。

春が真っ盛りで、ネムハーでは花が綺麗に咲き誇り、沢山のツバメが飛び交っている。
来客があれば、私は決まってツバメの巣に案内する。

「ほれ、見てみぃー。こんなに沢山の巣があるんよ。
 もう百匹以上も育てたんや。
 だから、これからは俺の事を【ツバメの父】と呼んで呉れ。」と自慢。

ツバメは、犬や猫と違って、餌もいらないし、何の世話もしなくていい。
それでも、『何か少しばかり世話をしたいものよ。』と、先日、水飲み場を作ってやった。
以来、毎日のように『今日は飲んでるかな?』と観察しているが、一向にその気配がない。

『ふむ。。
 ツバメは自由人、なんや。』と、ソコに自分との共通項を見出した。

さて、仕事であるが、上手く行ったり行かなかったり、と色々である。
企画が通れば大喜びし、通らなければ、まるで世界が破滅した程に落胆する。

二つの計画で、一つが成功して一つが失敗なら、文字通り一喜一憂。
もちろん二つとも成功するに越したことはないのだが、全部が失敗することだってある。

と、なれば、二つよりは三つ、三つよりは五つと、計画なり企画は沢山抱えた方が良い。
要は、仕事量を増やせと言う訳だが、しかし、それでは時間が足らなくなる。
そこで[寝食を惜しまず頑張れ]なる概念が成立するが、『そうでも、ないやろう。』と怠け者の私は思う。

人は誰もが一喜一憂して過ごしている。
人生の達人となるには、如何に喜びを見つけられるか、だと思う。

ほんの些細なことにも「喜びを紡ぎ出せる力」が必要だ。

その力は、筋肉でもなければ能力でもない。
「それじゃ、なんなん?」と考える。

『うーん、何なんだろう。』

これまでも、ずぅっと、色んな毎日を送っている私だが、時々、よくも飽きないものよ、と思ったりする。
スイィーと風を切ってツバメをみれば、『おおー、なんて気持ちそうなんだ!!』と感激し、飽きは消し飛ぶ。

「そうか、私の答えはツバメが知っているんだ。」と思い当った。
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京都工芸繊維大学の加藤研究室 [みのむしふとん]

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/197.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">12年振りの再会だった。

写真右から、小寺君、荒木さん、渡辺君。
彼等は京都工芸繊維大学の加藤研究室の同期で、卒業して12年だから、みんな30代。もちろん、私は30代じゃないが、一緒に【ふとん博物館】を作り上げた仲だから、仲間なのだ。

彼らとの出会いは、平成10年にコットンボールを建てた時に【ふとん博物館】を新設したいと思い立ち、加藤力教授を訪ねた時が始まりだ。
加藤教授は建築学部造形工学科の先生で、雑誌に寝具に付いての論文が掲載されていた関係で、お名前を知るに及び、押し掛けた次第である。

当時は、カーナビもなかったから地図を頼りに京都工芸繊維大学を探し、ようやく研究室に辿り着き、
「あのぅ、僕は布団屋なんですが、【ふとん博物館】を作りたいと思ってお邪魔しました。」なんて挨拶から始めたと思う。

「へぇー、ふとん博物館ですか? どのようなイメージをお持ちですか。」みたいな質問に、
「隣の工場では布団を作っているんです。その作業風景が、博物館のガラス越しで見える様にしたんですよ。
安土小学校の子どもたちが工場見学に来るのですが、もっと丁寧な説明が出来たら、と思っていたんです。
見学だけじゃなくって、実際に座布団を作ってみるとか、寝具の歴史や睡眠に付いての学習も出来る様な、そんな博物館にしたいのです。」など、色々と抱負を述べた。
初対面で、いきなり押し掛けてのお願いだから、結構、熱っぽく語ったと記憶しているが、それが功を奏したのか、「やってみましょうか!!」と引き受けて頂けた。
そこで紹介して貰ったのが、当時の加藤研究室のゼミ員5名で、先生と私を含めた7名が、6か月ほどかけて完成した次第である。ちなみに、「みのむしふとん」は、この2年後に作り上げ、加藤先生には色々とお世話になった。

しかし12年も経って、わざわざ訪ねて貰えるなんて、とても嬉しかった。

学生だった彼等も、みんな社会人で、手土産なんかも頂けた。
「日本一美味い炒飯を御馳走するよ。」と中華を食べ、よく喋り、よく笑い、楽しい時間を過ごした。

別れ際に彼等、「社長、十軒長屋を作られたら呼んで下さいね。」
私「おう。」

「なに、十軒長屋?」とお思いでしょうが、それはまた別のお話。
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リコール成立?

合併に付いて書きましたが、長文故に、興味ある方は↓「安土ブログ」をご覧下さい。

http://azuti.blog116.fc2.com/
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歯痛

連休中は、ずっと歯が痛かった。
歯医者用語で言うなら「右下の4番」の疼き。前回に引き続いて、また神経を抜く羽目になるやも。
これは、抜歯以上に痛いから、困る。、

テレビで「白い春」をみていたら、美味しそうにフライドチキンを食っているシーン。
情けないことに、今の私は、あんな風には齧(かじ)りつけない。
話しは逸れるが、そんな歯痛状態でも、阿部寛扮する主人公がお墓をタワシで磨くシーンには泣けた。
その後、『おぉー、この暫くは、歯痛を忘れてたぞぉー。』と、どうでも良い感動もしたもんだ。

今夜なんか、柔らかい焼き豚でさえ、「そおぅー」っと歯を入れるのが精いっぱいなんだから、パリッと揚げた皮なんぞ、どんでもないコト。

『あーぁ、あんな風に齧りつけたら、どんなに幸せだろうなぁ~。
 歯が治ったら、フライドチキンを絶対に喰ってやる!!』なんぞと、訳の分からぬ血迷った世界に入り込んでしまう。

普段なら、なんとも思わないのに、ちょっと痛み出すと、このザマタレである。

『人間って、こんな程度の生き物かいな?』と情けなく思う反面、
『こんな程度だから、人間って良いんじゃないの!!』と、肯定的に受け止める自分もある。

そう思うと、薬のお陰で少々和らいだ痛みが、可愛らしくもある。
でも、
そうかと言って、ここに長居はしたくないから、明日、歯医者へ行くんだー。
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