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精力絶倫男 (その2) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(下の精力絶倫男その1からご覧ください。以下も、記事の順番が逆になっているページがありますが、番号順にご覧ください。)

こうもキッパリ言い切られると、ほんま、返す言葉が無い。
好きこそモノの上手なれ、ではないが、彼は、この方面に関して研究熱心。
財布の中から薬を出し
「これが、バイアグラやー。そして、これがイカン薬や。飲んで、塗って、やから、大変やぞぉー。」
私「やっぱ、疲れるやろ」と、またまた言う。
彼「そりゃ、シンドイけど、好きなもんやから、しゃーないやろ。」

私「お前、そんな事してたら、終いに死ぬぞぉー」と言うも、「かまへん。」と答える。

「何処へ行ってるねん?」と聞けば、「モーテル」
「モーテル代も大変やなぁー」と言えば、「その為だけに、働いてるんよ」

そんな彼やから、面白い話を、よく知っている。
先日、とあるモーテルに彼が行った時、60代のおっさんが、モーテル内をウロウロしていた。
彼が怒って「オジィ、こんなトコで、何でチョロチョロしとるねん」と言えば、そのオジィの嫁さんが、どっかの男とモーテルに来ている、とかで、嫁さんの車を探していたらしい。
憐れと言うよりは愚かな話だ。
「そんなバアサンの相手して貰えるんなら、感謝して、小遣いをやっても良い位やぞ」と二人で大笑い。

更に彼「平日の2時やのに、モーテルって満員なんよ。入れん時がある。みんな、何をしとるやろ」
私「阿呆言うて。お前も、その一人やろうが。」
彼と喋っていると、気が晴れると云うか、仕事の疲れも吹っ飛んでしまう。

人は、生まれ、そして死んで行くだけかも知れない。
好きな事を好きと言えるだけ、彼は正直者。

『ひょっとすると、彼は男道の達人やも知れん』
と、笑えるも、なんか侘しさが付きまとう。


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精力絶倫男 (その1) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

何ごとも、上手く運ぶ時もあれば、そうでない時もある。

【問題は、如何に倒れたかではなく、如何に立て直したかである。】
は、心に刻み置かねばならない格言だ。
事業ならずとも、生きるは即ち修行、だと言えよう。

さて、今日は日曜日。
だから気分を開放して、「精力絶倫男」のちょっと面白い話。

彼は小学校時代の友人。
よく、店に訪ねて来る。

その度に、「どや、この女、可愛いやろ。」と、携帯電話の写真を見せる。
私「もう、前に見たから、よいわー。」と言うも、「いや、また違う女なんよ。まぁー、見て呉れ」だ。

この写真は、ただの写真じゃない。
言うならば「18禁の嵌め撮り」で、公然猥褻に引っ掛かるシロモノ。
画面は、彼の彼女で、承諾済みなのか隠し撮りなのかは定かでない。

もちろん、彼は誰にでも、は見せない。
一応、「私だけ」と言うコトらしいが、何も私がソレを楽しみにしている訳ではない。

彼の子どもは、もう独立し、奥さんとは随分と昔に離婚していると云う気楽な身分。
中学を出てから、トラックに乗ったりの現場仕事だから、いつも作業着。
背は、私くらいだが、身体はガッチリ。

彼「まぁー、ちょっと見て呉れやー。今度は若いから。」
と、見れば、「なんやー、えらい若いなぁー。幾つなん?」と聞けば、30ちょっと。

私「この女は?」
彼「それは、また違う彼女よー。」

美女と野獣とは、このこと。
女の方は、どうか知らないが、彼は「チャタレイ夫人の恋人」みたいなキャラ。
会って何を喋る訳でもなく、ただアレのみ。
見た目はパットしないのに、次から次へと上手に女を見つけるから感心する。
きっと、[求めよ、さらば与えられん。]なんだろう、と思うに至る。

彼は恰好一つ付けない、と言うか、付ける気もない。
そもそも恰好に、大した価値なんて、ないのだろう。

私「お前、そんなことばっかりして、ようも疲れんなぁ~」
すると彼は、「俺は、コレだけが楽しみなんやー。」と、パンツの上に手をやる。
卑猥な手つきも堂に入ったもんで、私なんか、どんだけ修行しても、こうは出来ん。、

(下へ続く)
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精力絶倫女 (その2) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(その1からご覧ください)

3人は益々神妙な顔になり、「うーん・・・、お前、可哀そうやなぁ。そんなん、誰も相手できんやろう・・・。」

と、ここまでが彼の団地内での話。

私「そうかー、それは凄いな~。新婚当初なら未だしも、そんなのが続いたら堪えられんわなぁ。
1日くらいならピンチヒッターさして欲しいけど、毎日は、カンニンやわ。
 で、その旦那は、どうしたんよ?」と、聞けば、
彼「結局、離婚しました。僕だって、そうしますよ。」
私「うーん、分る気がする。とても歯が立たんわな。」

と、これは彼と私との会話。

さて、この話であるが、
如何に理解したものかと、結論が出ないままに、今日の日を迎えている私である。
「ものはついで」だから、この際、一区切り付けようと思う。

この絶倫女を、
1、病気と蔑む
2、モノには限度がある
3、思いやりがない
と、簡単に済ますには、どうかと思う。

【如何に理解したものか?】と思いつつ、これまで何人かに話した。
すると、友人の会社に、絶倫男と絶倫女のカップルの存在を知るに至った。

(例2)

絶倫男の職業は、建築関係。奥方も絶倫らしい。
この絶倫男と絶倫女は、夫婦歴が十数年。
互いに勢力旺盛で、スルのが大好き。

現場の仕事だから、終業は早い。
帰宅の6時になると、決まって絶倫男は、電話を掛ける。
絶倫男「おい、もう10分もしたら家に帰るから、風呂に入って布団を敷いとけ。」
絶倫女「ご飯は、シテカラ?」
絶倫男「そう、先ずはスル」
絶倫女「はぁーい。じゃあ、急いでお風呂に入っとくわ。ルンルン。」

おっと、
このルンルンは、私が勝手に付け足したものだが、こんな風らしい。
会社の同僚達は、「おいおい、そんなにシトルと、早死にするよ。」とからかうが、絶倫男は、問題にしない。

もしも、(例1)の絶倫女の旦那が、(例2)の絶倫男なら、今も楽しくアレコレとヤリ、平和な日々を続けていると思われる。
先日、日記に書いた友人の絶倫男(B)が旦那であったとしても、幸せが続いただろうと思う。なぜなら、Bの分かれた奥さんは、アレが嫌いだったのが離婚の一因らしいからだ。

さて、問題としたいのは、「絶倫とは何ぞや?」であり、
更には、「絶倫女を、どう思う」に付いて分析を進めたい。

つづく
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精力絶倫女 (その1) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

小春さん、warabi、Raynoのリクエストにお応えして本日のお題は、ジャーン!! 精力絶倫女だ。

この手の話は、書くのに少々気を遣う。食べる時に育ちが表れ、性関連には人格が見え隠れする、なんて言われるからだ。

昔、ある女性作家がある男性作家の性の描写について、もう少し美しく表現できないものかと批判したところ、「私は、出来る事ならペ○スの先で書きたい位だ」と反論した。で、その彼とは、ノーベル賞を貰ったお方。
こんな話もあるから、下品になったとしてもお許し願いたいし、残念ながら私のペ○スはタイピングできるほど器用じゃない。

さて、いよいよ本題に入る。
私が見聞して来た中では一番の精力絶倫女で、しかも実話だ。

(例1)
十数年ほど前の話で、私の会社へ来ていた営業マン(彼)と同じ団地に住まいする奥さんが「その人」である。

(彼)は私より少し若く、「その人」の旦那は、更にもう少し若い。日記仲間なら、小鬼さんと同じ位で、当時では30歳。
彼は、その旦那と親しく、他の旦那2人を加えて4人が仲良しで、よく連れ立って呑みに行った。

ある日のこと、その人の旦那「内の嫁は、とてもアレが好きなんよ。」と漏らした。
3人は面白がって、「なになに? どんな風に好きなんよ。」と興味津々、身を乗り出して聞いた。

旦那「僕が会社から帰ると、直ぐにシテクレなんよ。」
3人「ふんふん、それで、それで、」と楽しそうに聞く。
ところが、旦那は元気が無い。

旦那「シテから飯を食って風呂に入る。
 風呂でまたスルこともあれば、風呂上りにまたシテクレ。
 寝る時にもシテクレで、朝起きたら、またシテクレ。
 一日に4回も5回もシテクレなんよ。」と、ため息を吐く。

「そぉ、そんなに、かぁー?」と、3人の顔は曇る。

旦那「朝からシテたら、会社へ行くのが、ほんと、辛いんよ。」
3人「そりゃー、そうだわ。」と、3人とも、こぞって旦那に同情を寄せた。

この旦那、余程、辛かったのだろう。
なかなか、こんな話を人に言えるものじゃないが、初めて人に話せて、少し落ち着いた模様。

そして、話を続けた。
旦那「ある日なんか、会社へ[直ぐに帰って来て!] と電話が掛かって来て、急いで帰ったら、[シテ]なんよ。どう思う?」

(下へ続く)
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絶倫女を是と理解しよう (絶倫の3) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

絶倫女の是非を問うなんて少し変だが、結論から申し上げると私は「是」としたい。

私の理解が正しければ、ジョルジュ・バタイユは、著書「神秘/芸術/科学」で、女性のソノ時の満ち足りた顔を賛美賞賛してこその文化であり、あらゆる科学技術、産業は、これに貢献し寄与しなければ本物ではない、と述べている。私は、これを一貫して支持している。

「女性のソノ時の満ち足りた顔」であるが、他にも言い換えられよう。しかし、それを「シメシメと満足げに何億・何百億円もの金を数える顔」に置き換えてはいけない。

実は私、先程までハンカチ王子の斉藤君が投げ、33年ぶりの早稲田の全国制覇を観戦しようとテレビを見ていた。ところが、チャンネルを変えているうちに、「YOSAKOIそーらん2007」が目に留まり、釘付けになってしまった。

みんなアマチュアで、エントリー団体は350チーム。チーム構成は、子どもからお年寄りまでいて、1チームが100名を超える。その決勝戦の模様が中継されていた。

♪やーれん そーらん そーらん そーらん ハイハイ♪と、太鼓や三味線にあわせて老若男女が踊る。
呼吸がぴたりと合い、激しく躍動したかと思えば、次の瞬間にはすっと静まる。
顔には生きる躍動と言うか命のしぶきが迸り、真剣さの中に笑顔がとても愛らしい。

三味線の弦を抑える指、
爪弾くバチサバキ、
大太鼓を叩く若者の腕、
激しいものの、決して乱暴ではない。 丁寧で美しい。

リズムを受け、「ハイハイ♪」と応え、同時に、すっと伸びる女の素足と手の指先
隣りの男と寸分に違わない距離を保ちながらであるが、まるで一心同体

雄雄しく飛び跳ねる男に しなやかで艶っぽい女
私には、彼等の呼吸が一筋の赤い糸で結ばれているかの様に見えた

(ちなみに、これらは踊りの描写であって性描写でない。一応、念の為に。)

最後に優勝したグループがステージに上がった。みんな泣きながら、歓びながら踊る訳だが、私まで感動してしまった。

踊りではあるが、これは最早、セックスにまで高められた踊りだ
と、私は思った。

横道に逸れててしまったが、話を元に戻そう。
これまで世間では、男の絶倫は自慢になるが女の絶倫は恥ずべきものとされて来た。歴史からも、女性の性欲は、あってはいけないものと読み取れる。

つづく
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近江商人の嫁 (絶倫の5) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(下のページの4からご覧ください)

この様な嫁の生活は、なにも嫁に強制された訳ではない。主人と同じ夢を持ち、息子もまた近江商人に育てるべく頑張ったのである。こんな風だから、「女」の部分は犠牲になったと思われる。私自身、近江に生まれた人間だから、この様な働き者の嫁像が嫌いじゃない。

明治時代になると「富国強兵」と「殖産興業」の策が全国的に執られた。前者は男を戦場へ赴かせるもので後者は男の残業や単身赴任を意味する。この為に、「期待される嫁や女の人物像」が全国的に、半ば強引に作られた感がある。
戦時中の「欲しがりません!! 勝つまでは」のスローガンは、その最たるものだ。新聞社もこぞって扇動し、俄仕立ての戦争婦人部とやらも反絶倫運動を展開した。

近江で育まれた女性像と多少似てはいるが、夢を共有する場合と、当時の政府から強制されるのでは、意味が全然違ってくる。

世界に目を向けると、つい最近まで、ある部族間では女性のクリ○リスを切り取る風習が残っていたらしい。詳細は民俗学者の研究に委ねるとして、男社会(男が金を稼ぐ社会)にあっては、男の絶倫は自慢になるが女の絶倫は男社会の秩序を乱すだけで、男にとっては無益なだけとされた。女性の絶倫が認められ、意の赴くままに行動されようものなら、男はおちおち戦地どころか出張にも行けない。

女の絶倫は、歴史によって強引に負のイメージがもたらされた面があろう。
今や、男女共同参画の社会である。だから、これからも「そうあるべし」とは到底思えない。

歴史を振り返れれば、女性の絶倫だけに止まらず、人間の生きる喜び自体がないがしろにされて来たと見て取れる。なかでも、女性の絶倫は、それらの総体としてシンボリックに犠牲にされたと言っても過言ではない。

予告

次は、江戸時代の大奥と元禄の町人文化から絶倫を考えてみたい。

つづく
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近江商人の嫁 (絶倫の4) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

私が住まいする安土から10分ほどの所に、近江商人の町、五個荘町(現在は東近江市)と近江八幡市がある。

近江商人は鎌倉時代の昔から天秤棒を担いで全国へと行商し、江戸時代には北廻船を使って遠くは北海道にまで拠点を伸ばした。商人として活躍した何百年と云う歴史の中で近江商人は商人道を究めるに至った。ちょうど武士に武士道がある様に。複式簿記の発明をはじめとして、【始末】【三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)】【陰徳善事(節約して儲けたお金は、世間に宣伝することなしに学校家建築や治水工事などへ寄付された)】など、それは企業倫理の哲学にまで高められ、現在でも家訓として残されている。戦後の浅はかな企業家に見習って欲しいくらいの立派な精神である。

近江商人は全国各地に支店を設けたが、しかし家族は近江に残した。今で云うところの単身赴任である。この辺りが「儲けの全部を近江へ持って帰る」と、世間からは悪評だったらしい。これに反して福井商人は現地で妻を娶り、その地に移り住んだから評判は良い。

さて只今連載中の絶倫シリーズであるが、実は近江商人とも深い関係がある。
前述の様に、近江商人は家族を故郷に残して長期の出張に出た。だから留守を預かる「嫁の在り様」と言うか「女の生き方」も商人道と同じく育まれた。
長期間、家を留守にして仕事に出るのだから、当然、後顧に憂いを残しては仕事に集中できない。具体的に言うなら、『もしや、嫁が浮気をしているのではなかろうか?』『留守を良いことに、贅沢三昧をしているのではなかろうか?』等の心配である。
だから、この商人道は、近江商人のみならず「商人の嫁の道」とセットになっている。武士道が一朝一夕に身に付かない様に、商人道も簡単には身に付かない。それ故に近江商人は、嫁は地元から娶ったものと思われる。

近江商人の嫁は、昔で言うところの男尊女卑にはあたらない。嫁は、家事や家計の切り盛りの他にも丁稚の世話等と、とても働き者であった。始末であるが、お茶の入れ方に至るまで、こと細かい始末の作法がある。この様に書けば、たぶん読者は、『ちびちびと茶葉を入れていた?』と思われるだろうが、始末風は、全く逆で、最初にドバッと沢山入れる。その方が無駄なく、美味しいお茶を何度も大勢で頂ける。始末とは、今で言う合理主義の精神に貫かれた生活だった。

(下へ続く)
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珈琲タイムは43分 (絶倫の7) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(下の6からの続き)

私「・・・、したまんまの状態で?」 と、未だ不信な顔付きの私に、
8時間男「もちろん、そうよ!!
 そもそも、セックスに対するイメージが違うんよ。
 お前は、どんなイメージしとる?
 ひょっとして、パコンパコンと激しいピストン運動をイメージしてたら大間違いや。
 エロビデオと違うでぇ。」
私「・・・?」
8時間男「ほんとうのセックスは、そんなんやない。
 例えば、[いろはにほへと]を腰で書くんよ。
 その7文字を5秒くらいで書いたらアカン。
 《 いーーーーーーーーーーーーー~、》《 ろーーーーーーーー・・・・~》と一文字を最低5秒は掛ける。
  おーおーきく、ゆ~ったり っとメロディの様な動きをつかまなあかん。
 呼吸も、ゆっくりゆっくり 《 すぅう~、 はぁあ~ 》と相手に合わせるんや。
 時には相手のゆったり吐く息を ゆったりすっかり吸い取ったりする」

タリバン以降、男尊女卑と評判の悪いイスラム圏だが、イスラム男は女性を大事にする。
「この世には、決して満たすことのできないものが三つある。それは砂漠と墓と女性の性欲である」は、イスラムの諺である。
これは、満たせないものを満たさんとして、8時間もの努力を怠らないイスラム男を思い浮かべ、噛み締めてこそ、理解できる諺だろうと私は考える。

職業別のポテンツ調査では、キンゼイ・レポートが有名だ。
強かった職業は、ヤクザと政治家だった。どちらも見栄やハッタリが入っていそうだが、ともあれ、あまり仕事に追われていると男性機能は低下する。何度も言うようだが、男が立たねば、自動的に女もできなくなる。

ナーンテ偉そうに言っている私だが、はい、私は、ただの語り部。

さて、そんな日本人だが何も悲観することは無い。先天的にポテンツが低い訳ではない。
江戸時代には、世界に冠たる絶倫文化を繰り広げた。

読者は、それが大奥? と思われるだろうが、それは絶倫の単なる象徴であって、花も実もある絶倫文化が開花したのは、元禄の町民文化においてである。
そもそも日本人は、明治時代までは、性に大らかな民族であった。

この話は次回に。
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珈琲タイムは43分 (絶倫の6) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

少し話が堅くなって来た。
これでは書くにも読むにも疲れるだけで、ポテンツも上がらんわい。
絶倫を書き始めてインポテンツになる様では、笑いものだわ!!
と、気分一新して「珈琲タイムは43分」のお話。

さて今回は、日本人の絶倫度について。
信頼おける筋(?)の調査では、なんとも情けない結果が出ている。それは頻度と所要時間を国別に調べたものだ。
情けない原因は、やっぱり男性だろう。答えは簡単で、男が果ててしまえば、いくら女が続けたくても無理だからである。(なーんて、当たり前な事は言うな!!ってか? 爆 )

日本男性は、頻度も時間も世界標準に達していない。それどころか下位に近い。「女は産む機械」なんて大臣も、矛先は男だろう! 問題はアンタのオチ○チンなんだよぉー! である。

頻度も少なければ、更に情けないのは時間だ。
単に生殖だけが目的なら1秒でも試験管でも済むが、人間のセックスの目安は43分。40分でも45分でもなく、43分と言う半端な時間が、意外と憶えやすくってなんとも良い。

God roll us into one

これは中学の頃、辞書で見つけた言葉である。
何も知らなかった私だが、至福のエロスを感じ取った。

43分は、二人の隙間を埋める時間であり、神々の降臨するのに必要な時間でもある。

「君は神を見たか?」と、私はPTAでも何処でも43分の話をするものだから、今では「43分友の会」がアチコチに出来た。
もっとも、私の役割は、ただの語り部だけで、実技指導は伴わない。

43分と聞いて驚いてはいけない。世界でトップのイスラム圏では8時間の猛者がウジャウジャいて、43分は平均レベルなのだ。ところが、どうしたことか日本人の43分達成率はと言うと、残念ながら1割にも満たない。かと言って「俺は日本人やから、それでいいんや」は駄目、駄目、駄目!!

「8時間なんて、嘘やろう」と叫ばれそうだが、実は私の知り合いにも実際に存在する。

私も、ちょっと信じられなかったから聞いてみた。
私「8時間って、ホンマかぁ?」
8時間男「もちろん、ホンマや。」
私「相手は、嫌がらん?」
8時間男「嫌がる訳ないやろ。みんな必ず悦びよる。」

(下へ続く)
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江戸の街 (絶倫の9) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(下の8からの続き)

こんな楽しい毎日を送って貰っては、「富国強兵」も「殖産興業」も、あったものではない。
5軒長屋の熊さんなんか、「もしもオイラが戦争に行こうものなら、嫁の野郎はきっと好き放題するに違いねぇ~」と気が気じゃない。

平成の世はどうだろう。
初体験の年齢は江戸と変わらない程に早いらしいが、2手も知らない処女と童貞が、陰でコソコソと淫靡な関係を持つ。食事に喩えるなら、立ち食いみたいなものだ。それは、年配同士のセックスにしても同様で、会席料理には程遠い。

美食飽食の時代と言われて久しいが、性は、淫靡でいやらしいとされている。
所得が増えたものの、管理社会の締め付けと、その強迫観念に駆られて、男のポテンツは減退の一方で、悲しい事に自殺者の数だけが増える始末。

これって、なにも大袈裟な事じゃない。私の親しい友人ですら何人も自殺した。あれほど頑張って仕事をしていたのに、いっつも追い駆けられてばっかりの心境に陥ってしまう、この現代社会。

生きるって、楽しいことじゃなかったかい。
思わず、そう言いたくなってしまう。

と、少し難しい展開に持ち込んでしまった。、
うーん、なんと、まとめよう? (って、もう夜が明けて来たから、少々焦っている)

まあねー、
私が言いたかったのは、生きる喜び、歓び、悦び、  ただ、それだけ。

PS

そうそう「好色一代男」で思い付いたのはホンダの創業者、本田宗一郎さん。昔にも、日記に書かせて頂いた。(2004/01/15)
氏曰く「経営も芸と同じで一代限り」と、引き際も見事だった。

「僕は人生でいっぱい感動してきた。その感動の数だけ豊かな人生だった。」
「人生を楽しませてくれてありがとう。」

本田氏は、機械いじりが三度の飯より大好きで、工場に寝泊り。
エンジンのボルトを締めながら寝てしまわれたコトが度々あったらしい。
何十分か寝て、ふっと目を覚ましたら、また続いてボルトを締める。

これを好色一代男なら、工場が閨(ねや)で機械は女、うーん、エンジンはドコ? (笑)

本田さんは自動車業界の世界一絶倫男。

まぁーねー、変なまとめ具合だが、今夜はこの辺で。
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江戸の街 (絶倫の8) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

江戸時代の書物に<A href="http://www.kanwa.jp/xxbungaku/Biho/Biho-oo/OO0130.htm" target=_blank>鴛鴦閨房秘考(おしどりねやのしぐさ)</A>があり、ここには48手が図録付きで、しかも生真面目な硬い文章で説明されているとのこと。だから著者は「性の民俗学者」なのだろう。
紹介したHPによれば、目次は性戯四十八手秘考[48態位]、続性戯四十八手秘考[20態位]、男女性器相考(めをとどうぐのつくり)[男性器10タイプ+女性器10タイプ]、女陰毛はい方十相 からなる。

だから、これまで48手とばかり思っていた体位の数は、 48+20=68 で、なんと68手を数える事が判明する。これは、フランスの40手、インドの64手(一説には84手)と比べても引けを取らない。それどころか、68手の裏と表を合算すれば、なんと136手!!。ひよっとして世界一かも、と思う程に大したものだ。

この体位であるが、当然の事ながら著者が考えたり、あみ出したものではない。街に繰り出しての聞き取り調査(リサーチ)の産物である。すなわち、江戸の街には性の文化が開花していたと読み取れる。

それに反し、その子孫たる現代人は、果たして、それらを受け継いでいるのか?と疑問になる。もちろん、私も含めてだが。
文化は、衣食住から始まり、芸術、文学等と全てのジャンルで育まれる。
例えば日本の食文化だが、料理は勿論のこと、作法から器に至るまで見事なものだ。性の文化も江戸時代には世界に例を見ないほどに極められた。

ジョージ秋山さんの漫画に「はぐれ雲」がある。若い娘をみれば、「おねぇちゃん、遊ばない?」と着物を捲る。パンツなどないからお尻は丸出し。
それは、はぐれ雲の旦那に限ったことではなかった。若い娘は年配の男に、そして若い男は年配の女から懇切丁寧に68手の手ほどきを受けて、セックスの奥義をマスターしたものだ。
「好色一代男、好色5人女」が、群れを成してアチコチに闊歩していた。

五軒長屋とか十軒長屋では、「お~い、味噌を貸して呉れ~」とか「ちょっと米貸して呉れ」と同じ感覚で、旦那や嫁もお気楽に借りたらしい。
今でも大工の言葉に「嫁は貸しても、ノミは貸せん」が残っている位だ。

(下へ続く)
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オープン セサミ (絶倫の11) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(下の10からの続き)
 
だから、秘密のペンダントはこの際忘れてオープンセサミ。
果たしてオープンセサミを唱えたら、薄いくせに岩の様に重たいパンツは動くだろうか?

えっ?  動く訳ない!! って?
そんな呪文より秘密のペンダントの方が未だまし!! って?

そう言われてみると、大人の秘密のペンダントは、お金、キムタクみたいな美貌、筋骨隆々とした身体、お洒落な洋服にベンツとか、色々と豊富だ。
それに引き換え呪文は言葉だけ。表現方法は口で言うか手紙で伝えるか、はたまた絵にするか歌でも歌うか、くらいなもんだ。

でも、それら秘密のペンダントを駆使して近づけたとしても、やっぱり男なら最後には一言くらいは呪文を唱えねばなるまい。

『女の子の方も少し隙をみせて呉れれば良いのに・・・』なんて軟な男の期待は置いといて、話をドンドン呪文へと進めよう。

男は黙って・・・の手もあるが、一応承諾をとらないと強姦罪だ。

「シタイ」「サセロ」「シヨウカ」「サシテクレ」「ココヘハイロウ」「スキダ」「アイシテル」「ダキタイ」「ココニヨロウカ」「トマルカ」「イエニヨッテケ」「オイデ」と色々あるが、うーん、これらよりはオープンセサミの方が未だ洒落ている。
かと言って「ひらけごま~」なんて叫んでも阿呆と思われるだけやし。

どうして岩を動かすのが難しいのかと言えば、やはり、それなりの理由がある。

岩は最後の扉だから、そうはやすやすとおっ広げられない。
財宝こそ詰っていないが、いちばんナイーブな感受性が、そこにある。
汚い手や足で踏み込まれたら堪ったものじゃない。

女じゃないから分らんが、まあー、こんな感じか?
汚い手足は論外としても、良好な関係性の中でも、それなりに躊躇いがある。
岩が開くまでは、一応それなりの平和と言うか平穏無事な人間関係と生活があるが、オープンセサミの呪文は、それまでの秩序の破壊を意味する。
もしも失敗しようものなら、得るものは皆無と言うか、それ以下だ。だから、躊躇する。

「男の人って、大変よね。私だったら、そんなこと、とっても言えないわ。」

男は、エネルギーの大半を呪文に使う。
それに反して、女はエネルギーを温存できる。

ひょっとして、この差が、男女の絶倫パワー差なのかも知れん。
と、ここまで書いて思い至った。、

『なんか、男って可哀そうみたい。』 と、呟いてみる。
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オープン セサミ (絶倫の10) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

いよいよ絶倫シリーズも10回目だ。
書くのも疲れたが、読んで貰っている皆さんは、もっとお疲れだろう。
絶倫を書く以上は、「せめて」書くこと位は、と頑張っている。

乗せられたと言え、「よくもまぁー書いてる。、」である。
それでも、乗せた小春さんが掲示板に載せて呉れた歌は良かった。
以下である。

「愛などと言わず抱きあふ原人を好色と呼ばぬ山河のありき」春日井健
良いねー、私は最後の「山河ありき」が特に好き。

思うに、原人って言葉を持たない。だから求愛も、動物みたいに5感の全てを駆使したと思われる。
動物だからって、それなりに好き嫌いがある様だ。以前、鮎の生態を見ていたが、モテナイ雄鮎なんか可哀そうなくらいに爪弾きされていた。
だから、抱き合う行為には、抱き合いたい思いがある。

そんな原人も、言葉を持つに至った。
そこで今回は、「オープン セサミ」

これはアリババと40人の盗賊に出てくる呪文で、ひらけゴマ。
皆さんご存知の通り、オープンセサミと唱えると大きな岩がゴゴオーっと開き、洞窟の中には金銀財宝の山。
なんでゴマなん? であるが、逆にゴマの不可思議さ故に妙な真実味を感じたものだ。

さて、このオープンセサミで開く洞窟であるが、妄想逞しい私には、ただの洞窟とは思えない。
「開いたのは、やっぱー、アノ洞窟でしょう!!」である。

中には、金銀財宝に優るとも劣らない宝物が詰っている(?)、いやこの表現は変だわ。これじゃまるで便秘みたい。
表現方法は兎も角として、今日は洞窟を開ける呪文について考えたい。

今も売っているかどうか知らないが、中学生の頃に雑誌に「妙なネックレス」が売られていた。通信販売である。
三日月形のペンダントトップだったようなで、その口上がなんとも面白い。
「これは秘密のペンダント。これさえ付ければ、もう貴方は、その日から大持て。片想いの彼女だって向うから近付いてくれますよ。」

オープンセサミは、一応、自分の口から言葉を発しなければいけないが、なんとこのペンダントは、ただ付けているだけで想いが叶うらしい。
もちろん、如何に若い美空でも私は買ってなどいない。
『そんなん、ある訳ないし、万一、あったとしても卑怯だよなぁ~』だ。
 
(下へ続く)
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遺伝子 (絶倫の13) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(12からの続き)

ところが雛を調べると、同じ巣の中にお父さんツバメの子どもではない雛が何羽か観察できる。人間風に解釈すれば妻の浮気だ。
「いつの間に他所の雄の種を仕込んだんやー。」であるが、これは、ツバメの世界では常識らしい。

理由は、種の保存にある。
一羽の雄と一羽の雌が育てられる雛の数は、せいぜい5羽。
この5羽だが、遺伝子を調べれば、兄弟ゆえに共通な部分が多い。だから、気候や環境の変化で生き延びられない事態が来れば、全滅の恐れがある。
そこで彼等ツバメは、違う遺伝子の組み合わせが有効な手段であると本能的に嗅ぎ分け、実践してきた。

(例2)にわとり

これに類するもので、絶倫具合に目を向けた実験がある。それがニワトリ。
カゴの中に、一羽の雄と雌を入れる。
すると、雄は雌に乗っかり、せっせと性行動をする。
ところが、1週間もすれば、雄と雌は、それぞれカゴの両端へと離れ、お互いに見向きもしなくなる。
そこで、その雌を出し、別の雌をカゴに入れる。
すると、また2羽は、せっせと性行動。
暫くすると、またしなくなるので、今度は、毎日毎日、とっかえひっかえ新しい雌を入れてみる。
すると、その雄は、連日、せっせ。、もちろん、雌も同様だ。
疲れたとか、飽きたなんて、誰も言わない。、

生き物は、ニワトリでもツバメでも、みんな浮気性だ。
そして、その浮気であるが、気分、気紛れ、単なるスキモノと理解しては、生命存続の35億年もの歴史から遠ざかる。

絶倫のお陰で、人類が存続するのだ。

今や生き物の頂点に位置する人間はと言うと、1万年前には約1000万人が、今や65億9822万人。なんと一日に20万人増えている。人類ほど絶倫な生物は、かって存在しなかったと思われる。

人間の場合、「あの子が好き」とか、「あの男なら抱かれてみたい」等と言うが、ツバメやニワトリの実験から推測すると、問題は【遺伝子の組み合わせ】なのだろう。

人間も、好きとか抱きたいの感情は、健康、美貌、精神性、性格、能力とあらゆるジャンルに反応する。
今後、どの様に世界が変わるのか分らないので、如何なる状態でも対応できる様にと色んなタイプの遺伝子を物色する。

なにも、将来の世界を一人で背負って立つ必要も無いが、個人の意思とは関係なく遺伝子は何億年も先まで生きようと絶倫みたいだ。

責任は遺伝子にあり。、
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遺伝子 (絶倫の12) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

私は、命について思う時、決まって太古の昔を振り返る。
 そして、こう呟く。
私は35億年前に生まれ、これから先、何億年も生き続ける。

私達の存在こそは
数多の絶倫を繰り返し
生と死を乗り越え
進化を続けた奇跡の結実だ
 
それを奇跡と云わずして、なんと言う
ジャンケンを連続一億回 勝ち続けるみたい、なコト

以下に、地球と人類の歴史を簡単にまとめてみた。

===

160億年前にビックバーンがおき、100億年前に銀河系が誕生し、46億年前に太陽系と共に地球が誕生した。
そして40億年前に海ができ、35億年前に原核生物が出現した。

人類の誕生は、約400万年前とされている。
最古の人類とされているのが猿人である。

氷河時代にあたる約50万年前になると原人が出現する。
簡単な言語も火も使用していた。

約20万年前になると一層進化した旧人が現れた。
精神生活も発達しており、死者を葬る埋葬の習慣を持っていた。

更に約4万年~1万年前になると新人が現れた。
体質的には現代人とほぼ同じであり、我々の直接の祖先と考えられている。

次に人口の推移に目を向けると、狩猟から農耕社会に移っていく約1万年前の地球上の人口はわずかに約1000万人で、それが農耕・牧畜の発達により紀元前後には約3億人になり、産業革命期の紀元1800年には約10億人に増えていく。

===

35億年もの間、私達はある時には微生物、またある時には魚、そして哺乳類へと姿を変え生き延びた。もしもこの間に一度でもバトンリレー(生殖)に失敗があれば、私は存在しない。
35億年もの間には、魚の時もあれば、捨て子の時もあったに違いない。それら無数の一人一人(?)のお陰で、今の私達の存在がある。

遺伝子を分析すれば、遙か昔から繋がっていることが見て取れる。
どうも、命は遺伝子らしい。固体は、遺伝子を受け継ぎ、そして受け渡す。

それらは、10億年前に両性生殖が始まって以来、絶倫なパワーが支えた。

以前の日記でも紹介したと思うが、パワフルな両性生殖へと話を進めたい。

(例1)ツバメの研究

さて、只今、ねむはーでは、ツバメが子育ての真っ最中だ。
世の中の学者には、ツバメの雛の遺伝子を調べた方がある。

だいたい鳥類は、鴛鴦(おしどり)夫婦と仲良しの形容に使われる位に、番(つがい)で懸命に子育てする。

(下へ続く)
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それから (絶倫の15) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(14からの続き)

二十歳前後は、肉体的にも精神的にも絶倫期である。

この頃、精神的には[世界の矛盾を一手に引き受けられるとの大いなる錯覚]を真面目に生きた、と云うか、生きたいと願った。
それに反して私は、肉体に禁欲を強いた。今となったら悔やまれるが「絶倫の筈の性」が犠牲になった訳だ。
それは何も私に限ったことではなかった。ストイックな精神性に多くの若者が影響された。

「女なんかに、うつつをぬかすな。」の精神である。

それでも異性への関心は、やっぱり高まる。
今思えば自然なことなのに、素直に受け入れ難かった。
絶倫な時期だけ、その分、戸惑いが大きかった。

「適当に性欲の処理を済まし、」との生き方もあろうが、そうは器用には生きられない。
ここで云う「性欲の処理」であるが、当時は簡単に言い捨てたものだが、今の私は、簡単には思っていない。何故なら、シリーズで述べて来た様に、「抱きたい=遺伝子の命令」だから、寧ろ、精神性を上回る崇高なものと解釈したい。

現在の様に管理社会が徹底すると、経済的な自立に時間が掛かり過ぎる。
15才、16才は充分に大人なのに自立は10年も先の話で、待てたものじゃない。

一般的に、男は女を抱きたい。
抱かれた女は、男を取り込みたい。

この「取り込みたい」は、子育ての関係から来る本能的な思いだ。
しかし男にしてみれば、取り込まれるのは辛い。それは、未だ自立の途上であるからだ。

適当な嘘を吐いて、抱くだけ抱く、ではプライドが許さない。
と云うか、そんな事をしていたら自分自身が堕落するし、性自体も堕落する。

『ひょっとして私は、こんな気持ちで絶倫期を棒に振ったのだろうか?』と思うに至る。
だからと言って「これから、その分を取り戻そう」との思いで、絶倫シリーズを書き始めた訳ではない。
「もう一度やり直せるなら、」は無理な話だから、次の世代へと託したい。

私の育った戦後は、男女平等が説かれ、赤線が廃止され、性は淫靡で、日陰モノ扱いへと成り下がった時代だ。
そうじゃなくって、もっと大らかで深い性の文化が開花して然るべき、と真面目に考えている。

フリーセックスの時代と言われて久しいが、中高生が好き放題にセックスをするのが良いとは思っていないし、同時にまた「我慢しろ」と言う積もりもない。

それじゃ、どうするの? を、もう少し続けてみたい。
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それから (絶倫の14) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

絶倫シリーズも早や13回を数えた。
書きながら、こんな事を考えた。
(って、「どうでもよい!!」と言われそうだが、まあ、ここまでお付き合い頂いたのだから、もう少しのご辛抱を。)

=独り言=

一つのことを書き続ける。これって、何を書いたところで、実は自分を書いているに過ぎない。
「私にとって、世界はこの様に見える」を書くことは、私はこうだ!! に他ならない。
しかし、人は、いや私は、自分が分からない。だから、私を描き切るのは難しい。
そこに来て、話題は絶倫だ。
逃げたくても逃げ切れない、何とも絶妙なテーマである。

最初は、これまで知っている事を書けば、それで済む。しかし、それらを吐き出した積りでも未だ何か言い残した、と感じる。また、こんな事を書かねば良かった、とか、こう書けば良かったとか色々と思う。言い残したイメージであるが、それが書ければ新しい世界が見えるかも知れない。

ネット日記を始めて七年間、PCに向かってあれこれと書いた。
思いを文字にすることで自分のバランスを取っていた節もある。

秩序があるのではない
無秩序を感じるから 人は秩序を求める。
何かしら確かなモノを求める。

それを私は外に探す、中に探す
しかし 外も中も同じ世界
私の中に無秩序な世界が広がっているのを気付く

安易に世界を描きたくない
そんな傲慢さが 手に負えない無秩序を呼び込む

もう好い加減にすれば良いのに・・・

 何度も、そう思った
 それでも懲りない

山を見ろ
稜線は曲がりくねり
人にお構いなく 陣取っている

名山なんて誰が決めた
削った山は不要なのか

目には全てが飛び込んでくる
綺麗とか汚いとか言うんじゃない
全ては私に関係なく存在する
そんな自暴自棄な無力感に囚われたりする

それでも偶に、充実感に満たされる時がある
先人の英知や、人の優しさや温もりに触れた時である。

====

さて、いよいよ絶倫シリーズも佳境に入る。
どの様に佳境なのかと言うと、それは私自身にとっての佳境と理解して頂きたい。

利いた風なことを書いて来たが、実を言うと、青年期の私は硬派だった。
異性に関心がない素振りをして来た。(ホンマかぁ~、だが、本人は、その積もり。、)

(下へ続く)
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千人斬りのJ その2 (絶倫の17) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(16からの続き)

さて、そのセックスだが、
J「思出だすと後味が悪い。
 女に随分と酷いことをした。
 木の股にねじ込むように、ぶち込み、抜くだけ。
 イキナリやから女が血だらけになった時もあった。
 言うならションベンを引っ掛けたみたいなもんや。 
 あの頃の俺は、単に♂やった。」と、顔を曇らせた。

そんなJだが、堅気になり、結婚してからは、十人どころか一人も斬っていない。
後日、J「なんで、俺、あんな事を喋ってしまったのかと後悔してる。だから、口外しないで欲しい。」と頼まれた。

思うに、Jのそれは、セックスではなく排泄である。
だからJは、絶倫期を排泄で棒に振った、となる。

とは、言うものの「それも無理なからん。」と思い当たる節がある。
「千人斬り」から「入れる」「抜く」「出す」に至るまで、若者はセックスに付いて、貧弱な言葉しか知らない。
これは、若者だけではなく、大人も似たり寄ったりだ。

腹が減ったから喰うのは、食事ではなく餌。
溜まったからスル、したいからスルのは、セックスではなく排泄。

こう考えると、食べ盛りの若者に食文化が育つとは考え難い。
同様に、絶倫の時期だからと言って性の文化は育たない。

文化は、やはり伝承されてこそ文化である。
料理の世界ですら、それなりの達人が存在し紹介されるが、セックスの達人の存在を私達は知らない。

他の文化に、それなりの褒め言葉が多数あるが、性の表現については、あまりにお粗末で、卑猥なものと隠されている始末だ。

と、言うコトで、今夜の結論。

精力絶倫の若い頃に、やりまくれば良いのか? については×としたい。
更に、その責任の所在であるが、若者にではなく大人にある。
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千人斬りのJ その1 (絶倫の16) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

若さ=絶倫期 みたいな図式が出来上がりつつあるが、知人を引き合いに出して検証してみる。

そこで、「精力絶倫の若い頃に、やりまくれば良いのか?」については、Jを参考にしたい。

(例) 千人斬りのJ

Jは、私より少し年上で、高倉健に似ためっぽう男前。
空手、居合いの有段者で、喧嘩もめっぽう強い。
口数は少なく、オチョカでもなく、義理堅くて、気風や男っぷりがすこぶる良い。だから男の私から見ても恰好良い。

私が「健さんに似てるなぁ~」と少々からかいながらも言ってみたら、
Jは悪びれもせず「若い頃には憧れましたよ。」とボソッと答える。

若い頃の彼は、半分、ヤクザみたいなもので、ホステスの送り迎えや用心棒みたいな仕事をしていた。私が知り合ったのは堅気になられてからだ。

「裏家業って、恰好ええなぁ~」とノー天気に言えば、
「やっぱり裏は裏ですから、」と感慨深げに答える。
何気ない一言だが、迫力から来る重みがある。

そんなJに対しても、私はお構いなしに人懐っこく、しかも遠慮なしに話す。

私「モテタんやろうなー」
J「いやー、そんなことありません。」
私「そんなぁ~、嘘言うてもあかんで。ちゃんと顔に書いたるでぇー」
と、しつこく追求し、ポツリポツリと過去を顕わする。これって、私の得意とする所だ。

あの世界では、男は、やっぱり強くて持てなければ話にならない。
Jは、喧嘩の強さでも[河原町のJ]と伝説になった。そのお陰で、Jを倒して名を上げようと、駆け出しの若いもんから喧嘩を売られた位だ。

それに加えて、持てっぷりも凄かった。
「千人斬り」ともなれば、更に箔が付く。
斬った数は、1年で160人。おまけに、同じ女とは2日と寝ない。
そんな生活が何年か続いたらしい。

私「ホテル代はどうしたんよ?」と、コト細かく、しつこく聞いた。
J「俺は一度も払ったことがない。女や。」(へぇー、と感心。、)
私「2日に一人のペースやが、何処で見つけるんよ?」
J「バーテンをやってたから女の方から寄って来る。
  なかなか女が帰りたがらんから、外で待っとれ、と待たした。」

(下へ続く)
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マリアか淫売か その2 (絶倫の19) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(19からの続き)

だから、「セックスは、イヤラシイ」との言葉を聞くと、それだけで、卑猥さが刷り込まれてしまう。
悪い情報とか誤った情報ほど、人は容易に反応し、また伝わりも早い。
これは情報を「コト」に置き換えても同じで、悪いコトは、直ぐに真似たがる阿呆が続出するが、良いコトは広まりにくい。良いコトをするには我慢や努力が必要だからである。

性には、ヨロシクナイ情報が、何とも多い。
幸い、私達はイスラム圏に住んでいないから女性が顔や肌を隠す必要がない。夏ともなれば、皆こぞって薄着になり、お陰で私の目は、何とも楽しい。
花屋さん曰く「花を見て、怒る人は居ない。」であるが、花は人間で言うなら性器である。そもそも、人に備わっているものに、不潔なモノ等、なにもない。

さて、パンツは昔からあるのではない。
昭和ですら、パンツをはかない女性は多かった。

こんな話を小さい時に聞いた。

(挿話)

今でこそ〈お婆ちゃん〉やが、昔はナカナカの姉さんやった。
博打場にちょこちょこ出入りしては、花札をしとった。
その手付きも鮮やかやったが、なんとも粋な奥の手を持っとった。

負けが込んで来ると、シャッと片膝を上げ、
それと同時に、着物の裾を、パッ!! と捲り上げよるんよ。

すると、どうよ。
アソコが、チラッと見える。
そうよ、パンツなんてはいとらん。

みんな 「あっ!!」と目を取られる。
その隙に、サッと札を変えよる。 
そう、イカサマなんやげと、みんな拝まして貰うたから、文句が出なんだ。
もちろん、いつも、その手には乗らんけど。(笑)

まあー、笑い話みたいだが、
江戸時代まで遡らなくても大らかな風景だ。

そもそも、セックスは卑猥じゃない。
マイナスの言葉よりは、もっと味わいのある豊かな言葉を使いたいと思う。

「奥ゆかしさ」なる単語も、私は決して嫌いじゃない。
しかし、顔を隠したり、肌を隠すだけが奥ゆかしさではない。

豊満な柔肌を牡丹の様に優雅に表現する、そんな「奥ゆかしさ」があっても良い。 

柔肌の あつき血汐に 触れも見で 寂しからずや 道を説く君 /与謝野晶子
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マリアか淫売か その1 (絶倫の18) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

「千人の男を抱いた女はマリアだ」と言ったのは、確か太宰治であったと記憶しているが、世間は彼女を淫売と呼ぶ。

淫売の他に、淫靡、猥褻、卑猥、尻軽、いやらしい、女好き、男好き、色キチガイなどなど、性及びセックスについての表現であるが、悪いイメージの言葉が圧倒的に多い。

そこで今夜は、
【性は、どの様にして、いつから卑猥になったのか?】について考えてみたい。

これまで幾度と無く性風俗の取り締まりは繰り返された。しかし、お上のお達しに関わらず、庶民は一向に聞く耳を持たない。これを私は愉快に思う。それに反し、弾圧を加えた側の多くだが、自分達だけこっそり良い目をしていた。これは不愉快だ。

しかし、残念ながら庶民レベルでも性は卑猥となり下がっている。
『どうしてだろう?』だが、その答えは簡単に見付かる。

「セックスは卑猥だ」との言葉を、何処かで誰かに聞けば、その途端に卑猥なる。
セックスは楽しい、とか素晴らしい、の言葉よりも、否定的な言葉が圧倒的に多く、私の日記みたいにダラダラ説明するより、ワンフレーズで済む。前総理のスローガンじゃないが簡単で簡潔なほど効果があり、寧ろ内容などない方が良いと思われる。

感情が言葉を想起させる場合があるが、多くの場合、言葉が感情を形成すると私は考えている。

(挿話) 久夫の場合

久夫は、当時、小学校の低学年。1970年代、私は画家の家を借りて焼鳥屋を始めたが、その画家の息子が久夫。数人の学生が泊り込んでの共同生活で、焼鳥屋が私達の大学だった。だから、大学へは行かない。

さて、その久夫は、階段を通る度に走っていた。
「こらっ久夫、走るな!! 落ちたらどうする」と言うと、
「だって、怖いもん」と答えた。
「どうして怖いんや?」と聞けば、「階段って、怖いんやろう?」と言って、私の顔を覗き込んだ。

私は『・・・?』である。
「いったい誰が、そんな事、言ったんや?」と聞けば、
「みんな、カイダンは怖いって言うもん!!」
「・・・? それって、怪談の聞き間違いや。怪談は怖いが階段は怖くない。」と、説明してやると、彼は納得した。

「カイダンは怖い」
怪談を階段と勘違いすれば、階段も本当に怖くなるのだ。
簡単な言葉ほど、人に与える影響は大きい。

===

(下へ続く)
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非絶倫夫の救いの神 (絶倫の20) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

明日は、早朝から出張。
だから今夜は日記を書くまい、と思っていたのに、小春さんのHPでジグゾーパズルの日記を読み、『そう言えば、ジグソーパズルの友達・・・』と思い出し、もう1時と言うのに日記を書き始めた。

今夜の日記のタイトルは「ジグゾーパズルは非絶倫夫の救いの神」だ。

彼は、40歳前後。
結婚歴、二十年近い。

私が彼くらい年齢の頃、ちょうど湖国寮(学生時代の寮)の同窓会があった。
同じ釜の飯を4年間も一緒に食った仲だから、なんでも話せる仲間である。
話題が絶倫具合へと進み、(もちろん、私が無理やり進めた感もあるが。、)
私「どうよ、みんな絶倫なんけ?」と聞けば、なんと8割方は非絶倫夫。
セックス・レスとまでは行かないまでも、ソレに近い。「みんな、情けないよなぁ~」であった。

ジグゾーパズルの彼も、そんな非絶倫夫。
何事も、義理が絡むとコトが効かなくなるらしい。

彼「俺なんか、いっぱいジグゾーパズルを仕上げたんよ。」
私「なんでや?」
彼「あのなー、夜が来るやろ。」
私「そりゃー、夜が来るわいな。」
彼「それが、カナンのや。
 嫁の奴、そろそろ寝ようか~、って、チロチロ俺を見よる。」
私「なんや? 合図みたいなもんか?」
彼「そやねー。長い事シトランから、そろそろどないや~、って言うとる感じがするんよ。」
私「ふむふむ、お前はシトーナイのやな!!」
彼「そやねん。だからジグゾーパズルなんよ。
  【さぁー、ジグゾーパズルをしよう!!】と言うて、始めるんよ。」
私「お前、その時の声色、裏返っとたんとチャウかー!! 魔除け、虫除け、嫁除けやのぉー。」と大笑い。
 「で、嫁さんは、どないしとる?」と聞けば、
彼「しばらく、待っとるわ。それでも、一生懸命してると諦めて、〈もう、先に寝るよー。〉と不機嫌そうに言いよる。
 もう、寝たかな~、って感じがしたら、ホッとしてパズルを止めるんよ。」
私「そやけど、そんな事してたら、ジグゾーパズルをいっぱい買わんならんな。」
彼「そうよー、大変やで。そやから嫁が寝た後、仕上げたパズルを、またバラバラにするんよ。」

まあねー、8割方の夫は多かれ少なかれ、こんな感じらしい。
何か妙薬、いやいや妙案、がないもんかねー。

解決策なんぞ考えてたら、明日の出張に寝坊しそうだから、今夜はこの辺で。
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絶倫は文化である (絶倫の22) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(21からの続き)

「平岩さんのお陰で人の優しさを信じられる人間になれた」と言っても過言ではない。貧しくても優しさに満ちた人達が沢山存在した。
最近、地域社会の教育力は低下の一途である。青少年の非行の大きな一因だろうと懸念している。

少し話が横道にそれたので本題に戻す。
以前に述べたが、江戸時代は、街の教育力は性の教育までも及んだ。
「えっ! 性の関係までも?」と、軽蔑しないで欲しい。

例えば、漫画の「はぐれ雲」みたいな旦那が、「よっ、ねえちゃん、あちきと遊ばない?」と気軽に声を掛ける。十軒長屋の熊さんも、旦那に負けじ、と声を掛ける。
女房連中だって負けてはいない。マツジュンやキムタクみたいな男前の若者は、「私が男に育て上げる」と取り合いになる。

若者や娘は、手馴れた旦那や女房から懇切丁寧に教えられる。
もちろん、嫌がる娘を無理やりに、なんてことは無い。
「そんな野暮はしなさんな」と、「粋」と「野暮」の文化があった。
極悪非道な悪人も居ただろうが、「人でなし」と軽蔑された。

現在の様に、性が隠微なるままに閉じ込められた社会では、良からぬ妄想が暴走し、性犯罪が絶えないどころか、健全な男女の付き合いに支障すら生じている。
早熟な男子は中学生や高校生の頃から興味本位で女生徒の性を弄ぶ。彼等は、セックスの意味も仕方も知らずに同級生の処女を相手に乱暴する。また逆に、晩生の男子は、卑猥、猥褻なる言語に怯えてしまい、童貞のまま30歳、40歳を迎え、満足に女性と向き合えない。

健全な性教育があってはじめて男の子が立派な一人前の男になり、女の子も娘になる。
何一つ知らない童貞と処女がするソレは、とてもセックスとは思えない。興味本位の童貞君が悪戯に処女を蹂躙するのは、殆ど罪と言っても過言ではなかろう。

時を経る毎に、人の暮らしは豊かになって然るべしと私は思う。
この暮らしであるが、喰って、住んで、寝て、群れて、働いて、遊んで、スル。
これ等には、そんなに金は必要でない。如何に大飯喰らいだとしても丼十杯が関の山。
絶倫は、金の様に何百億円と溜め込めない。
よしんば、一晩に何人も抱くとしたら、それは拷問にも等しい野暮な話。

人が孤立し、童貞と犯罪が増え、ポテンツが落ちるのが情けない。

絶倫とは、命の輝きだと私は思う。
絶倫は、自分自身も人をも幸せにする粋な文化だ。
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姉弟(あねおとうと)制度 (絶倫の21) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

高橋和己さんの書物「邪宗門」に姉弟制度が紹介されていた。
氏は私が学生の頃に癌で亡くなられたが、当時の学生に人気があった。

タイトルの邪宗門からも分かる様に、主人公の若者はとある宗教団体に属している。
聡明で美人な少し年上の女性が、主人公であるところの若者の姉役を務めた。
二人は血の繋がった実の兄弟ではないが、制度として「姉弟(あねおとうと)」の関係を結んでいる訳だ。二人は互いに好意を抱き、性交渉もある。若者が成長し他の女性と結婚する時、二人の関係は終わる。
姉役の女性は若者を育て、若者はいずれ姉を卒業する。
互いに慈しみ、異性の何たるかを知り、育てる側も育てられる側も、ともに成長する。
この関係に、学生の私は憧れたものだ。

妄想逞しい私は、姉弟制度の他にも色々と思い付く。
若者向けには姉弟制度の他にも叔母甥制度とか、おばちゃん若者制度が思い付くし、また娘向けには、期待を込めて兄妹制度やおじちゃん娘制度などが考え付く。こうした性の関係は、数ある人間関係の中でも、全てを許し合う深い関係である。

健全に人格が形成されるには、健全な人間関係が不可欠な要素である。
家族から始まり、親戚付き合いや近所の知り合い、学校へ行く様になると同年齢の友達、先輩後輩など、人格形成には重要な役割を果たす。
しかし戦後の日本は、年を追う毎に人間関係が希薄になって来ていると思われる。交通手段や情報伝達が発達し、生活が豊かになったとされているのに、である。
日本の自殺者は9年連続3万人を越え、性の分野では、30代40代男性の童貞率は増加の一途を辿っている。一見、無関係かとも思われる両者だが、これ程に人が孤立し、疎外感を感じている時代の証だと私は思う。

私の子どもの頃は、未だ地域社会が健全に機能していた。世代を超えた繋がりが密接で、地域全体で子育てがあった。大人は地域の子どもの面倒を良く見たものだ。
実際の母子でなくても「母子制度」「父子制度」みたいな関係が日常に存在した。
もちろん「これから母子制度を始めます」などと一々宣言しないが、近所のおばちゃんが、近くの子どもを我が子の様に思って育てた例は沢山ある。
私自身も幼児期の長い間、近所に住んで居られた平岩の叔母さんに大層可愛がって頂いた。

(下へ続く)
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サルトルとボーボワールの様に (絶倫の24) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(23からの続き)

恋愛は自由な個人の関係だから、何も国家に結婚を認めて貰う必要も無い。それぞれの自由意志を優先するのだから、お互いの束縛も許されない。だから、互いに違う相手と恋愛をしたり、更にはサルトル以外の男性(ボーボワールの彼氏でありサルトルの友達)と一緒に3人で暮らしたり、もあったらしい。

自由をここまで追求すれば、男女間の関係は殆ど格闘技だ。

それでも二人はパートナーとして生涯を添い遂げ、今もモンパルナスの共同の墓に眠っている。結婚もしていない男女が同じ墓に入るのはフランスでも異例の事態であったらしく、2人は死んでもなお既成概念と戦い続けた。

何事に対しても徹底した2人の姿勢に、
「そうだ、俺も結婚しないでおこう。」と、若い私は簡単に影響された。

そんな私の関係であるが、東京での同棲は何の問題もなかった。
ところが、田舎に帰れば、そうは簡単ではない。
「親の手前、籍でも入れてやろうか。」と、しょうがなしに私が折れたのに、ナント、この結婚自体に反対された。

親父「結婚と言うのは、お前一人の問題じゃない。」
私「そんなら、他にどんな問題があるんや?」
親父「家と家の問題や!!」
親父は、社会の既成概念ソノモノであった。

何を言おうと納得しない親父に対して、
最後に私は「親父は、俺の母親と離婚したよな。
女を見る目やが、親父よりは俺の方があると思うで。」
と、なんとも筋の通らん理屈で捻じ伏せた。

もちろん親父の言わんとする意味を知らない私ではない。
しかし、こと私の問題に対しては、例え親でも指図は受けたくない。
入籍しないコトにエネルギーを費やす筈が、意に反して入籍するコトにエネルギーを使うなんて、思いもしなかった。

私は哲学の何たるかを教えられた気がする。
唐突な表現だが

「哲学は人に腹痛をも引き起こす
 しかし医者もいなければ薬もない
 一旦患者になれば 自己とも社会とも戦い続ける他に道はない

 人は自由と言う名の十字架背負っている と言われるが
 人が自由であり続けるには セックスの何百倍もの絶倫さが要求される

 観念の自由は既成概念との戦いでもある
 それらは観念に止まらず行動をも規制する
 観念と行動にこそ絶倫でありたい」

と、若い頃の私は 思っていた。
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サルトルとボーボワールの様に (絶倫の23) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

「サルトルとボーボワールの様に」は、若かりし私の憧れであった。

と、簡単に書き出したものの、説明もまとめ方も全く見当が付かない。
たぶん要領の得ない文章になると思うが、御免である。

さて、
1970年を挟んで、私は東京に7年暮らした。
当時は、経済成長真只中のエネルギーが日本中に満ち溢れていたが、それと同時に社会矛盾が大きく露呈し始めた時期でもある。
私の目に映った東京は、希望と挫折のゴッタ煮鍋で、学生も一端の料理人気取りで、それなりに必死だった。

東京もそうなら、私自身もそうだった。
自分の幸せだけを求めるには知恵が付き過ぎ、社会の矛盾を解決するには知恵が足りない。そんな中途半端に身を置いて、似合いもしない文学書や哲学書を手にした。
思えば、サルトル、カミュ、カフカetcは、当時の学生には星の様な指標だった。
私はサルトル全集を一冊、また一冊と買い足しては読み耽ったが、理解の程は怪しい。

誰しもに見られることだが、思春期の男女は少々理屈っぽくなり勝ちだ。
私も例に漏れなかった。だから、単に「好き」とか「抱きたい」では自分を納得させられない。
そこに来て、恋愛よりは社会の矛盾や自己矛盾の解決の方が優先だったから、共に悩んだり、考えたりの同志の様な存在でなければ、相手の存在自体が新たな矛盾を生む恐れがあった。

と、まあ~こんな訳で、
<Img src="http://www.retela.net/chatla/rekishi/images/Satrte-beauvoir.jpg" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">「サルトル(1905-1980)とボーボワール(1908-1986)の様に」は、私の憧れであった。

ボーボワール「結婚はふたりが望めば自由に解消され、母となるのもまた自由である。結婚しているかどうかにかかわらず、どのような母子にも平等な権利が与えられる」とあるが、恋愛も結婚も社会の在り様や既成概念に決して無縁ではない。
ボーボワールは自由な解消を述べているが、結婚するにも未だ未だ社会の障害が残っている。江戸時代の心中モノでも、身分制度の為に添い遂げられない無念を止む無く心中で晴らしたストーリーが多いこと等、個人の自由は社会とその社会を支えるところの既成概念によって規制されている。

二人は男女と言うよりは寧ろ同志みたいな関係に思えた。
結婚と言う概念には囚われず、生涯2人は入籍しなかった。

(下へ続く)
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絶倫脳にティータイム (絶倫の25) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

近頃、寝具業界では睡眠と寝具の関係についての研究が進んでいる。
<Img src="http://www.watase.co.jp/cgi/view6/viewdata/134.gif" Align="left" Hspace="20" Vspace="20">この図であるが、テキストに使われ、如何に脳が疲れているかを示すものだ。

例えば、私をモデルにすると、体重が60kgだから脳はその2%で、1.2kg。筋肉は、体重の50%だから、30kg。残りは骨とか内臓である。

この図は、脳のエネルギー消費量は、筋肉全部の消費量と同じであると教えています。脳と体重の重量差は25倍だから、脳は25倍疲れていると言えましょう。

『へぇー?』と思われるかも知れないが、例えば車を運転している時にも、脳はあらゆる情報をつぶさに処理して、ハンドルを持つ手と、アクセルとブレーキを踏む足へと情報伝達している。日記を書いてても、読んでても、また寝転がってテレビを見ていても、脳は休む暇がない。

このテキストの教える意味は、脳こそが絶倫であり、脳のメンテナンスは睡眠であるが故に、お布団に関心を持ちましょう!! なのである。

さて残念な事に、このデーターではセックスのエネルギー消費量は分からない。本によると、男の場合、両手に水一杯のバケツをもって100mを全力疾走とあるが、要する時間によって違ってくる。
俗説では、男女の寿命差はセックス時の疲労差だと言われていたが、どうも、これは間違いだったらしい。

余談であるが、つい2日程前に、先日、日記に書いた絶倫男にまたまた出会い、ふと、その絶倫振りが如何程のものかが気になり、聞いてみた。なんせ、バイアグラとイカン薬の併用だから、さぞかし!!と思ったからだ。

私「お前、どれくらいの時間、しとる?」
絶倫男「えっ? いつから、いつまでや?」
私「IN から OUT までや」
絶倫男「うーん、20分くらいかな。」
私「えっ? たった20分。 そんなんでは絶倫男の名がすたるでぇー。」
絶倫男「えっ?  足らんのけぇー? みんな、そんなもんやでぇー。」
と、愕然。

私「まあな、何もお前のせいや無い。この時代、教育が足りんだけや。」と、絶倫の43分について説明した。
絶倫男「そう言うけどな、20分でもヘロヘロになるんやど。43分もしたら、死んでしまうど。」
私「阿呆言うてぇー、死んでも良いと言うとったのは、お前やろう!!」
絶倫男「うーん、・・・」であった。
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七夕によせて (絶倫の26) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

一年に一夜だけ
もしも雨なら それは翌年に延期される

「待ち侘びる」について、今夜は少し書いてみる。

私は、あまり待つ事が好きではない。
いや、好きではないと思っていたが、[どうも、そうじゃない。]ことに気が付いた。

我が家には犬が2匹と猫が2匹いる。
猫は人がいなくても、犬ほどには寂しがらない。

犬の名前は、シービーとジャム。
特にシービーが寂しがり屋で、細君が出掛けたりすれば、もう大変。
まるで今生の別れの如くに鳴き喚く。

これまでは専業主婦だったから良かったものの、最近、友達に頼まれて仕事に出るコトになった。
だからシービーは、朝から夕方までお留守番。
私は、午前中、家に居ることが多いのだが、シービーには何の慰めにもならない。
細君で無いと駄目らしい。

細君は勝手口から出て、勝手口へと帰ってくるものだから、最近のシービーの居場所は決まって勝手口。

そんなシービーを、最初は『可哀そうに…』思っていた私であったが、どうも、『そうではないんだ』と思うに至った。

もちろん、シービーに聞いた訳ではないが、こう思う。

【帰りを待って居る】8時間は、一人ぼっちの8時間ではなくて、もうすぐ帰ってくると思っている8時間なのである。

だから、シービーの脳内イメージは、

 やがて車がガレージに入り、 車のドアーが開く。
 足音が近付き、勝手口のドアーが開いて「ただいま~」

この約束事に対して、シービーはシービーなりの「待つと言う約束」を果たしているのだ、と私は気が付いたのである。

続いて、『忠犬ハチ公の場合は、どうなんだろう?』だが、
ハチ公の場合は、主人は亡くなっているから、帰って来ない。
それでも、渋谷駅に決まった時間になると、迎えに行った。
ハチ公の脳内イメージは、こうであろう。

 列車が到着して、主人が降りて来る
 昔の様に、ワンワンと近付く自分と、ヨシヨシとの主人の掌。

主人が死んでしまった後でも、待っている限りにおいて、ハチ公には、この主人との暗黙の約束事が生きているのだ。

こんな風に思う様になってから、私はシービーが可哀そうだと思わずに済んだ。

うーん、
犬って、人間みたいに観念的だね。

イメージさえ豊かなら、たぶん幸せなんだろう、と思う。

絶倫とは想いの深さであり、それが何事よりも優先する。
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これにて最終 (絶倫の27) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

絶倫シリーズを書き出して、かれこれ1ヶ月が経つ。
自分でも『よくもまあ~』と呆れている。

何事も、始めるのは簡単だが終わるのは難しい。
上手くまとめて終わりにするのが本来であろうが、
それも難しいから、できれば潮が引く様な感じで、ゆるやかに閉じたい。

性に拘らず個人の歓びについては、概ね、抑圧の歴史であったと私は思う。
社会、それは国家の様な大きなものから小グループに至るまで、それなりの秩序が必要とされ、個人の自由になる枠組みとは敵対する関係にある。

制度としての取り締まりや弾圧、更に既成概念としての抑圧は、性に対して取り分け強かった。
それは、性自体に内包するエネルギーの強さ、また人の性に対する渇望の大きさが、秩序の破壊に繋がる為である。

個人が何かを成し遂げんが為に、自らの意思で禁欲生活を強いるのは一向に構わないが、それを、強制する圧力には、私は断固として意義を唱えたい。
文化とよく言われるが、個人の個性が、それぞれに開花することを支援し、賞賛するのが、社会のあるべき姿だと私は考えている。極論すれば、性の絶倫を賛美し、賞賛する社会であって欲しいと願う訳だ。性の在り様は、庶民文化の深まりを象徴的に暗示していると私は考える。

もちろん、絶倫は、単にセックスに止まらず、理念の開放を意味する。
イメージの開放と人は簡単に言うが、私達のイメージは、既成概念にガチガチに縛られ、実のところは、身動きすら出来ない情況だ。

先日の日記に、「サルトルとボーボワールの様に」を書いたが、私も含めて最近の日本人の思考は、西欧哲学の影響を受け過ぎている様に感じる。
かと言って私は、日本人文化論と融合した思想を展開したい、との大それた思いもなければ、そんな実力も持ち合わせない。

ただ私は、江戸時代に見られる大らかで逞しい庶民の暮らし振りが好きだし、「粋」と「野暮」で峻別された「気風の良い生き方」に共感している。
もっと遡れば平安時代、歌を送り返歌次第で恋が成立した光源氏の世界は何とも優雅だ。源氏が歩いた後には、香しい残り香が漂ったと言う。
源氏と彼女との関係は、通婚。この千年もの昔の「通婚」制度は、今でも新鮮だ。

と、書いていると、またぞろ続きそうになる。
でも、これにて打ち止め。

皆様、長々とありがとうございました。

みんな、ホッとしたやろ。(爆)
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紊乱 (その5) [性欲絶倫シリーズ(男・女)]

(前30件の紊乱その1から順にご覧ください)

命、そして時間を、私達人間は、目から鼻から口から耳から肌から性器からと、身体中のあらゆる感覚、神経を通して感じ取り、脳へと情報を伝達しています。
ギョーム・アポリネールは「きみのからだの九つの扉」という詩の中で、性の歓びを歌っています。

もちろん、セックスだけではありません。
命が、まさに美しく輝く、時間が凝縮されたかの如くに感じられるのは、世界との触れ合い、人との触れ合いでありましょう。

そして、
限られた命、限られた時間、一度きりの人生だからこそ、充実した命を過ごしたいと願わずには居れません。

しかし、言葉の一つをとってしても、人一人で考え付くものでありません。
全ては、積み上げられた文化の恩恵であり、人から人へと受け継がれて来ました。

全ての文化は、文字を通して、時には手取り足取り教えられました。
しかし、残念ながらセックスだけは、どう云う訳か、のけ者扱い。

「そうじゃないでしょう!!」との思いがある訳です。

武道にすら心技体がある位ですから、セックスにも当然、あってしかるべしです。
セックスも礼に始まり礼に終わります。
ですから、技だけを取り立てて強調するのは、おしゃるように誤りでしょう。

以前、ご紹介したと思うのですが、性の人類学者のキムミョンガン氏は、セックスについて、確か、こう述べられていました。
【セックスは宇宙との対話であり、神との和合である】
これは、何もセックスに限らず、生きること自体が、その様なものだと思えます。

しかし、世界や人とストレートに向き合えて居るかと言うと、残念ながら、そうでもありません。
稚拙な犯罪は問題外としても、人が人らしく生き生きと輝いているのか? は、私も含めて疑問です。

社会が私達を管理するのではなく、私達が社会を管理する。そして、この私達であるが、必要以上のしみったれた自己規制に囚われず、自由奔放でありたい。
大杉栄の様に、紊乱をもって進み、紊乱をもって途絶えたいと願うものであります。

(おわり)
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