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森の獅子ある昼下がりの午睡 オープン [2001年8月]

森の獅子ある昼下がりの午睡 がオープンしました
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森の獅子ある昼下がりの午睡 [2001年8月]

野を駈け山を超え幾度かの冒険をしてきた

いくつかの街に住み
目眩く幻想を生き
己のやりたい様に生きてきた

10年ほど前だったろうか
私が森に住もうと思ったのは

森の日だまりで午睡をしている一頭の獅子
次なる冒険の夢を見ている
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遥か遠い日の記憶にない一日の出来事 [2001年8月]

数え年で三歳に満たないある日の出来事

八十歳を超えた曾祖母が 私をオブッテ母を迎えに行った
隣り町が母の実家である 離婚目前の両親であった

当時は車もバスもなく 曾祖母は田舎道を歩いた
背中にひ孫の私をぼして
片道小一時間の道のりを
老婆は一歩一歩、歩いた

彼女は明治を生き抜いた気骨逞しい女であった
背が高く背筋の伸びた女だった

当時の私の家族はと云えば 祖父 祖母は既になく
曾祖母、27歳の父親、21歳の父の妹、20歳の父の甥
そして私の5人

死期が近い事を悟った曾祖母の行動は
母を連れ戻す為であった

行きの道すがら未だ言葉も理解できない私に言った

心配するな
母さんキット帰って来るから

しかし母は帰らなかった

幼児とは云え、どんなにか重かったことだろう
実現しなかった思惑も さぞや無念で 辛かったであろう

随分と夜も更け、舗装も出来ていない田圃の田舎道
街灯ひとつ灯っていない
帰りの道のりは さぞや辛かったろう

しかし弱音を吐けない彼女だった

何も心配はない
お前は強く生きろ

自身の死期を悟りながらも
必死に私に言い聞かせたにちがいない

私が付いている泣くでない
男はメソメソするんじゃない

それからしばらくの後 曾祖母は死んだ

この話は私が大人になってから聞いた話である
記憶にない記憶である

しかし彼女のその時の声は
私の心の芯になってるようだ

三つ児の魂なのかもしれない
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初めての冒険 [2001年8月]

遥か遠い日の記憶にない一日の出来事
その日から私の冒険が始まった

この世は危険に満ち満ちている
気が付かない内に 突然 母のない子になってしまう

この世は危険に満ち満ちている
大好きだった 曾祖母も死んでしまった

一体 誰が決めたのだ
母のない子は不幸だなんて

勝手な思い込みはヤメテクレ
これからの冒険が不幸だなんて

人の不幸は 不幸であると思った時から始まる

おおばあさんの最期の冒険が
私の冒険のスタートになった

満ち満ちた危険に立ち向かう勇気が
彼女の最期の冒険を賭けての遺言だった

老婆から少年に 勇気が手渡された
言葉すら理解できない少年であったが
勇気だけは手にした

この世は危険に満ち満ちている
少年の冒険がスタートした
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押し手のいない乳母車 [2001年8月]

少年の冒険は押し手のいない乳母車から始まった

おおばあさんの生前は
黒塗りの乳母車に私を乗せて
自慢のように町中を押して歩いた

満年齢3歳にもならない時に
明治 大正 昭和 そして戦争を生き抜いた曾祖母は死んだ

門先に押し手のいない乳母車と私が残された

しかし世の中捨てたものじゃない
往来には近所のおばさん達がいた
おばさん達は曾祖母の死を知っていた

あとは私の愛敬如何に懸かっている
幼いマダムキラーの誕生だ

おばさん達は買い物がてらに連れ出した
たまには自宅に連れ帰りもした

私が成長してからも よく聞かされた
「あんたをお風呂に入れてあげたのよ」

幼児は泣けば要求が通る事を知っている
鼻を鳴らせば過保護な親は世話を焼く

しかし私の場合 そうはいかない
母のない子は自立心がある

この世は危険に満ち満ちている
幼い少年の冒険は乳母車に乗って始まった
日替わりのお抱え運転手付きだ
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たまには [2001年8月]

人を好きになることについて考えてみよう。

心理学によれば、確か、フロイト左派のフロムは書いていた。それは時として自由からの逃走。自由を一人で支えきれない愚か者の逃避行。
生命学からすれば、それは遺伝子から送られた脳細胞への高圧的な絶対命令。何億年を生き抜いた命が、更なる何億年を生き抜く為の儀式の前触れ。100年に満たない命の個人は、単なる遺伝子を継承する為の媒体にすぎない。
こんな風に書き始めると、恋のロマンチシズムはその成立が危うくなりそうだ。
貝が自分の殻に似せて穴を掘るように、人は、自分のキャパで恋をする。
だから、もし誰かを好きになったとしたら、胸を張って好きになれば良い。もしも自信のない自分がいたら、今からでも遅くはない、感性を磨き、知性に目覚めるチャンスと思うがいい。
お前の感性、知性、遺伝子、お前の全てが、彼女を求めているのだから。

人を好きになる入り口って何だろうか?
想像をはるかに超えて恋の入り口は広がっている。
それが単なる片思いであったとしても、しかし恋は恋だ。

恋って何だろう?
それは、その人がとても気になること
ふっと気が付くと、その人の事を考えている自分に出会ってしまう
夢中になっている自分に気が付く

ある昼下がりの午睡
獅子の鬣は若い女性に反応する
まどろんでいた細胞が目を醒ます
この日が以前からの約束の日であったかのように
森の獅子は起き上がり そして雄々しく吠える

昔こんな歌があったっけ
「時には母のない子の様に・・」
冗談じゃない
誰にも愛を告げられないなんて

この世は危険に満ち満ちている
そしてまた
この世は歓喜に満ち満ちている
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悪意や善意のいろいろなオバサン達 [2001年8月]

家は商家であった。そして小さな工場もあった。
父は次男坊であったが、兄が亡くなり家を継いだ。だから、その頃はまだ教師をしていた。

曾祖母が亡くなってからしばらくして新しい母が来た。その母も教師だった。私は先生と読んでいた。彼女の呼び名が「マーコ」。だから、私には「マーちゃん」と呼ぶように言われた。まだ幼かったから、それがママの意味であると教えれば、その内に本当の母親だと思ってくれればと期待したのだろうか。

歩けるようになった私は、近所のオバサン達の家を次々と訪問するようになっていた。乳母車を押してくれたおばさん達である。

幼稚園ともなると、充分に言葉も地域の人たちの事も理解できるようになるのだ。いろいろな人がいる。オバサンと言っても色々なのだと解ってくる。

「本当のお母さんじゃないから、さみしい?」
私の反応を覗き込みながら興味津々の質問をする。
「エッ!そうなんですか? 家に帰って聞いてこよう」
思いっきりシラバックレテ、オバサンの悪意に楯突いた。
オバサンが「チエッ」っと目そらすのを見て、勝ち戦を感じたものだ。

この時のオバサンの意地悪な目と困った顔は、今でも思い出せるのだから不思議だ。ひょっとして、背中に曾祖母をぼしていたのかも知れない。
「子供やと思って、なめたらアカンデ!」

子供だったが
優しさと同情の区別に付いては特に敏感であった
優しさには愛情が感じられた、そして同情には悪意があった

子供心に、同情には負けないぞと誓っていた。
しかし愛情ある優しさには、まるで蜜蜂のように敏感だった。

この世は善意と悪意に満ち満ちている

こうして私の大好きな一人のオバサンに辿り着いた。名前は平岩さん。
平岩さんの話は、神聖な気持ちで明日一から書こう。
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今宵 獅子は冒険にでる [2001年8月]

獅子は森の中で風の囁きを聞いている
風は様々な声を運んでくる

森の色彩はシャガールなのだ
シャガールが好きとはあまり公表はしない
少し気恥ずかしいからだ
数年前ルーブルに行った時ポスターを買ってきた
その時も他のポスターに挟んで気恥ずかしく買った憶えがある

シャガールの世界
今日と明日にもう一日別の日があればそれが彼の世界
昨日と今日の間にもう一日別の日があればそれが彼の世界
見えるようで見たことのない色彩
いつか見たようで一度も見た事のない色彩
懐かしいようで しかし 驚いてしまう色彩

いつか私が
今日と明日の間にある不思議な一日を生きられたなら
シャガールの世界で呼吸できるのだろうか
そんな思いで森の獅子の風景はシャガールの世界を想定している

森の日だまりで午睡をしている一頭の獅子
鬣の一本一本で風を感じている

風が歌を運んでくる
雨の詩や仕事の息遣い そして夢や希望
いつしか獅子は風の彼方が気になりだした
風の息遣い  風の体温  風の肌

今宵 獅子の冒険が始まる
風の源流にむかって千里を走る
シャガールの森を出て生身の現実を突っ走る
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只今 夢中です [2001年8月]

その① 仕事のこと

小さな会社だが、社長。新商品を昨年開発し、中小企業創造的事業推進活動法の認定企業を取得した。特許申請、意匠登録、商標登録。2000年度ベンチャービジネスプランコンペ滋賀で優秀賞を受賞。当事業の立上げの為6000万円の融資を受ける。既存の借金を併せれば1.6億円が肩に重い。
新しい価値創造に果敢に挑戦しなければ明日はない。とにかく、やり遂げる。
http://www.watase.co.jp/

その② 社会のボランティア

母校の小学校が本年100周年だ。
それ程高齢ではないが、同窓会長と実行委員長。
今秋の11月11日に集いのイベントを実施。全てを手づくり。同窓生1万余名への参加参画を呼びかけ、個人やグループの自由で様々な発表、パフォーマンスを積み上げて事業とする。小学校を中心とした今後のまちづくりの方向性を見つけたい。
「そんなイベント出来れば理想だけれど、実際は・・・だから・・・」等と心配する意見が続出したが、「理想を追わずして、一体何を追いかけるのですか」「人を信じる事から始めよう」と企画していよいよ正念場。

環境生活協同組合
日本に未だ一つしかない環境の生協です。環境保全型社会システムづくりを目指している(副理事長)。http://www.biwa.ne.jp/~econavi/

安土塾
地域活性化の研究グループ。はや設立24年目になる。

その③ 将来の夢

60歳位までに取り掛かっている事業を軌道に乗せ、(仮称)「子供の家」を建設する。交通孤児など、両親のない子供たちの親になる。気心の知れた友達も集め、親グループを形成する。

その④ 森の獅子

在野を意味する森が好き
森は上意下達のお上の逆意

勝手と云われるほどの自由が好き
頑張っている人が好き
怠けている自分も好き

夢が好き 希望が好き 人が好き
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時間って何だろう [2001年8月]

カミューが時間についてこんな事を書いていた

時間を長く感じられる方法
見る訳でもないのに、長い列のできた映画館のチケット売り場にならぶ
自分の順番がきたらチケットを買わずにまた最後列にならぶ

こんな事を考えるカミューが好きだ
私も時間に付いて考えてみる

時間は層を成している 大気圏のように 地層のように 水の流れのように

風に触れて私の肌は時間を感じる ある時 強風 ある時 そよ風
雨に濡れて私の肌は時間を感じる 髪に 頬に 肩に
雲を見上げると時間が私の目に止まる
ゆったりと大きな白い塊の時間

野道を歩いてその足の感触に 大地の時間を感じる
遥か太古から続いているであろう 重く深い時間
星を見て 遠い距離に思いを馳せる
地球の時間すら儚くなってしまいそうだ

過去を思う時 過去は今此処にある
未来を思う時 未来はすぐ其処にある

考えてしまう
今のこの瞬間の時間はどこにあるのだろうかと

瞳の奇麗な女の子を思う時
時間は僕の鼓動になる
切ない時間に僕は支配されてしまう

静かな湖のような 怠惰な時間を過ごすのも好きだ
滝の様な 激しい時間を過ごすのも好きだ

人は宇宙から 孤独にも たった一人に 引き裂かれている

宇宙には私達の想像を遥かに超えたトテツモナイ時間が
大きく渦巻いているのかもしれない
私達がこれまで見た事もないような質量で 情景で 色彩で 音楽で

感性こそが 辛うじて時間を切り取り 必死に私を この世界に繋ぎ止める

そういえば学生時代によく口にした言葉があった それは感性の開放

思えば様々が障害が人間の感性を束縛している
私の様なヒネクレ者は哲学をしないと素直になれないのか
無邪気な心の声を聞けば良いだけなのかもしれない

女を愛する男は幸福である
宇宙の時間を感じ取れるからだ
男を愛する女も幸福であろうと思う
二人して神の化身の時間を過ごせるからだ
愛し合う至福の時間は 神の存在を唯一信じられる時だ

感性が 必死になって2人を繋ぎ遭わせようとする時間がいとおしい

ポケットの中の150円の時間
お茶のペットボトルを買えるのだ
もしもこのペットボトルを君が片思いの彼女と飲めるとしたら
どんなに素敵な150円の時間だろう
日本銀行の金庫に眠っている膨大な紙幣の量に勝るのだ

時間の質量 時間の色彩 時間の感触 時間の思念

私達は時間と云う命を生きている
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小学校100周年の記念事業 [2001年8月]

仕事以外にも仕事が多い。
まぁいいか!と引き受けてしまう。

昨年から準備しているのが、母校の100周年だ。
同窓会長と100周年の実行委員長を例によって引き受けてしまった。
本当は今、「みのむしふとん」の立上げで忙しいのだけれど、ブチブチ言っているのが嫌な性分だから引き受けた。

やるからには、良いものをしたい。片手間でお茶を濁すような事はしたくない。
森の獅子だから、「森の小学校」の100周年にしょうと思う。

通例だと、劇団やオーケストラーを招待して、それに式典をくっ付ける。赤いリボンを付けた来賓のつまらない挨拶を、退屈している小学生に無理矢理聞かせる。
こんな100周年など真っ平御免だ。

1万人を超える卒業生を送り出してきた小学校である。
これはもう、一つの森だ。大きな森だ。
1万人を超える息遣いが聞こえる100周年にしたい。
いろいろな個性の同窓生がいる。
いろいろな仕事に関わっている同窓生がいる。
個人として、また、グループを組んで、それぞれの100周年を自発的に表現して欲しい。それらの全てが手作りで、その手作りを重ねあわせて、総体を持ってイベントにする。学校全体を開放して、100年のお礼とこれからの夢を、1万人が好き勝手に表現できれば最高だ。

こんなビジョンを当初に話した。当然いろんな意見があった。
そんな事が出来るのだろうか?
皆が主役などと言うけど、果たして「する」人っているのだろうか?
種種雑多で混沌として収集が付かなくなってしまうのでは?
もし出来たとしても、大変やで。
それは単に理想や、現実はなかなかそうはいかんで。

「理想を追いかけないで、一体何を追いかけるのですか?」
「人を信じないで、一体何を信じろというのですか?」
こうして、手作りの100周年を始めた。

100周年がらみで、今日は2人の訪問を受けた。
一人は銀行の支店長。イベントは人出の関係で難しい、募金でどうだろうかと。
休日出勤、他行情況等々理由らしい。半分公務員の体質が未だ残っている。

1人は、小学校周辺の地区の方。当日に地区全員で、100年の歴史を振り返れるような昔の服装を着て、昔の歌や劇をされるようだ。そして、フィナーレには、江州音頭も企画されているらしい。

世の中捨てたものじゃない。沢山のオファーがある。にぎやかになりそうだ。

森は誰のものでもない。私達の森なのだ。
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たった一つのコンプレックス [2001年8月]

むかし、学園祭の心理学研究会でテストをした
あなたってコンプレックスの少ない人ねと言われた
わたしはコンプレックスの少ない人らしい

私にはたった一つのコンプレックスがある
幼い時から 誰にも気付かれなかった たった一つのコンプレックス

私は母を知らない

それは
だだっ広い宇宙と小さな自分を繋ぎ止めるものがない不安感
それは
たとえ泣き出したとしても誰も迎えに来てくれない恐怖感

この不安を前にすれば
この恐怖を前にすれば
種々のコンプレックスは霧散する

たった一つのコンプレックス
それは幼い私にとっての大きなコンプレックス

しかし私は、小さいながらも一歩たりと退かなかった
いや、一歩が引けなかったのかも知れない 退けば負ける

そして
やせ我慢かもしれないが 私は知っていた
それは、感付いていたと云うのが正しいかも知れない

母がいても いなくても
寂しいのは皆一緒だと云う事を
母がいる子は ただ気付かないだけなんだ

少年は幼いながらも 自分の足で歩くことを決意する
泣いたってだめなんだ
寂しいのは 実は、皆、同じなんだ

自分の足で歩き出した時
そして前を向いて歩いた時
必ず出会える 大きな愛に
必ず気付ける 神のような大きな存在に

人より 少し大きな寂しさを見つけたら
人より 大きな優しさを持てるに違いない

人より 少し大きな不安に陥ったなら
その分だけ 人に大きな安心を約束できる

母のない子に出会ったら 俺は言ってやろう
「安心しな おまえは神に守られているんだから」
「安心しな お前には俺がついている」

それが私の生きる意味一つだと思える

もしもあなたが 街で 寂しげな目の子供に出会っても
哀れみや同情はかけないことだ それは必ず見透かされる
もしもあなたが どこかで 我慢している眉毛の子供に出会ったら
優しい笑顔をかけて欲しい それで充分なのだ

コンプレックスから価値が生まれるとは思わない
しかし屈服しないで自立した時 新しい世界が見えてくる

私の家から5軒ほど離れた向こうに、平岩さんと云う名前のおばさんが住んでおられた。
私が小学校高学年の頃引っ越されたのだが、今思うと彼女は私の神さまだった。
平岩さんの話は、また気分の良い夜にでも落ち着いて書こう。
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ネットの世界 [2001年8月]

夜中に目をフッと覚まして寂しいなって思ってるそこの君!
私はおきてるから!寂しくないよ!(笑)

上記の文は私のではない

偶然見つけて ニマリとしてしまったネットの中のメッセージなのだ

別に ふと目を醒ました訳でも 寂しい訳でもない
ただ メッセージの送り手に思わずニマリとしてしまった

俺も書いてみようかと思わせるのに充分なニマリだった

そんな訳で 打ち始めた日記
果たして いつまで続くのやら
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あの頃俺は 地獄のような 天国のような自由・・ [2001年8月]

学生の頃俺は、よくジャズ喫茶に通った。

武蔵野の学生寮を夜の10時に出て、高円寺のサンジェルマンへ行った。
だみ声で丸坊主のマスター、仏文専攻のサブマスター、タバコの煙が充満した店内はさして大きくはなかったが、薄暗くて古い小汚さに、妙な落ち着きを憶えた。俺は長髪で、いつもGパンとTシャツだった。客と言えば男ばかりで、知らない中にも不思議な共感が在るように思えた、そんな時代であった。
そう云えば、奇麗な女の子がコーヒーを運んでいた。勿論、一言も話した事はない。そんな事はどうでもよく、そんな野暮ではなかった。

たしか1時が閉店で、その後は南口の As Soon Asで朝までまたジャズを聞きながら本を読んだ。暗い照明で本を読んで、よくも目が悪くならなかったものだ。
毒気のあるロートレアモンの「マルドロールの歌」が好きだった。彼の様にと詩を書いてみたが、あまりの下手さに丸めて捨てた。

コルトレーンの太い大きなサックスの音、ソニーロリンズの豊かな音、キースジャレットの透明なピアノの旋律、そしてバードが。タバコとコーヒーと本とジャズ、長く深い瞑想が時間を色づかせた。

あの頃俺は、走り回っていたような気がする。ジャズが、感性が、論理が、風のように俺に向かってくる。暗闇の中で真っ赤な目を見開いて、地獄から地獄を走り回った。

あの頃俺は、何も欲しくはなかった。
ただ、生きる意味だけが空気のように必要だった。

焼き鳥屋を始めたのもあの頃だ。
早稲田と一橋の学生6人で、ICUの近くの絵描きの庭を借り、焼き鳥屋を建てた。金がなかったから全てが手作り。ナマコンも処分前なら無料で貰えた。慣れない大工仕事もした。

俺達はここを大学としよう。そして、ここで食い扶持を稼ごう。
あの頃俺達は、何も欲しいものはなかった。金も、大学も、卒業証書も、車も、小奇麗な服も、女の子も、何も欲しくはなかった。
ただ生きる意味が空気のように必要だった。そんな俺達は、仲間だった。

あの頃俺は、地獄から地獄を 天国から天国を 走り回っていたような気がする。
何も欲しくはなかった 何も持ってはいなかった
ただあの頃俺の感性は、コルトレーンのサックスのように太く広がっていた。
あの頃俺の論理は、キースのピアノのように透明で鋭利だった。

あの頃俺は 地獄のような 天国のような自由を生きていた
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給料日 [2001年8月]

今日は給料日だ
最近は振り込みの為、明細書だけだが、顔を見て一人一人に持って回り、手渡しをしている。20人足らずの小さな会社だから、さほど手間ではない。喜ぶ顔がみたいのだ。

しかし不況が長い。この不景気が今後は当たり前になってしまうと思う。
同業、異業を問わず、倒産が続出している。この事態は、取引先や、友達にも及んでいる。かと言って、ただ深刻ぶっていても何も出来ない。全てを不況のせいにしている様では能がない。むしろ、バブルの時の方が異常であったと思う。

人間と同じように、社会もまた生きている。価値も変われば、ライフスタイルも変わる。これまでと同じ物を作り、同じ物を売っていては取り残されて当然だろう。
仕事も、新しい価値創造が問われる。
スマートに聞こえるだろうが、苦労が多い。新しいものは、結果として既存の古い価値を上回るものを提示しなければならない。しかも、リスクと2人3脚でだ。

そう云えば竹中平蔵氏が、こんな事を書いていた。イノベーションは大企業の部長などからは生まれにくい。むしろ、中小企業の社長からの方が生まれやすいと。
理由は、そこにリスクを張っているか、いないかの差異であるらしい。

「リスク」それは、恐ろしいほどの現実だ。しかし、恐れていては何も生まれない。何もしないで悔やむより、思う存分勝負しょうと頑張っている。結果を期待しない訳では勿論無いが、後の結果は運まかせだ。

このことは、なにも事業に限った事ではない。
今までも、好き好んで、先の見えない事ばかりを生きてきた。
怠け者のくせに、どうも、安定、安逸に我慢が出来ない性分だ。

自分の足で、最初の一歩を踏み出す時、それは勇気と決断。
また、踏み出さずには済まされない、性急な自己。
続いて、2歩、3歩、4歩、5歩と慎重に足を進める時の緊張感。
ぎりぎりの所で湧いて来るアイデアがある、見つけられるヒントがある。
そんな時、充実感が歓喜を伴って、殺気立つ。

給料を手渡す意味。
社員の仕事や生活を、ボスとして背負いきる覚悟を持たんが為だ。
うれしい顔に、勇気を貰う。

ボスの基本心情は、父性愛に近い。
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学生寮、そこは、容赦の無い・・・ [2001年8月]

湖国寮は武蔵野市にある。滋賀県の財団法人で、県内の学生が東京の大学に行ける様にと戦後に建てられた。

男ばかりの100人の学生。東京の大学ならカタログが出来る程揃っていた。

1室2名。大食堂。大浴場(同時に20名位、浴槽だけなら8名ほど)。テレビ室(当時テレビは高価だった)。麻雀室(本来は応接室だが、勝手に改造)。卓球台。洗濯室(6台ほど設置)
2食付きで月額7000円といたって安い(電気代、共役費含む)。

同じ釜の飯を食って同じ釜の風呂に入る。文字どおりの裸の付き合い。
右翼もいれば左翼もいた。偏差値90もいれば40もいた。裕福な奴に貧乏な奴。男前に、ぶ男。スポーツマンもいれば青瓢箪もいた。
しかし学校と違って試験が無い。通信簿も無ければ教師もいない。当然PTAもない。

ここはランダムな男100人の世界。

ここでは世間のあらゆる価値は通用しない。また、尊敬されない。
受験時代の偏差値は、もう通用しない。世間の価値が寧ろ裏返る世界だ。
いつまでも偏差値ボケをしている学生がいたとしたら、その根性の卑小さを思い知らされる。一流大学も三流大学も、そんなことを何時までもつべこべ言っているのが阿呆だと解ってくる。

美人には、時に思いやりに欠ける。
逆に、ブスは根性が曲がる事も偶にある。
パーツに拘ると、人としての真髄を、また全体を見失う。全体は単にパーツの集合体ではない。
建造物に喩えると、いくら部品に金をかけても、全体の「佇まい」が悪ければ住む気がしない。
「佇まい」の良い女、男は、なかなかお目にかかれない。

湖国寮、そこは世間の虚飾は一切通用しない男ばかり100人の生活の場だ。
逃げようたって逃げられない裸と裸の生活の場。嫌なら出て行くしかない。
パーツは一切通用しない。個人の全部が顕わになる。言葉の暴力、肉体の暴力なんでもありの男の世界。裸の個性と個性がぶつかる世界。
根性が、人間性が、挫折が、夢が、希望が、むき出しでぶつかり合った。

学生寮。そこは男の世界だった。
容赦の無い男の魅力の戦いの場だった。
容赦の無い人間の魅力の戦いの場だった。

極道と書いて、男を極めると読む。
僕は、こんな寮が好きだった。
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女子プロゴルファー島袋美幸さん [2001年8月]

友達の女子プロゴルファーの島袋 美幸さん。
昨日のヨネックスレディスオープンゴルフトーナメントで3位だった。2日目が一位だったから、少し残念だ。しかし、上がり調子である。

彼女と知り合ったきっかけは、彼女と共同生活している女性が我が社の社員だからである。共同生活といっても、年収に雲泥の差があるのだから、そうは云い難いのかもしれないが、お互いに前向きで明るい性格の、良い関係である。

彼女は沖縄出身で、隣り町に住んでいる。テディベアーを思わせる風貌である。
明るくて、さばさばしてて、常にプラス指向なのが気持ち良い。ウジウジと落ち込んでいる様では、到底プロの世界では通用しないのだろう。
勝負の世界に生きておられる方と話すと、参考になる事が多い。
本当は誰だって、毎日が真剣勝負の筈なのだが、気付かないのだ。

美幸さんの友達のご主人で、私と同い年の京都の人なのだが、これまで彼女がベスト10に入る度に「車のプラモデル」を作っては、プレゼントされてきた。これまでずっとだから、かなりの数なのだ。
今春の女子オープン準優勝の時も、大喜びして、金色の車を作られた。
作る彼も、送ってもらう彼女も、それは両方の楽しみであった。弊社の夕涼み会にもご夫婦で来られ、美幸さんと一緒にビールを飲んだ。

ところが、2ヶ月前に亡くなられた。51歳、早すぎる。
彼女の励みになっていた車のプラモデル。作りかけの車を奥さんが持ってこられた話を聞いた。多くの車は、遺品になってしまった。少し落ち込む話である。

今年の8月4日の夕涼み会は、彼の話題が多くでた。
同い年だからと言う事で、彼の楽しみを僕が引き継ぐことにした。

だから今回の3位のお祝いが、僕の初仕事になる。
彼は車だったから、僕は船にしょうと思っている。
今日は、何十年振りで、模型屋さんへ行く。

「大事な用事は、忙しい人間に頼め」私が良く言う台詞である。

暇な人間は、何もしない、また、出来ないから暇なのだ。だから、大事な用事は、忙しい人間に任さないととんでもない事になるのは自明の理なのだ。
だから何事も、忙しいからこそ、私はやり遂げられると自分に言い聞かせている。
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1950年生まれ 団塊の世代 [2001年8月]

1950年生まれ。僕達の時代は 日本の成長期だった

10才前後の子供の筋肉が、骨の成長に追いつかず軋んで痛む様な
思春期の若者の精神が、肉体とのアンバランスの苦しみの様な
そんな1970年前後の 僕たちは若者だった

僕達は 時代の軋む音を 歓びの中に 悲しみの中に 苦悩の中に 聞いていた
とんでもない力で社会は発展した
抱えられない大きな矛盾がごろごろしていた
ひとつひとつ確かめていられない時代の性急さに、 私達もまた、性急にそして多様に反応した

高校3年の時、安田講堂事件があった
大学受験は、東大、東京外大、東京教育大の受験が取り止めになった年である。東大入学生ゼロの年だ。

大学に入学しても ロックアウトが頻繁だった
ヘルメット姿の学生、角材、立て看板、アジ演説は、日常の光景だった
早稲田は法学部を除いて、革マルの拠点だった

68-71黒色テント 唐十朗率いる情況劇場の赤テント 早稲田小劇場
当時 アングラ劇団と呼ばれていた舞台は、若い熱気がムンムンしていた

「泣かないのか 泣かないのか 197×年のために」

「無の饒舌を 饒舌の死へ」

これらのアジテーションが懐かしい

1970年代 東京 そこが僕達の遊び場だった

1970年代 東京 そこが僕達が生きた場所だった
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啓と書いてハジメ その1 [2001年8月]

拝啓の啓でハジメと云います
湖国寮での同室の学生の第一声だった 2人1室なのだ
大学も 学部も同じだったから同室になったのだろう

生真面目で神妙な顔つきを見て、突然とんでもないアイデアが浮かんだ。不謹慎にも、言葉が口に出た。
「お前 ひょっとして・・カッパとかオニとか見た事ないやろ?」

案の定であった
「エッ ほんなん いよるの?」

「やっぱりなぁ お前は知らんやろうと思ったわ。動物園も行った事ないのやろ」

そして 間髪を入れずにタタミ掛けた。ここが勝負なのである。
「お前 ひょっとして・・・竜(リュウ)も知らんのと違うか?」

「・・・・・ウゥウン・。龍(タツ)は知ってる!?」

ここは、ぐっとヨロコビを押し殺して更に続ける
「ウソつけー。見た事もないくせに いい加減なことイウタラアカンでぇー」

「うぅうん、見たで」

「いつ、どこで見たんや?」

「・・雨の降った日に・・田圃の上の雲の中へ・・飛んで行きよったのを見た!」

うれしかった
バンザーイと僕の心は ハジメに悟られずに 大声で叫んでいた
その時「彼の脳裏を走っただろう龍を」僕も一緒に見ていたのだ

20才になっても、僕はそんなヤンチャガキだった
ハジメは、世間知らずのくそ真面目だった。高校生の頃 受験が目的の勉強を、あまりにも生真面目にやってきたのだろう。
ハジメは、ほとんど僕以外の学生とは話さなかった。人見知りが極端に強い。部屋には大勢の寮生が遊びに来るのだが、彼は話の中には入らない。別に嫌がっている訳ではなかったのであるが、一人でイヤホーンのラジオを聞いていた。皆が帰ってから、ポツリポツリと先ほどしていた会話に付いて質問をした。
ある日彼が、いつも僕の部屋(ハジメの部屋でもある)によく来ている友達の部屋に行った事があった。2時間ほどいたらしいが、やはり僕の部屋での様子と同じく、一言も話さなかったらしい。その日の内に この報告は来た。

不思議な奴だった
変わった彼の思いではまだまだある

今でも曇り空の田圃道を散歩する時には、ハジメの龍を僕はよく見る
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ハジメ その2 [2001年8月]

東京から田舎への帰り 新幹線で寮生数人と一緒に帰った
混んでいた為 席はバラバラであった
丁度僕の前がハジメだった

退屈して 僕は座席の頭部シートカバーを取って ハジメの頭に掛けてやった
すると、あろうことかハジメは、そのカバーを取るなりすぐさま前の座席の知らないオッサンの頭に掛けてしまった。そのオッサンは禿頭だった

ナニスルネー って顔でオッサンは立ち上がり、ハジメを睨み付けた

ハジメはと云えば、無表情にオッサンをただ見つめ返していた

このままでは オッサンの怒り出すのも時間の問題だ
やばい!と、仕方なく僕は立ち上がりオッサンに丁重に謝った

事が治まって、ハジメに聞いてみた

俺「なんでお前、あんなことしたんや?」
ハジメ「お前こそ、なんでしたんや?」
俺「おれはただ お前をからかっただけやんけ」
俺「なんでお前、あんなことしたんや?」
ハジメ「・・・・・・回ってきたと思った」
俺「・・・・・アホカ!そんなもん回ってくるか・・・」

またある日のこと 大学からの帰りハジメと出会い一緒に帰った。途中で、西早稲田の洋服屋へズボンを取りに寄った
その夜2時を過ぎていたのだが、寝る前になってハジメが僕に言った
「洋服屋の男の人が、アー、アイツガ辻カ、と言っていた」
どうも妙な言い方が気になった

「なんでその店員が俺の名前を知っているんや?」
「みんな辻の事は知っとるで」
話を進める内に、ハジメの言っている意味が解ってきた。彼の考えによると、僕のある行動が噂になり、東京中に広まっているというのだ。彼は冗談を言っている訳でなく真剣だった。冗談を言う奴ではない。そこで僕の噂の内容を聞いてみた。ハジメは僕が、しらばっくれていると言い張った。だから、もうこの話は止めようともいった。3時を過ぎていた。
それでも問いただした。どうも、僕がマスタベーションか何かをしたという噂らしい。
彼は冗談を言っていない

「アブナイ!」

「ハジメ、もしお前の言ってる事が正しければ、俺が狂っているのかもしれないな」

4時近くになると、まさかとも思われる不安もよぎる。思考も言語も不確実を呈する時間帯だった。

「どちらかがオカシイ」2者択一50%の確率が巾をきかした

この時ハジメは きれるように怒った

1年生の12月 ハジメは帰った

三鷹の駅まで送っていった

それっきり戻ってこなかった
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ハジメ その3 [2001年8月]

僕たちの部屋は最上階の5階だった
僕は窓を開けっ放しにしておくのが好きだった
ハジメは ある日 にこにこしてカーテンを買ってきた
いつもカーテンを閉めた 外から覗かれているが口癖だった
夜中に電熱器と片手鍋でよくラーメンを作った
暑いから窓を開けようとしても 彼は「見られてる」とカーテンを閉めた

僕が家庭教師を始めた時の事だった
高3と中2の兄弟に数学と英語を教えていた
しばらくするとハジメが中学生の参考書を買ってきた
俺「アレッ お前も 家庭教師を始めたのか?」
ハジメ「してはいないんだけど、その為の勉強をするんだ。中学のは忘れているかもしれないから」
つい最近まで受験勉強をしていたばかりと云うのに、考えられない行動だった

12月に田舎に帰ったきり 戻ってこなかった
入院したらしいと云う噂を聞いた

「辻が ハジメを狂わした」
寮生の流言になってしまった

それから5年ほどして 突然ハジメの親から夜中に電報が来た
「ハジメツイタラデンワセヨ」
その頃 僕は中野に住んでいた
電話をしたら、どうもアパートの住所を頼りに「辻に会ってくる」と出たらしい。病院の入退院の中で、どうも新興宗教に入り、その集会が関東であったらしく、そこを抜け出して僕のアパートへ向かったというのだ。
心配になって一晩中近くを探し回った。もう着く頃だというので、玄関に明かりを点け張り紙をして、探し回ったが見つからなかった。
夜が明けて7時頃だったろうか、チャイムを鳴らしてハジメが来た。
「今まで何しとったんや?探し回ったのに」
「夜中に起こすと悪いから、朝になるまで待っていたんや」
「一体何処で待ってたんや?」
「公演のベンチに腰掛けて待っていた」
相変わらずのハジメであった
宗教は無理矢理勧められて入っているとの事だった。だから抜け出してきたらしい。
体調は思わしくない様だった。一旦肥えると考えたら80kまで体重が増え、逆に痩せると考え出したら、50kまで痩せてしまうと言っていた。
精神と肉体の関係はそれほど緊密らしい
入退院を繰り返していると自分でも言っていた
「お前が悪くなったのは俺のせいになっているんだぞ」
とハジメに言ったら、「へっへっへ」と笑っていた
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