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赤いリボン (その1)

安土小学校の評議委員を、もう随分と長くしている。

その間、校長先生も幾人と代わり、以前は私より年上であったのに、今や年下となってしまい、委員会では一番の古手である。だから、牢名主みたいに、一番奥のソファーが私用になっていて、居心地は悪くはないものの、「そろそろ僕も代わりたい。」と申し出ている。
と言うのも、評議委員になって始めた【安土っ子フェスティバル】も、随分と回を重ね、今ではPTAさんに引き継いで貰える運びとなり、一仕事が終わった、との感を持っているからである。

さて、タイトルの「赤いリボン」は、私たちが子供の頃、運動会で一等賞をとった時に貰った「印」みたいなモノであり、2等賞が黄色のリボンで、3等賞は青色のリボンだったかと、記憶しているが、これらのリボンは、随分と昔に廃止されている。

これに関して私は、評議委員会で「どうして?」と、いつも問題提起しているが、だからと言って、何も無暗に競争心を煽ろうとするものではない。

先日の評議委員会でも、この話題になって、
校長先生、「走りで1等になったからと言って、どうしてダンスの時にもそのリボンを付けている必要があるんですか? との意見があります。」と言われた。

『そう言われると、一理あるやも。』であるが、これは親サイドからの意見と思われる。
「どうして、差別するのか? リボンを付けていない私の子が可哀そうじゃないの。」の類だろう。

競争すれば、一等からビリまでの結果が出る。
そして、結果は、人に平等ではない。

これは、「駆けっこ」に限らず、全てにおいて当て嵌まる。
健康な人もいれば病人もいる、寿命一つ取ってみても、結果は平等ではない。

走りが早とか遅とか、背が高いとか低とか、勉強が出来るとか出来ないとか、その他、視力、聴力、音感、リズム感、手先が器用さから色彩や造形の想像力など、挙げればキリがない程の様々な素養なり能力がある。

(下へ続く)
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赤いリボン (その2)

(上からの続き)

これら素養なり能力を、みんなが平等に持っているのかと言えば、そうではなくて、人それぞれに違う。それを、「残念なことに」と思わずに、【それら、それぞれの能力を私たちが分かち持っている】と、私は理解している。
「子どもは社会の宝物」とよく言われるが、それは、私たち大人が、子どもの持っているそれぞれの才能を伸ばし、いずれ社会の役に立って欲しいとの希望を抱きつつ、子ども達と接することから始まる。

大人と同様に、子どもでも褒められれば嬉しい。
運動会で一等賞を取って、赤いリボンを付けて貰ったら、それを一週間でも一月でも付けていたいと思う子だって居るだろうし、私は、そんな子がなんとも可愛いと思う。
余りの嬉しさから、「将来はオリンピックで金メダルを取りたい。」なんて、夢を抱いたりするかも知れないし、そうじゃないとしても、その時の喜びなり感動は、その後の人生への励みや勇気になったりする。

それは、運動会でなくとも、合唱や絵画のコンクールでも、なんでも良くて、優れた成績を残した子は、大いに評価してやって欲しい。
それを、「リボンを貰えない子どもが可哀そう」との理由で、評価そのものをしないのは、優れた才能を蔑ろ(ないがしろ)にするなり潰す事によって、結果の平等は保たれたとしても、それは余りに不毛な見識と言えよう。例えば、イチローが物理を苦手としても、アインシュタインが早く走れなかったとしても、そんなコトはどうでもよくって、優れた点を評価すれば良い。

世界には、稀にイチローやアインシュタイの様なタレントも出現する。
しかし、それは稀な事であり、誰しもが成れるものではなく、別に、成らなくても良い。
それでも、みんな夢とか憧れを抱いて、それぞれの持っている個性を努力を通して伸ばしながら自らの人生を紡ぎ行くのである。

色んな努力なり、才能なりを評価してやって欲しいと思う。
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僕は180歳

なんとも暑い毎日が続いているが、至って元気だ。

この頃の私であるが、深夜に昔のテレビドラマを良く見ている。

昨年にレコーダーを買ってから、
『へぇー、ハードディスクに何度でも書き込めるんだぁ~』と、つい嬉しく、こまめに録画している。

通常なら、週に一回の放送であるが、再放送は毎日なもので、2週間ほどで3か月分が見終わる。

この前に観たのは、「振り向けば奴がいる」と「年下の男」と、もう一つは、ええーっと、題名は忘れたが草なぎ剛君が余命1年の先生役したドラマ。

「振り向けば奴がいる」では、主演の織田祐二が若いところからも、『随分と昔のドラマらしい。』と察せられるが、愛煙家の私としては、喫煙シーンが多いのが、なんとも懐かしい。

舞台は、そこそこ大きな病院で、会議の場面でも、診察の場面でも、出演者はいつも煙草を吸っていて、テレビの前の私も、その都度、私も「負けじ!!」と煙草に火を点けるが、『もしやJTがスポンサー?』と、思える程に、ここの出演者は、みんなヘビースモーカー。

煙草に限らず、昔の映画やテレビドラマから、その時代の生活シーンが偲ばれる。
当時は一応、トレンディ・ドラマであった筈なのに、公衆電話のシーンが出て来ると、『そうそう、この時代は未だ携帯電話がなかったのか。』と思ったりで、『ふむ、この楽しみ方は、若い頃には出来なかったわい。』と、重ねた歳月を愛おしく思う。

そう、無駄に歳を食った訳でもない、である。

歳と言えば、最近、ようやく[アラカン]なる単語の意味に気付いた。
[アラフォー]と同様、この「カン」は還暦の「環」?
うーん、思い違いなら、ご容赦あれ。
私の場合、未だ還暦ではないが、「アラウンド」であることには変わりない。

最近、歳の話になると、「僕は180歳だよ。」と言う事にしている。

【煙草年齢】なる単語があるのかどうかは知らないが、
20歳で煙草を吸い始め、一日に一箱(20本)の計算で私の年齢を推し量れば、一日4箱の私は、160年に渡って一日一箱を吸い続けたことになり、だから「20歳+160歳=180歳」。

煙草は害だと言われているが、なんと、私は180年も生きている。
どうよ!!

JTさんから優良顧客表彰、
市町村からは煙草税高額納税者表彰、して貰いたいね。
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FM滋賀

大津市の「FM滋賀」へ行き、スポット・コマーシャルの収録に立ち会った。

私の立場はスポンサー。

だから、威張ったもんで、
「BGMはどんな曲がお望みでしょうか?」とか、
「声の調子は、これで宜しいですか?」と、色々とお伺いを立てられる。

別に、立ち会う必要はないのだが、私が行けば、広告代理店の担当者も出ない訳にはいかず、全員が収録室で一緒に仕事をするのだから、良くなることはあっては、マイナスにはならない。

それに私の場合、スポンサーでありながら、コピーライターも兼ねているので、「うーん、ここは削除して、コレにして貰おう。」と土壇場での書き換えもし、
「文中の【ふとんのワタセ】【お布団の打ち直し】【羽毛布団のリフォーム】と、【エコライフ】は、強調して読み上げて下さい。」と、女子アナさんに注文をつける。

女子アナ「羽毛布団の布団は、フトンですか? それともブトンですか?」
私「羽毛フトンでお願いします。
 しかし、あんたは、やっぱりプロやねー。声が綺麗やし、滑舌(かつぜつ)が良いわ。」と、褒めることも忘れない。

と色々とあって、出来上がりは上上かと、まあー、納得している。

20秒のスポットCMと、60秒の番組内でのCMの2本立てで、7月からの一か月に30回程度を流す。
目からのチラシ20万部と耳からのラジオで、ささやかながらも、一応、メディア・ミックスである。

帰る時、隣の部屋が騒がしく、
「なんや?」と聞けば、「TM・レボリューションの方が来たんです。」との返事。
「あの、西川君も来てますよ。」と言われたが、覗かずに帰った。

この話をワタセ工場で話したところ、「サインを貰って欲しかったのに!!」と、文句を言われる。

「なんでやねん。、」である。

そうそう、今回の喋り出しは、
「創業明治6年、安土町のフトンのワタセでは、・・・・」と、した。

自治体名としての【安土町】を電波で流せるのも今年が最後か、と思うと少し寂しいから、「今の内に!!」なのだ。

何時になるかは分からんが、中部圏が合併しての【安土市】を早く誕生させたいものである。
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