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喫茶店 (その1)

『せめて、週に一度は日記を更新しないと。』
と、PCに向かう。

しかし、暑いねー
もう真夏だわ

と、夏好きの私は、結構と嬉しい
理由は単純で、Tシャツ一枚とGパンで過ごせるからだ。

会社の景気はと言うと、4月と5月は、昨年より悪く、
「困ったねー」であったが、
6月で挽回して、只今は「よしよし」である。

さて、先週のこと、
問屋と税理士を車に乗せ、いつもの「うどん屋」に行った時のこと。

私「そやそや、昨日、高校時代の同級生が来たから、久々に喫茶店に入ったのよ。」

『たしか、この辺にデンマークと言う名の喫茶店があった筈なんだが。』と探すも見つからず、コロンビヤを見つけて入った。

『昔と比べたら、喫茶店って、めっきり減ったな~。』であるが、コーヒーとピザを食べて、1,800円。
私のオゴリと言う事で、清算に一万円札を出したところ、お釣りは8,200円。

「5000円札が一枚と1000円札が3枚と100円玉が2枚」だと思い込み、無造作に財布に仕舞って、車に乗ったものの、

『あれっ? なんか、5000円札の色が違ってたみたい・・・』と、気になり、
財布を取り出し、確かめたら、5000円札が無くて、1万円札が有るではないか。

『なんや、間違っとるやんけ。』と、車から降り、1万円札を5千円に替えて貰った訳だが、
この話を車中で[問屋と税理士]君の2名にし、「君等はそんな経験はないかい?」と聞いた。

すると、税理士君が答え、
「もう20年以上も昔ですが、ありましたよ。
 京都のパチンコ屋さんの換金所で、2000円を貰うところが、2万円貰いまして。」

私「で、どうしたん?」
税理士君「返そうとしたんですが、人が沢山並んでいたもので、返しませんでした。」

私「いやー、それはアカンやろ。ホンマに返そうと思ったんなら、どないしてでも返せた筈で、お前は返す気が無かったんやぞ。」とニマニマしながら突っ込んだ。

(下へ続く)
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喫茶店 (その2)

(上からの続き)

税理士君「それに、あの時、ソレ位は負けたので、まあー、良いかと。、」
私「それも理由にならんで。盗人にも3分の理に近いなぁー。
 可哀そうに、その換金所のおばさんは、弁償させられてるで。」

税理士君「社長、そんな虐めんといて下さいよ。
 ・・・そう言えば、シワの多い細い手やったなぁ。、
 あーあ、こんな話しを、せなんだら良かった。」と、ブツブツ。

私「それは違うやろ。人は騙せても、自分は騙せんのよ。
 その証拠に、何十年前の事なのに、手のシワまで、しっかりと憶えているんやから。」

多かれ少なかれ、人にはそんな思い出の一つや二つは、ある。
しかし、間違っても、手柄と自慢したり居直ったりは駄目で、反省することが肝要だろう。
苦い経験をしたと思い、それ以降に改めれば良い。
それでこそ、良い経験となる。

「ねむはー」で万引きした中学生には、いつも、そう言っている。
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明日への拵え(こしらえ)

本日、安土町議会で合併が議決された。詳しくは、合併に関する最終案件となるところの「配置分合」が賛成5名、反対4名で議決されたのである。町内を二分するほどの大変な騒動を経てではあったが、先ずは一区切りと言えよう。

そんな中で、私の脳裏に浮かんだ言葉は、【明日への拵え】である。

拵えとは、予想される状況に合わせて準備を整えること。
他の言葉では、支度が同じ意味であるから、「明日への支度」「未来への旅支度」でも良い。

今回は近江八幡市との合併であることから、近江八幡市への「嫁入り支度」を連想される方もあるかも知れないが、私は、敢えて「それは違う」と申し上げたい。近江八幡市と安土町が、未来に向けて共に新市を作り上げるのであるから、仮に嫁入り支度なる言葉を使うとすれば、「明日への嫁入り支度」と考えたい。

新市の誕生は、来年の3月31日。
それまでの後10か月間、私たちは未だ安土町民である。

この間に、私たちのなすべき「拵え」は、心構えも身支度も含めて、随分と多い。
無為に過ごすことなく、将来の夢を語り、それを実現可能と出来得るようにと、「明日への拵え」を存分に図りたい。
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葬儀

土曜日の早朝、安土の叔母が亡くなられ、葬儀の手伝いをする旨の電話を受けた。

88歳のご長命だから悲しい葬儀ではない。
土曜日と日曜日の丸2日間、お手伝いさせて頂き、親戚の方々と久々にお出会いした。
それぞれに忙しいから、葬儀の時くらいしか出会えない親戚であるが、それが何年振りであっても、懐かしいものだ。

実は、先週の金曜日から3日間、店舗で大きなイベント(売り出し)が入っていて、その土曜日と日曜日の2日間が重なってしまい、『どうなるものや?』との心配もあった。

ちょうど葬儀が終わった頃に、イベントも終わり、
「どうだった?」と売上を聞けば、「予算達成!!」との返事。

予算は、だいたい、期待も込めて大きく、普通は、その70%も出来れば上等で、
私が居ても、そんな程度なのに、留守にも拘わらず達成とは、大したものである。

『ひょっとして、ワシが居ない方が良いのかいなぁー。』であるが、

「居なくても支障がない様にしておくのが、社長の務めなのだ。」と言っておこう。

ご葬儀の方々、
それと、ワタセのみんな、 「どうも おつかれさんでした。」
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安土中学校での授業

連日の出張で、帰社が午前さま。
そんな中、安土中学校から依頼されていた「授業の出前」に出向いた。

対象は、二年生の生徒全員と先生。

内容は、例年と同じく「仕事について」の50分間の授業であるが、昨年通りに話しては駄目、と言うのは私の持論。
データーはPCに残っていはいるが、仕事の勢いとか息遣いを中学生に届けるのが肝心だから、その都度、新しく内容を作り上げる。

そんな訳で昨夜、深夜の1時半帰宅であったが、それから2時間ほど「話し」をまとめて、講演に出掛けた。

相手が大人なら、
○昼まで寝ていろ。
○たばこは一日80本吸え。
○気分転換にパチンコをしろ。
の3か条を話すべきところだが、相手が中学生だから、如何な私も、そうは言わない。

色々と話したが、
【箱根山 籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人】を引用した。
これは江戸時代の落語から広まったとされているが、意味は、世の中には職業がさまざまあって、同じ人間でありながらその境遇に差のあることのたとえ。また、そのさまざまの人が、うまく社会を構成していることのたとえ。

これを応用すると、会社でよく使う【ABC分類】になる。
A(籠に乗る人)B(担ぐ人)C(そのまた草鞋を作る人)となり、その比率は2:6:2。

「例えば、先生が10人いるとする。
 その中で、人気のある先生は2人、普通が6人、嫌いな先生が2人、となる。」
と、私が話せば、生徒は大喜びして、先生は緊張する。

「君、勉強は出来る方か?」と質問すれば、「全然、出来ん。」との返事。

「なんや、それならお前はCの2か?
 そやけど、勉強が出来ん、と答えたらあかん。
 今のところは、やってないだけなんや。 その内に、出来るようになるんや!!と答えろ。
 集中力を身につけて勉強したら、誰でも東大に入れるんや。」みたいな調子で、あれこれ話した。

勉強も出来るに越したことはないが、そんなことよりも、先ずは元気で幸せに生きよ、人に優しくあれ、正直であれ、人の幸せしろ、とホール中に勇気を振りまいた積りの私であるが、
中学生とか子供たちって、ただその存在だけで、私たちを元気にして呉れる。

だから、
最後に、「頑張れよっ。」ってホールを出た時、「おっちゃんも頑張れよー」って言われた様な気がした。
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井戸の茶碗 (その1)

昨日、打ち直しをチラシを折り込みした。
B4版を19万部刷って、地域別に4回に分けて出す。

折り込み日初日で本業が忙しく、昨日の合併協議会の見学には行かなかった為、詳しい情報は持たない。
今週は県外への出張が多い為、今のうちにと、ブログを書く。

さて、今日は地域社会の交流とか精神衛生に付いて述べたい。
地域社会と言えば、小字なり大字が思い浮かぶが、その範囲について、鐘が一つの視点だと考える。

鐘が聞こえる範囲が地域社会である、と私は思っている。

鐘で思い浮かぶのは、お寺の鐘、教会の鐘、祭りの鐘、学校の鐘、火事の半鐘、家庭の風鈴と、色々だ。

西洋では、教会の鐘の聞こえる範囲が教区であり、日本でもお寺の鐘は檀家に聞こえる。
教会やお寺の鐘を聞いて人が集まり、昔は教会やお寺が村の精神衛生を司った。

「昔は、」と言ったが、今でも教会なりお寺の役割は大きいものの、それでも昔と比べると、私達の行動範囲が広がった分だけ、地域社会も広がった。

その一つが、学校の鐘だろう。
学校は、幾つものお寺を含む一回り大きな括りである。

だから、鐘を鳴らしても聞こえない地域であっても、学区であったりする。
しかし、子どもに限らず、子どもを通して親の交流も深まるなど、現在では学区が地域社会づくりに欠かせない。
そんな意味から、小学校で【安土っ子フェスティバル】を企画し、今も続いている。

風鈴は、その音も小さく、家の中でさえも耳を澄まさなけれれば聞こえない。
家族の呼吸みたいなもので、れだからこそ家庭に置く意味もあろ。

と、前置きが長くなったが、五個荘町の善覚寺では落語の鑑賞会をされている。
檀家さんが世話役になり、今回で25回目とのこと。

今も、お寺を中心とした「村の繋がり」を大切にされている点に敬服している。
↓は、少し昔のものだが、「ふるな寄席」を紹介させて頂く。

http://www.geocities.jp/ttokatayama/index.html

(下へ続く)
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井戸の茶碗 (その2)

(上からの続き)

桂九雀が主で、その他3名さん程の落語家さんがお見えになる。
中でも、桂文三さんの落語【井戸の茶碗】は、絶品であった。

それは、面白いだけなく、江戸の文化と言うか、心優しい情景なり心のありようが、
『私たち日本人は、昔っからこれほどに生真面目で、正直で、礼儀正しかったのか。』と嬉しいのである。
井戸の茶碗のあらすじは、↓にあるので、ご覧下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%88%B8%E3%81%AE%E8%8C%B6%E7%A2%97

最後に、歌を一つ。

これは、昨夜、なにげにテレビのチャンネルを回していた時に聴いた歌です。
五十路を過ぎた私には、とても良い響きでした。

竹内まりやさんの「人生の扉」です。↓

http://www.youtube.com/watch?v=yuYxIVfsbHc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=C8T9S2Zfmv0&feature=related

「井戸の茶碗」と「人生の扉」は、
人が正直に、そして人に優しく真面目に生きることが、どれほど素晴らしいかを教える。
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