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落語「浜野矩随(のりゆき)」 (その1)

先日の日記では、小便、小便とばっかり、
いやー、なんともお下品な話しで、失礼申した。

と、いつもと少し違う口調の書き出しであるが、
実は一週間ほどの前に、テレビで三遊亭円楽師匠の落語「浜野矩随」を聞いてからと言うもの、落語にも円楽師匠にも痛く感銘を受け、話しっぷりまで変わってしまった。

この落語は、講談が元になっていて、一度聞けば、観客に止まらず話し手の円楽師匠までも涙ぐんでしまうと云う人情話。

感動は憧れに繋がるらしく、生来が気楽な私は、『ひょっとして、落語家になってみたいかも。』なんて、つい思ったり。

ちょうど、そんな翌日、
会社の2階で一応、仕事をしていると、店長が遅い目の昼食をとっていた。

私「そやそや、石原さん。この前、円楽さんの落語を聞いたんやが、なかなか良かったで。」
石原「あぁ、亡くなりはったんですよね。
   どんな、話やったんですか?」と聞かれた。

『ふむ。。』と、暫しは迷ったものの、ものの1秒もしない内に、「しからば話して進ぜ様。」と相成った。

この落語、きちんと語れば30分くらいだろうが、私の場合、そこそこキチンと聞いていたから、それなりに憶えている。
しかし、「まさか、人に話して聞かす。」とは思っていなかったから、人の名前とか、場所の名称などは、適当である。
それでも、聞き手の石原さんは、初めて聞く話だから、細かいところはいい加減でも問題はない、とお気楽な性分が幸いする。

そんな訳で、道具屋の若狭屋甚兵衛が越後屋徳兵衛になったり、うろ覚えの件(くだり)は即興に作文をしてしまう、と誠に不謹慎な「俄(にわ)か弟子」の私だが、肝心なのは、感動を伝え切れれば上等なのだ、と話し始めた。

「話しと言うものは、憶えてするもんじゃない。
 そこに、自分の過ごした人生を重ねながら語れば良い。」

てなコトで、ある時は、まるで自分が2代目の浜野矩随であったり、またある時は、道具屋の若狭屋甚兵衛であったりと、時に気迫を込め、時にしみじみと話を進めた。

円楽師匠の話は30分であったが、私の場合、約10分ほどで中盤の佳境に入った。
師匠と違って、お客は一人だから、反応は手に取る様に伝わる。

(下へ続く)
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落語「浜野矩随」 (その2)

(上からの続き)

『ふむふむ、なかなか良いぞ。』と、反応に気を良くした私の口から、更につらつらと言葉が出る。

すると、どうだ!!
なんと、ポロポロと大粒の涙を流して、石原が泣き出した。

<font size=5 color=blue> やったー!!</font>  である。

これに気をよく良くして、その後に店舗の社員、次の日には経理事務所の弊社担当者にも、落語をした。

今度、出会う機会があったなら、一席、如何かな。。
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ずっと小便ばかりして来た (その1)

まるで夜の冷え込みが嘘であったかの様な午後の陽気だ。

空が澄み
真っ白な雲がぽっかり浮かび
陽射しが頬に気持ちいい

これだけで、
少し幸せな気分になり、久々に日記を書きだしている。

今日の日記は、
「ひょっとして、俺はしょんべん小僧か?」である。

どう云うことかと言うと、実は私、とても水分を摂る性質で、
それがお茶でもコーヒーでも水でも牛乳でも何でも良くって、兎も角、一日、2ℓ以上を水分補給する。
これは、喫煙数に関係しているのかも、とも思うが、どうも小さい時からの習性だろうと考えられる。

昨夜も、一昨夜も、小便をしながら、
『あれっ? この情景って?
 たしか、ついさっきも同じコトをしていたような。、
 その間の出来事が何事でもなかったかの様に消え去り、
 ひょっとして、俺の時間は、小便をしてばっかりか?』

こう思うと、
1時間前に小便をしていた時の記憶や、
3時間ほど前に小便をしていた時の記憶や、
その前も、またその前も、
それは、昨日の記憶も一昨日の記憶も、そこに、昨年だったり、
ずっと大昔の記憶も一斉に呼び覚まされる。

あれは、高校生のころだったろうか、
当時は、お茶ばっかり飲んでいて、
それも、大き目の[きびしょう(急須)]と、
それでも足らないから魔法瓶に継ぎ足しのお湯も用意して、一応、勉強をしていた。

あの時も、
『あれっ、ついさっき、小便した筈なのに、またかよ?
 これじゃ俺、勉強より小便ばっかりしているようなもんや。』

あの時の家の間取りはと云うと、
2階の私の部屋から離れにある一階の便所までが遠くて、特に冬場などは寒くて、どうしても億劫になる。

それでは、『牛乳瓶の中へでも…』と試したところ、なんの、量が半端じゃなくって、とても入り切らず、かと言って、途中で止めるのは至難の業で往生した。

そこで今度は、悪いとは知りつつ、窓を開けて、「よし。。」であるが、
行く先は、隣の家の屋根で、『もしや、音でばれるかも知れない。』
そんな訳で、それは雨の日オンリーの隠し技とした。

(下へ続く)
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ずっと小便ばかりして来た (その2)

このところの私の夜中は、DVDの映画や、撮り置きのドラマに費やされている。
レコーダーだから、いつでも画像の一時停止が可能で、コマーシャルの時間を気にせずに、小便に行ける。
便所も部屋の直ぐ近くにある、とは言うものの、小便の間は、如何に興味のある映画であっても、瞬時に身体も気分も小便が専らとなる。

大抵の場合、便所は暖房もなく冷え切っている。
しかし、たとえ風呂や調理場は無くとも便所のない家なく、便所の存在感は偉大だ。

人は誰しも、小便をしている最中は、小便に集中する。

新聞を読みながらの大便とは違い、また的を外してはいけないから、それなりに集中力が要求される。
更には男の場合は尿道が女性よりも長いからか、尿道がはち切れんばかりに膨らみ、そして通過する時には、アノ時に近い刺激が伴う。

食ったり寝たりも快感だが、排泄の快感こそが至福と言えよう。
それが証拠に、食ったり寝たりは、多少の時間は我慢できるが、小便は堪えられない。

だから私は、
「そうだ!!
 俺は人生を通して、ずっと小便ばかりして来たのだ!!」と、なる。
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感謝!! 10万アクセス。

2001年8月から始めた「さるさる日記」であるが、昨日10万アクセスを達成できた。

鳩山総理の所信演説で、以前は【誰もが誰もを知っている社会】であったが、そうした【絆(きずな)】が崩壊した現代社会にあって、時計を逆回転させることは困難であるが、しかし、【誰かが誰かを知っている社会】を意識的に構築させる必要があろう、と云う様な趣旨を述べられていた。

私ごとに置き換えるなら、まさに「この日記」が、その様な絆である。
改めて、日記の友人に謝意を伝えたいと共に、これからも宜しくお付き合い願いたい。

http://www.youtube.com/watch?v=EAdUIDkuwdg&feature=fvw

意図的に構築と書いたが、それには、やはりそれなりの努力が必要となる。
鳩山総理の言葉を引用すると、以下である。
>国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ、社会の「きずな」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。

地縁・血縁が主体だった旧来の共同体に代わる新しい共同体の構築に付いて、ネット以外にも色々と思い当たる。

会社での人間関係もそうであるが、例えば昨夜、東近江青年会議所(旧能登川青年会議所)の歴代理事長会に出席し、旧交をを温めたのであるが、彼等とは30年来の付き合いだから、年齢を差し置いてタメ口を利ける程に絆は大層に強く、30年来の付き合いとなる「安土塾」もまた、掛け替えのない絆である。
また20年の付き合いとなるところの滋賀県環境生協も、本年、新たに「NPO法人蒼い琵琶湖」となり、まだまだ付き合いが続きそうだ。

少し趣が違うが、4年前から始めたところの「安土っ子フェスティバル」は、小学校の生徒と地域の大人との交流を目指したイベントである。
今週の土曜日に「第5回安土っ子フェスティバル」が開催される予定であったが、生憎のインフルエンザで、当校でも学年閉鎖まで出る始末で、残念ながら昨日、中止となってしまった。

学生時代に、「果たして人は個的な存在か? 類的な存在か?」と、よく論じ合ったものだが、両者は多分に影響し合う存在で、どちらとも言える共存関係であるようだ。
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