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250万円で、一軒家が建つって!!

それも、6畳間が4つと水屋付きらしい。いきなり聞けば、安売りのチラシみたいで、なんか裏がありそうな感じがするが、実はそうではない。
本格的な木造建築で、聞けば聞くほど人間の基本に迫る、至って真面目な話だった。
講演者の清水陽介さんは大工。25歳で大工の親方に弟子入りし、現在は「どっぽ村」の代表。

昨日、NPO法人「蒼いびわ湖」の総代会で話を聴いた。
 NPO法人「蒼いびわ湖」とは、2年前に滋賀県環境生活協同組合から事業継承した組織であり、私は設立当初から23年間に渡り理事を務めている。

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良く読まれている記事

このブログには、アクセス解析なるツールが付いている。

『どれどれ?』と見れば、ブログの中で、「本日どの記事が沢山読まれたのか?」が分かる仕組みになっていて、『どんな記事なん?』と、ついつい読んでしまう。

一番多かったのが、「乾いた心」

そして、いつも一番ではないものの、毎日、2回とか1回、読まれているのが、「千人切りのJ その1」と「その2」だ。

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蕗(ふき)と葱(ねぎ)

食卓に蕗(ふき)があがった。

「へぇー、蕗・・・、懐かしいなぁ~ どこで買ったん?」と聞けば、「農家のおばさん。」と細君。

「そうかー、それは新鮮で良い。」と、私。 

安土には農家が沢山あって、おばさんが自転車に野菜を積んで売りに来られる。

採れたて野菜だから、シャクシャクと美味しい。

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枠、制限、規制に付いて。

さるさる日記からソネット・ブログに引っ越し、一番の変化は、字数制限が無くなった点である。

普通なら、制限なんぞ無い方が良いに決まっているのに、なぜか戸惑いを感じている自分が居て、『うーん、枠にはまるとは、怖いことよなぁ~。』と、独り、ブツブツ。

当ブログには、過去の記事数が表記されていて、1792とある。

まあー、10年も続ければ、これくらいの数にはなる。

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計画

団塊の世代だからと云って、歳を感じることは余りない。

仕事柄、定年もなく、病気も無縁で、40代や50代の頃と変わりなく過ごしているのだが、唯一、『うーん…』と、歳を感じさせられる時がある。

それは、何で、どんな時かと云うと、肉体的な異変ではない。歳と云えども未だ還暦を少し過ぎたばかりで、近眼も老眼もなく、腹も出ず、髪もあり、まだまだ健康体だ、なーんて見栄を張る気力も有している。

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福島原発の跡地利用について。

大震災から2か月が経過した現在もなお、原発事故の収束の見通しすら立っていない。

昨日は浜岡原発の一時操業停止が決定したものの、今後の日本が、如何にエネルギーを得て行くのか?に付いて、具体的な道筋がなんら示されない。
現状では、原発、化石燃料を使っての火力発電、水力発電が主流で、今後は太陽光、風力、地熱、バイオ等を利用してエネルギーを得る方策を模索することは、総理の発言を待たなくとも子供ですら言える。
政治家ならば、もっと現実に即した具体的な提案をして欲しいものだと、私は思う。

私が、提案したいのは、現在、立ち入り禁止区域になっている20キロ圏内の跡地利用だ。

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約束の死

ジュンが死んでしまった

約束だったかの様に
ゴールデン・ウイークを選んで死んだ

19歳を過ぎ、そろそろ20歳
本来なら、2月の寒さに耐えられない肉体だった

それでも、
「連休になったら子供たちが帰って来るから、頑張れ」

そんな励ましを理解したのだろうか
元気を取り戻し、昨日まで元気だった

連休の初めに絢太が帰り、そして戻り
その後、麻衣子が帰り、また戻り
最後にインドへ旅行していた雄太が帰って来て
ジュンは「ニャー」と 嬉しそうだった

明日、雄太が帰るから、
『ひょっとして、それまでに死ぬんじゃないだろうか…』
と一人 心配していたが、案の定 死んでしまった

昨夜から「ミルクを呉れ ニャー」もなく
風呂場で ひっそり蹲(うずくま)っていた

「よく頑張ったなぁ~」と撫でてやる
体は骨と皮ばかりに老いさらばえている

「可哀想に 」と撫でやると
か細いながらも「ごろごろ」と喉を鳴らした

これまでずっと
ジュンのウエイターを務めた私だが、もう催促されない

2009年12月15日の日記「私の朝はジュンに始まる」を懐かしく読み返した。

振り返ると、幼い時から ずっと犬や猫と一緒だった

こんな時 決まって思う
『これまで幾匹のペット君たちに別れを告げたんだろう』

ペット好きの人から色んな話を聞く

「いつか自分が死んだ時
 ペットが枕元まで迎えに来てくれるんだよ。」とか

「ペットって、飼い主の身代わりになったりも、するらしいよ。」とか

そう言えば私が肺気胸で入院した時、
犬君も大層な交通事故に遭い、入院していた

でも、こんなのは可哀想過ぎるよ
それを当込んでペットを飼うのは良くないと思う

命って、つくづく不思議だね

命が尽きるのは悲しい

それでも、なのか
だからこそ、なのか

命の煌めきは 美しく
命の輝きは 眩しい
そして命あることこそが 尊い

そう、思う 

========



これは、4月1日 びわこ新聞(中日新聞内)のコラム

湖川の街道

*写真をクリックすると拡大してご覧頂けます。

324.gif図は、安土城鳥瞰想像図である。

328.jpgこれは、大中の湖が干拓されるまでの航空写真であり、西の湖は今も残されている。

信長時代には、上図のように3方を内湖に囲まれていた。
下図の小中の湖(弁天内湖と伊庭内湖)の干拓事業は、昭和17年に着工され22年に竣工した。その後、大中の湖は昭和32年から10年かけて干拓地にされた。いずれも、戦後の食糧不足を解消せんが為であった。

【湖川の街道】と書いて、「うみの道」と読む。

現状の安土城下では、図の右下り外堀をはじめ、左の掘割(ほりわり)が、信長時代のままに残っている。

今回、紹介する【湖川(うみ)の街道(みち】は、安土城跡等の歴史スポットを水路を渡って循環すると言うプロジェクトである。


315.gifこれは今年のゴールデン・ウイークに撮った写真で、お客さんは4名から6名乗船でき、昔ながらに櫓を漕ぐ舟頭さんとガイドが同行する。

のどかな45分間の舟旅を満喫して、御代は一人800円。
私も同舟した。

317.gif
お客さんは、3世代のご家族で、大分県からこられたとのこと。
正面でガイドしているのが、高木敏弘君で、安土塾のメンバーだ。

10年近く前、高木君が、「僕が安土に残す死に土産(遺産)にするんだ。」と言っていたのを思い出す。

彼に説明させれると長くなるので、簡単に言うと、7年間続けている。
ボランティアを募り、堀の周りの清掃、ごみの除去からはじめ、舟を購入し、整備、舟の運行、そしてガイドの全てがボランティアで、その人数は、約30名。みんな、安土が大好きな人間ばかりだが、それを続けているのは高木君の執念とも思われる熱意だろう。

318.gif写真は、船頭の初古(しょこ)さん。

「櫓を漕ぐって、難しいの?」と聞けば、「やってみるかい」と返ってくる。
「どうして漕げるの?」と聞けば、小さい時の遊び道具だったらしい。
「団塊の世代までの農家では、一軒に一艘は田舟を有していて、田舟が空いたら、それを駆って、魚つかみとか水泳にと、びわ湖まで漕ぎ出していた。
だから、みんな櫓を漕げるんだよ。」ですって。

6人のお客さんが乗れば、船頭とガイドを入れれば8名。
そこに私が乗船したのだから、9名となり、「重いですか?」と聞けば、「なんの、昔は牛を乗せて運んでいたから、大丈夫ですよ。」

322.gif舟と舟が行き違う時には、この様に手を振ってご挨拶。
ピンクのスーツにタスキをかけているのは、ミス安土さんで、ガイドは商工会職員の小関君。




320.gif
恵比寿さんのような笑顔の千同さんは、実は商工会長の三村さん。
造園会社を経営しておられるから、堀の補修に際して、会社を挙げて随分とご奉仕頂いた。

みんな、安土が大好きなのだ。




321.gif舟が安土城跡の左側に進むと、百々(どど)橋をくぐる。
ここの景色は、見事なもの。

植物も綺麗だ。
前収入役の藤井さん、葦(よし)の群生を前にして、
「葦は魚の揺り篭です。」と、説明も振るっている。


316.gif赤い帽子か、藤井さん。

晴れた日には、水面にフナやミズスマシ、石垣には蛇、空には雲雀と、沢山の動物が出迎えて呉れる。



323.gif
外堀は、ご覧のように広い。
帰って来る舟、行く舟、外堀には4艘。



315.gif湖水にも色々あるが、びわ湖よりは西の湖の方が穏やかで、
西の湖よりも更に外堀は波一つない。

波動の様に、櫓から丸い波がゆっくりと流れる。
嫋(たお)やかとでも言うのでしょうか。

ここは、セ327.gifミナリヨ(神学校)跡で、イエズス会の宣教師たちによって安土に開設された。

信長は、キリスト教を保護し、セミナリヨの建設にあたって、安土城と同じ「青い瓦」を敷くことを許した。
神学校ではオルガンが奏でられ、日本で最初にオルガンの音が鳴り渡ったのは安土であり、これに因んで、文芸セミナリヨにはパイプオルガンが設置されている。

今は、このセミナリヨ跡までは舟が通っていないが、もう暫くしたら、ここへも来るだろうと思われる。