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年の瀬に。 [みのむしふとん]

『今年も残り僅か、かぁ~』と、そんな時期になってしまった。

今年も、あれこれ、忙しいと言えば忙しく、それなりに一年を生きた!!、って、そんな感想かな。

会社の方は、不景気の中、みんな頑張って呉れたから、前年より2割近く増収増益した。
そうそう、特許出願中であった「みのむしふとん」も、クリスマスの日に、認可され、喜んでいる。

8月に始めた【安土経済人塾】も、5回を終え、1月、2月の担当講師も決めた。
当初、回を追う毎に、参加人員が減るのでは?、との心配もあったが、増える傾向にある。
お蔭で、これまで、呑みに行ったり、を殆どしなかった私も、そんな機会が随分と増えた。
これも、「まあー、よし」としている。

さて、1月に、禁パチして以来、11月まで、ずっと通したものの、その切っ掛けとなった友人の息子が止めていない、と言う事もあり、また暇も出来たことだからと、12月から禁パチを解いた。

そうしたところ、「なんとまぁー」、今月、90万円も勝ってしまった。
勿論、ふらっと夕方に行って、空いてる台に座るのだが、直ぐに掛かって、連ちゃんする。この前なんか、ずっと出っ放しで、4時間も打つ破目になり、結果、換金したら18万とか、儲かる時は、こんなもんだ。

と、ここまで書いて、「文字数を数える」を叩けば、550字強。
だから、もう少し、続ける。

1週間程前だろうか、
あまりにも日記を更新していない事を、深夜、布団の中で思い出し、真っ暗な状態で、『ぶつぶつ…』と、文を思い浮かべた。

それは、こんな感じ、だった。

そろそろ、日記を書かなくっちゃ
うーん、何にしようか?

そうだ!!
【僕は、】から、始まる日記を書こう!!
と、思い付いた。

うーん、僕は…、
に、続くのは、
僕は、何処から来て、何処へ行くのか?
もしくは、
僕は、誰
他には、
僕はこれまで何をして、何をしなく
これから何をしたくて 何をしたくないのか?

もっと、色々とあるだろうが…
と、ここまで考えた時あたりから、
『そもそも、僕は で始まるフレーズ自体が虚しいのではないだろうか?』
と、ややこしい夢想の世界に入り込んだ。

暗闇での思考は、恐ろしい。
単語も、イメージも、虚ろになり、暗闇に溶けてしまう。

と、まあー、これは布団の中での話で、今は、深夜とは云え、明るい事務所だから、至って、元気。

では
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『琵琶湖汚染と水俣病事件』 (その1)

いきなり「場違い」みたいなタイトルだが、昨日、友人の藤井さん(前環境生協理事長)に誘われ、当セミナーに出席した。

プログラムは、水俣病患者の生駒さんと佐藤さん、水俣病被害者互助会事務局長の谷さんと、細谷卓爾氏と藤井さんの5名によるお話。

随分と風化した感のある水俣なのに、どうして今更、「水俣」なのか?
と、思うところだが、被害者を前にすると、そうも言っておられない。

新聞や雑誌で読んだ程度の知識しかない私は、それなりに考えさせられる点があり、また、その後の懇親会で疑問な点を幾つか質問し、私なりに得心出来たものだから、久々に日記に向かう事にした。

水俣病事件と琵琶湖汚染は、同じ汚染であるが、その汚染を引き起こしたポイント・ソースに違いがある。前者は、特定企業の日本窒素肥料株式会社であり、後者の場合は、滋賀県民の全てとなる。

この日本窒素肥料株式会社(日窒)であるが、私は、水俣病以外には聞く事も無い故に、これまで『どんな会社なん?』って、思ってきた。
文字通りだと、肥料の会社だから、小さそう、と思うところだが、当時は旧財閥に匹敵するほどの大会社であり、朝鮮併合の際には、朝鮮にもダム建設をし、朝鮮窒素肥料株式会社を設立すると言う、言うなれば、軍閥的な会社であった。子会社も多数あり、現在の旭化成や積水化学、積水ハウスもその傘下である。

だから、当時の日窒の新入社員は帝大出身者に限定されており、細谷氏も東大から1958年に入社し、滋賀県守山市の「日窒アセテート(現旭化成)」に配属された。
彼は、当然のことながら管理職を嘱望され、入社した訳だが、そこで直面したのが、水俣病事件だ。

私「当時は、どう思われたんですか?組合ではなく管理職になって解決する道は、ありませんでしたか?」
細谷氏「それは、困ったよ。
しかし、管理職になって解決と云うのは、無理だろうね。」
と、以来53年間、労働組合、水俣、コープ滋賀、守山、びわ湖に向き合う日々を通されている。

さて、水俣病事件であるが、水俣とチッソには100年史ある。
1906年 鹿児島県大口市に曾木発電所が建設され、翌年、水俣にカーバイト工場が建設された。
これと同様に、1926年 朝鮮水電株式会社設立(赴戦江ダム建設)と、1927年 朝鮮窒素肥料株式会社設立、興南工場建設

((下へ続く))
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『琵琶湖汚染と水俣病事件』 (その2)

(上からの続き)

1932年 アセトアルデヒド工場操業  水銀流出開始

1952年 魚介類、猫、鳥などへの影響顕在化・急性劇症の患者発生

1957年 水俣保険所による公式認定 (32年~57年まで、その間25年。)

★ 1959年 アセトアルデヒド工場排水が水俣湾側から水俣河口へ変更された。
    (これにより、水俣病は二つに広がる)

★ 1959年  水俣病社会問題化
       厚生省・食品衛生調査会水俣部会の解散・調査の打ち切り(通産省からも要請か?)

1965年 新潟にも水俣病が確認された。

1968年 公害認定(チッソが原因企業であることを確認)

勿論、会社としても公害を起こそうとした訳ではないだろうが、不幸にも、また無知にも、事件が起こった場合、それを無きものにしようとしたり、隠すのでは、被害が拡大するばかりである。
生態系全体への影響もあり、不知火海沿岸住民 20万人。魚介類の販売された範囲は、200~300万人に及ぶ。

検証と教訓は、今後に生かさねばならない。
その立場は、三通りで、
(1)被害者の検証と教訓 (2)加害者の検証と教訓 (3) 国の検証と教訓

被害者のソレは、なされているが、加害者と国のソレは、未だに成されていないのが実情だ。
国に付いては、政権が自民党から民主党に代わって、期待したものの、期待はずれと、落胆しておられた。

多くの読者は、私と同様に、水俣は過去のもの、と思い勝ちだが、検証することなく、風化させてはいけないと思う。

以上、水俣病事件のレポートであるが、琵琶湖汚染の場合、最初に書いた様に、その加害者は県民の一人一人である。

綺麗な琵琶湖を取り戻す為には、県民の一人一人が、それを自分たちの問題と捉えて、自分たちの手でやる、ことが地方自治なんだろうと思う。

地方自治は、それは、国や県の議員や職員が決定していた案件を、単に市町村の議員や職員に決定権を移すことではない。もしも現状で、地方議員と職員に丸投げとならば、そら恐ろしい感もある。

人任せでは、いけない。

更に言うならば、何も、汚染だけではない。
自らの地域を【悪くしない】だけではなく、【良くしたい】との思いを、住民たちが自らの手で、形にするコトこそが、地方自治である。
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第5回安土っ子フェスティバル (その1)

一か月、日記を書かなかったが、相変わらず元気である。

<Img Src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/284.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20"> 写真は、「第5回安土っ子フェスティバル」。
昨年は、インフルエンザの猛威の為、中止となったから、久々の感じがする。

生憎、デジカメを忘れた為、携帯電話の写真だから、撮った枚数も少なく、残念ながら一部しか紹介出来ない。

体育館の中をはじめ校庭や全面芝生の運動場の方々で、地域の大人と子供たちが、自由に触れ合った。

もう6年前になるが、開催するに当たって、私には一つの「夢」があった。
600名を超える安土小学校の児童に対して50人に満たない先生ではなくて、同じ数だけの先生がいたら、どんなにか良いのに。

私の小さい頃、近所の家でご飯をよばれたり、お風呂に入ったり、泊まったり等が、ごく普通であったりと、地域ぐるみの教育力が健全であった。
もちろん、ただ昔を懐かしんでいても仕方なく、そうした気持ちが皆から失せてしまった訳でもない。

そんな訳で、『ただ、切っ掛けが無いだけなのでは、なかろうか?』と思うに至った。

こうした事は、強制しては駄目で、大人も子供、自由参加が基本。
「楽しいから、参加する、参加した。」が望ましい。
だから、学校の休みの日に開催して、登校も自由なら出欠もとらない。
開催時間は決めてあるものの、好きな時に来て、好きな時に帰えれば良い。

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/289.gif>

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/290.gif>

それでも、児童の7割近くの参加があったのだろうか、毎回、大変な賑わいである。

大人に付いては、それぞれが、得意な分野で、思い思いのコーナーを設けている。
30を超えるイベントが、アチコチで同時開催されるから、とても全部は見て回れない。
それでも、子どもは、ちゃんと、それぞれの居場所を見付けて、楽しく遊ぶ。
それは、先生が多いから可能となる。

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/288.gif>
(↑ 水鉄砲)

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/287.gif>

(下へ続く)
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第5回安土っ子フェスティバル (その2)

(上からの続き)

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/286.gif>
(手前は鳩笛つくり)

<img src=http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/285.gif>
(作った本箱は貰って帰れる)

お茶会、フリーマーケット、大縄跳びとか、鳩笛づくり、赤ちゃんの子育て教室とか、色んなイベントがあり、外では、揚げパン、フランフルト、ポンライスの実演に、環境教室とか、竹トンボづくり。芝生ではグランドゴルフ等々と盛り沢山。

当初は、色々と気を揉んだが、もうここまで定着すれば、大丈夫。

日々、「あっ、あの時のおっちゃんや。」とか、町内で会話が広がれば嬉しい。

当日、校長先生、「運動場が全面芝生化になって以来、休み時間に運動場へ出る子どもが増えましたよ。」とのこと。
気持ち良いから、自然と足が向くらしい。 目出度し。

今後は、芝生の管理をして貰えるボランティア・チームを作る必要がある。
水を遣り、肥料を入れ、雑草を除去し、芝生の手入れとと、作業は大変だが、安土の場合、人集めの心配はなさそうだと私は思う。

子ども達の素顔があれば、大人も笑顔になれるのだ。
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